アートを標的にする環境活動家に伝えたいこと

アートと美術館が標的に 近年、環境活動家による芸術破壊行為が頻発しています。ニュースを通して、気づかれた方も多いのではないでしょうか。 美術館で破壊行動を行った環境活動団体別の件数(2022年)は次の通りです。団体名称は日本語にするとわかりにくくなるので、そのままにしてあります。 Kinyon, L., Dolšak, N. & Prakash, A. When, where, and which climate activists have vandalized museums. npj Clim. Action 2, 27 (2023).  https://doi.org/10.1038/s44168-023-00054-5 トップ3は、第3位:レッツェ・ゼネラチオン(最後の世代、ドイツとオーストリア拠点)、第2位:ジャスト・ストップ・オイル(イギリス拠点)、第1位:ウティマ・ゼネラッチオーネ(最後の世代、イタリア拠点)となっています。いずれの団体も、気候変動に関わる政府行動に抗議するために2021-2022年に発足されています。 気候変動の主な原因のひとつである化石燃料の使用は、美術館や美術品とは直接的な関係は薄いにも関わらず、これだけの団体がターゲットにしているのは驚くべき状況ではないでしょうか。 ゴッホもモネもフェルメールも 圧倒的に多い攻撃方法が、液体や固形物で汚すことです。ナイフで切り裂く、ハンマーで叩くこともあります。そして狙いは多くの場合、世界的に超有名な名画となります。 金銭的価値が高いところからご紹介しますと、レオナルド・ダ・ヴィンチ作『モナリザ』(ルーブル美術館)は、2022年5月に個人環境活動家(自称)によってケーキを投げつけられました。車椅子に乗った老女に扮した男性が作品に近づいて行為に及んでいます。 Photo:…

生成AI時代には「知覚力」が最強な理由

2020年11月に『知覚力を磨く―絵画を観るように世界を見る技法』を上梓してから、早3年が過ぎました。おかげさまで、今日まで知覚力を鍛える研修と日々向き合っております。 さて、その3年間、世界はパンデミック・戦争・異常気象・高インフレとまさに激動でしたが、知覚力のニーズはどう変化しているのでしょうか。そのあたりを考えてみたいと思います。 ところで、ご存じない方のために確認しておきますと、「知覚力」とは、「見るべき情報を逃さず、状況に応じたベストな解釈へと導く力」です。知覚と言っても、ダヴィンチ研究所では全体の約90%を占める視覚を通した知覚に特化した研究を行っています。 結論から申し上げますと、拙著の中で述べた通り、「知覚力」の需要はかつてないほど高まり、他方、パンデミック前まで強調され続けていた「思考力の重要性」はあまり語られなくなりました。お気づきの方もいらっしゃるかもしれません。 現にマッキンゼー・アンド・カンパニーの調査報告によりますと、パンデミック後に必要なソフトスキルとして「高い認知能力」を筆頭に挙げています。 でも、いったいなぜでしょうか? 生成AIの登場                                Photo: lighthouseguild ChatGPTの出現は、人間とテクノロジーの共存のあり方をさらに深める機会をくれました。 確かに生成AIは脅威的ですが、人間の知的生産過程プロセスである知覚・思考・コミュニケーションは、機械にとってはいまだ難度が高いことは揺らいでいません。ただ、生成AIの登場によって、その3つの中でも今後のリスキリングでプライオリティの高い開発項目が具体的に判明してきました。 おおまかに言うと、思考とコミュニケーションの一部は、AIに代替されていくけれども、知覚の重要度はさらに高まるということです。 思考について言えば、もちろんAIが実際に考えるようになったわけではないのですが、蓄積された膨大な知識量によっていかにも論理的思考や分析的思考しているかのような回答が可能になりました。今後も、どんどん精度が上がっていくことは確実です。 またコミュニケーションについても、シンプルな回答・説明・報告を求めるのであれば、AIが自分の上司や部下よりも気が利いたことを返してくれることは増えてくるでしょう。それと、AIは、たわいのない雑談もできるようになりました。 その一方、AIが苦手なのは、クリティカルシンキングであり、人を動かす洗練されたレベルのコミュニケーションです。これらをリスキリング項目としてフォーカスする価値は高くなります。 知覚力のニーズが止まらない 生成AIを扱う時に必要なもの では、知覚力はどうでしょう? 生成AIを上手く使いこなしていくには、主に2つの理由で高い知覚力が求められます。 第一に、フェイクや間違った情報が多いので、見極めが必要だからです。第二に、生成AIから精度の高い回答を引き出すには、問題設定が肝となるからです。有意義な問題設定は、情報を確実にとらえ、状況に応じたベストな解釈をすることで初めて可能になることは言うまでもありません。 Photo: discoveryeye.org ずっと変化の波のりは続く Photo: The Metropolitan Museum of Art, New…

なぜアートには女性の裸が多いのか?

多すぎる!アートの中の女性ヌード お気づきではないでしょうか。アートの中にはやたら裸の女性が登場します。 いったいなぜでしょうか? セクハラやジェンダーバイアスに敏感な世の中で、今後も制約なく描き続かれていくのでしょうか? その辺を探ってみたいと思います。 女性ヌードのさまざまな意味 ひと言で女性ヌードと言っても、さまざまな意味があります。文化によっても異なりますが、ここでは西洋美術史の流れをざっくりと追いかけてみましょう。 ■多産への願い? 現存する最も古い裸体の女性像のひとつに『ヴィレンドルフのヴィーナス』があります。 『ヴィレンドルフのヴィーナス』、約25000年前、石灰岩、11cm、ウィーン自然史博物館 約25000年前(旧石器時代)に製作されたとされる高さ11cmの小像です。オーストリア北東部ヴィレンドルフで発掘されました。 顔、足首より下はなく、編まれたような髪、細い腕が抱えた大きな乳房と腰回りが印象的です。「多産の女神」という説がありますが、説得力ある根拠があるわけではありません。 しかしながら、同時代からは同サイズの女性像ばかりが発見されていることから、祭儀での何らかの機能を負っていそうですし、女性ならではの特徴が強調されていることから、多産とか、安産への願いという可能性は十分あり得ます。 ■美しい女神たち ギリシャ神話に登場する女神たちが、どんな外見をしていたのかは誰も知らないわけですが、ほとんどすべての場合で均整のとれた体躯で描写されています。超越した存在である女神は、美しいと信じられていたのでしょう。 特に、美と愛と性の女神アフロディテ(後にローマ神話のヴィーナスと統合)は、完璧なボディーでアートの中に登場し続けます。 最も有名なアフロディテ/ヴィーナスと言えば、皆さんもよくご存じのサンドロ・ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』でしょう。 サンドロ・ボッティチェッリ、『ヴィーナスの誕生』、1484-86、テンペラ、キャンバス、172.5 cm × 278.9 cm、ウフィツィ美術館 Photo: wikipedia かなりエロティックです。しかし、人間の裸体ではないことと、新プラトン主義的思想+キリスト教の影響により、当時の人々は単なる肉体的な官能とは見ずに、「性愛の先に存在するより高次な神聖愛」の方で解釈したはずです。 ■ヴィーナスと人間が同化する 時代が下ると、ヴィーナスの名を使っているものの、実際には人間の女性ヌードが公開されるようになります。現存するこの種の最も古い例は、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ウルビーノのヴィーナス』です。 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ、『ウルビーノのヴィーナス』、1534年頃、油彩、119.2 cm X…

『岩窟の聖母』の謎がメチャメチャ楽しい

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画は、何かと謎に満ちています。 その中でも、特に謎が深いのが『岩窟の聖母』です。なぜでしょうか? その主な理由は、 ■ほぼ同じ構図の2つのバージョンが、ルーブル美術館とナショナルギャラリー、ロンドンに存在すること ■制作過程において、ダ・ヴィンチと絵画依頼者間に報酬についての問題が発生し、それに関する法的書類が絵画の理解(特に制作年度)をより複雑にすること まだまだ分からないことも多いのですが、ここでは最近の新発見を含めながら、『岩窟の聖母』の全体観をつかんでおきたいと思います。ではまず、2つのバージョンを観ましょう。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『岩窟の聖母』、1483〜1486年頃、油彩、キャンバス(パネルから改変)、199 cm × 122 cm 、ルーブル美術館、パリ レオナルド・ダ・ヴィンチ、『岩窟の聖母』、1483〜1499, 1506〜1508年頃、油彩、パネル、189.5 cm × 120 cm 、ナショナルギャラリー、ロンドン 制作背景 制作依頼者 1483年4月、ダ・ヴィンチと、ミラノで活躍していた2人の画家エヴァンジェリスタとジョバンニ・アンブロージオ・プレディス兄弟は、「彫刻に金箔と彩色を施し、3点の絵画を提供する」という契約書にサインします。 それは、ミラノのポルタ・ヴェルチェッリーナにあったサン・フランシスコ・グランデ教会の礼拝堂を拠点としていた宗教グループ「無原罪の御宿り信者会」による祭壇のための依頼でした。この祭壇の木彫(丸彫り、レリーフ)は、すでに1482年に彫刻家ジェコモ・デル・マイノが710リラの報酬で完成させていました。 ダ・ヴィンチらがサインした契約書によると、報酬は材料費込みで800リラ、完成期限は1484年12月8日(無原罪の御宿り祝典の日)となっていました。また契約書には仕様書も添付されており、金箔の質・色の特定や・聖母とともに描かれる人物などが詳細に記されていました。 3人の芸術家への報酬、しかも金箔の調達などを考えると、800リラと言う報酬は、彫刻家ジェコモ・デル・マイノひとりの報酬710リラに比べてかなり低いです。 ところで依頼された3点のうち、祭壇の中央『岩窟の聖母』の左右に設置された絵画2点も現在、ナショナルギャラリー、ロンドンに所蔵されています。 フランシスコ・ナポィターノ?(ダ・ヴィンチの弟子)、『緑をまとったヴァイオリンを持つ天使』、1490〜1499、油彩、パネル(ポプラ)、117.2 cm X 60.8 cm、ナショナルギャラリー、ロンドン ジョバンニ・アンブロージオ・プレディス、『赤をまとう竪琴を持つ天使』、1495 〜 1499 年頃、油彩、パネル、118.8 cm X 61 cm、ナショナルギャラリー、ロンドン…

ビッグモーター事件の真犯人は「倫理的盲目」

特定の人物が犯人なのか? 組織で不正や事故が発生した時、特定の人物を犯人(原因)として洗い出そうとする傾向があります。 photo: huffpost.com 現に、ビッグモーターの記者会見では、創業者・元社長である兼重宏行氏は、「(不正請求問題の犯人は)板金塗装部門単独で他の経営陣は知らなかった」と言っていました。 その一方、真の元凶は、元社長あるいはその息子で実質的社長であった宏一氏と考えている方々が一般的には多いのではないでしょうか。いずれにせよ、ついつい犯人を探ってしまうのが世の中の常です。 もちろん法的見地からのそうした追及は必要ですが、組織の問題解決のためには別の視点からも原因を考察することが欠かせません。 photo: wikipedia 知覚が起こす「倫理的盲目」 兼重宏行氏と宏一氏のリーダーシップに問題があったのは本人も認めている事実ですが、彼らが率先して悪行を主導していたわけではなさそうなのが、今回のケースです。 にもかかわらず、組織的な大問題に発展した理由は何でしょうか。 その答えですが、人間が状況を「どう見て解釈したか」という知覚が絡んでいます。心理学的には、倫理的盲目と呼ばれることがあります。 この「倫理的盲目」は、ビッグモーターに限らず、どんな組織にも起こる可能性があるリスクです。実際に過去には世界最大大手エネルギー販売会社エンロンも、大手証券会社リーマン・ブラザーズ等も、この問題で不正を犯し、遂には倒産に至っています。 「見る」と「解釈」を自由にできなくなる時 いったいなぜ「倫理的盲目」は起こってしまうのでしょうか? 拙著『知覚力を磨く――絵画を観るように世界を見る方法』のサブタイトルにあるように、人は世界を見る時に知覚的フレームにはめて見ています。絵画のフレームをイメージしていただくと分かりやすいです。 このフレームの大きさは調節可能で、自分の周りの状況に応じて見る範囲を決定して認知しています。 これは誰でも行っていることですが、このフレームの調節が上手な人ほど効率的に仕事をこなし、ベストな意思決定に至る可能性が高くなるので、リーダーとしては重要なスキルです。 それはさておき、恐ろしいのは、このフレームが極端に狭くなり、見るべきものがまったく見えなくなってしまう時です。 ビッグモーターの例ですと、狭いフレームから状況を見ていたため、倫理が視野から外れました。そのために「故意に車を傷つける」あるいは「自社の環境整備目的のために街路樹を枯らす」という信じられないことが起きたのです。 誰にでも起こりうる知覚の罠 ある状況の下でまったく見えなくなってしまうわけですから、行為自体は犯罪とみなされたとしても、その人を悪人と決めつけることなんてできません。それどころかむしろ、犠牲者の場合が多いのです。個人の「倫理観の高いか低いか」ということは、あまり関係ありません。 頭の良し悪しとも関連性がなく、現に、当時のエンロンやリーマン・ブラザーズの社員は、ハーバード大学をはじめ超一流大卒のエリートだらけでした。 では、いったいどんな特別な状況の時に、人間の知覚的なフレームが極端に狭くなって倫理さえも見失ってしまうのでしょうか。 組織のルーティンになっていく さまざま要因が考えられます。例えば、時間的な制約や他人からのプレッシャーがあります。そんな時、本来の自分とは異なる決断をして失敗した覚えがある方はいらっしゃるのではないでしょうか。 その一方、ビッグモーターのように組織的な大問題に発展するケースは、組織内に過度の利潤追求・そのための強引な姿勢が推奨されていた時に起こりがちです。 特に厳格な評価システムが作られ、昇格や金銭的インセンティブを与えていた場合は、社員にとって利潤追求やそのための積極的な態度が、組織が目指す単なる目標ではなく、理念や主義として浸透します。時間が経てば、組織のルーティンとなって定着し、社員は不正に疑問すら持たなくなってしまいます。 アグレッシブな言語でますます見えない…

グスタフ・クリムト『扇子を持つ女』は最高額156億円で落札!

ヨーロッパで最高額となった作品 前ブログでは、相次いで高額落札されたグルタフ・クリムト『Insel im Attersee (アッター湖の島)』と『白樺の森』を比較しながら、アートの値段が決まる目安についてお話したばかりです。 そしてつい先日6月27日に、クリムトの別作品『扇子を持つ女』が、サザビーズ、ロンドンのオークションでそれらを上回る8530万ポンド(約156億円)、またヨーロッパオークション最高額で落札されました! ついでながら絶好の機会ですので、この名画についても理解を深めておきたいと思います。 グスタフ・クリムト、『扇子を持つ女』、1917-1918、油彩、100X100cm、プライベートコレクション ちなみに、ヨーロッパにおける最高落札額は、アルベルト・ジャコメッティ作のブロンズ彫刻『歩く男 I (L'Homme Qui Marche I)』で、2010年2月に6500万ポンド(日本円換算約89億円)でした。 『扇子を持つ女』とは? クリムトが、インフルエンザで55歳で亡くなったのが1918年2月です。つまり、本作品は、彼の最後の肖像画であり、傑作となります。実際に、彼が亡くなった時、なんとこの作品がイーゼルに置かれたままだったのです。 グスタフ・クリムトのスタジオ、1918 Photo: Sotheby's その制作時期は、クリムトの最も有名な作品が描かれた「ゴールドの時代」から下ること、10年。とは言え、55歳という若さで、まだまだ過去を超える作品に対する意欲にあふれていたはずです。現に、『扇子を持つ女』は、「ゴールドの時代」の超有名作品『キス』とは色のトーンや質感が異なることに一目でお気づきいただけるでしょう。新たな挑戦を試みていた証ではないでしょうか。 グスタフ・クリムト、『キス』、1907-1908、油彩、180 × 180 cm、ベルヴェデーレ宮殿美術館、ウィーン 従来からの装飾芸術からの影響を継続するものの、新しい要素――アンリ・マティスの軽快な筆、フィンセント・ファン・ゴッホの鮮やかな色彩、浮世絵の遠近感――を巧みに取り入れています。 『扇子を持つ女』は、委託されて描かれた肖像画ではありません。そのため、クリムトはこれから目指す彼の創造世界を、自由自在に作り上げることができたわけです。 女性の周りのモチーフは、日本や中国で縁起の良い鳳凰(左)と鶴(右)です。また、仏教のシンボルでもある睡蓮が描かれています。女性は誰かはわかっていませんが、手に持つ扇も、まとっているローブも中国風です。これらのアジア的要素が、特定の女性というよりは、普遍的な美女のイメージに高揚させています。 オークションの結果について 競ったのは中国系らしい 縁起物が描かれているから特に関心を引いたのかもしれませんが、オークションで最後まで競ったのは、中国本土と香港の中国系2名のようです。結局は、後者の方に落札されました。…

何がアートの値段を決めるのか?―グスタフ・クリムトで考えてみた

日本人コレクターが再び注目される 2023年5月16日、サザビーズニューヨークで開催されたオークションで、グスタフ・クリムト(1862-1918)作『Insel im Attersee (アッター湖の島)』が、5320万ドル(日本円約72億6000万円)で落札されました。 購入者が、日本人コレクターであったことから日本のニュースでも大きく取り上げられました。 グスタフ・クリムト、『Insel im Attersee (アッター湖の島)』、1901-02年頃、100.5 X 100.5 cm, キャンバス、油彩、プライベートコレクション 購入者が誰かは公表されていませんが、投資だけを狙ったのではなく、絵画通な方ではないかと推測します。 クリムトの風景画は、そこまで有名ではありませんし、その中でも彼の傑作を生んだ「ゴールドの時代」に描かれ、その特徴「光や色やテクスチャを万華鏡のように表現」が顕著なこの作品を選んだのは、おそらく絵をよくご存じの方に違いありません。 いったいどこが違うのか? 実は約7か月前、2022年11月9日に、クリムト作の別の風景画『白樺の森』が、クリスティーズニューヨークで、1億458万5千ドル(日本円約147億4700万円)で落札されています。 先の『Insel im Attersee (アッター湖の島)』と比較すると、2倍以上の値がつきました。いったいどんな作品なのでしょうか。こちらです! グスタフ・クリムト、『白樺の森』、1903年、110 X 110 cm, キャンバス、油彩、プライベートコレクション さて、どんなことを感じましたか。 2作品の第一印象はかなり異なりますよね。しかし、実際には共通点も多いのです。 この絵画の題材は「森」で、前の「湖」とは異なりますが、同じ風景画のジャンルです。しかも、この白樺の森はアッター湖近くにあり、どちらもクリムトが避暑地として好んだ場所の景色を描いています。 さらに、制作年代・サイズ・メディアム・作品のコンディションといった作品自体の特徴はどれもあまり変わりません。 2つの要因 では、この2枚の絵の落札額が異なるのはなぜでしょうか。どう思われますか? 2つの要因がまず考えられます。 ひとつは、作品の値段は画家の名前だけで決まるわけではなく、同じアーティストでも作品によって幅があることです。例えば、多作な画家や、画風やテクニックがまだ安定していない若手アーティストは、作品評価に大きな差がつくことがあります。 では、『白樺の森』により高い評価がついたのはなぜでしょうか。…

ゴッホを深く学べる2023年

ヨハネス・フェルメール展が、アムステルダム国立美術館にて史上最大規模で進行している話はすでに取り上げました。※そ、そういえばフェルメールの新たな大発見がありましたね!近日中に追記します。 ところで、2023年はさらにすごい! フィンセント・ファン・ゴッホ(1852-1890)がお好きな方にはたまらないニッチな企画が続々と開催されますので概要をまとめておきましょう。 ファン・ゴッホの最晩年70日間に注目した展覧会 ■"Van Gogh in Auvers-sur-Oise" (オーヴェル=シュル=オワーズのファン・ゴッホ) ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム 2023年 5月12日ー9月3日 オルセー美術館、パリ、2023年10月3日ー2024年2月4日 フィンセント・ファン・ゴッホ、『たそがれの景色』、1890、油彩、キャンバス、50 X 107 cm、ファン・ゴッホ美術館 Photo: wikipedia パリから北西に30キロほど程離れた村、オーヴェル=シュル=オワーズで過ごした最晩年70日間(1890年5月20 ー7月29日)にスポットライトを当てた展覧会です。療養所を退所してから、ピストル自殺を図り亡くなるまでの期間となります。 この時期のファン・ゴッホは非常に多作で、約70作品を制作しており、その中にはいくつもの傑作が含まれています。この展覧会では、なんと48点が出品されます。 ポール・セザンヌやカミーユ・ピサロなど他の画家たちにも愛されたオーヴェル=シュル=オワーズの景観をリズミカルで確かな筆致で描き、多彩な色・透明な空気・暖かな光までも感じることができ、ため息が出るほどに美しい作品を残しています。 フィンセント・ファン・ゴッホ、『雷雲の下の麦畑』、1890、油彩、50.4X101.3cm、ファン・ゴッホ美術館 Photo: wikipedia 見た瞬間に、彼が印象派からの影響を強く受けていたことを改めて確認できる作品ですね。にもかかわらず、地面と空だけを、珍しい横長のフォーマットでシンプルに描くところに彼のユニークな意図と時代の先を行く感性を感じます。 もう一点、亡くなるわずかひと月前に描かれた傑作も見ておきましょう。 フィンセント・ファン・ゴッホ、『オーヴェルの教会』、1890年6月、油彩、94X74cm、オルセー美術館 Photo: wikipedia…

日本人としての教養―なぜ北斎はすごいのか?

遂に、最高レベルの価値に! 2023年3月16日と21日のクリスティーズのオークションで、葛飾北斎作『富嶽三十六景ー神奈川沖浪裏』が、相次いで159万ドル(約2億7百万円)、276万ドル(約3億6千万円)で落札されました。 予想落札額は、前者が15-20万ドル、後者が50-70万ドルだったので、5〜10倍という驚くべき競り上がり方でこれまでの落札価格を更新したわけです。 葛飾北斎『富嶽三十六景―神奈川沖浪裏』、1830年頃、木版画、25.7 X 37.9 cm、メトロポリタン美術館、ニューヨーク 最高額をつけた作品は、現存する中でその刷りの良さでトップ20のひとつとされています。クリスティーズサイトで比較していただけると、その美しさを確認していただけるでしょう。 ところで版画の小作品(浮世絵大判 約26X38cm)でこの高値をたたき出せるのは、ネーデルランドの巨匠レンブラント・ファン・レインくらいしかいないです。これらこそ、世界トップ2の版画と言っていいでしょう。 レンブラント・ファン・レイン『3本の十字架』、1653年、ドライポイント、38.7cm、アムステルダム国立美術館 日本が誇るグローバルアイコン 『富嶽三十六景ー神奈川沖波裏』は、世界的に最も有名な日本美術作品です。 その背景には長い歴史がありますが、いまや日本→北斎、Mount Fuji→北斎の富士山、波→北斎の波とつながるほどに強力なグローバルアイコンです。 すでにお話したオークションの高値更新も、このグローバルアイコンとしての価値がなければ成し遂げられなかったことは間違いありません。 このカテゴリーの絵画と言えば、レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』やジェームス・ウィッスラー『灰色と黒のアレンジメント-母の肖像』があります。そう考えると、版画の小品とは言え、今回の落札額は、まだまだ安価すぎるとさえ思えます。 ジェームズ・マクニール・ホイッスラー、『灰色と黒のアレンジメント-母の肖像』、1871、油彩、144.3 X 162.4 cm、オルセー美術館  世界トップレベルのドローイング力 秀でたアーティストの共通点、それは紛れもなく線描する力です。 確実に、無駄なくとらえ、流麗に描写する技術と言えます。 最近、大英博物館が購入した『万物絵本大全図』の挿絵で確認してみると、猫のしなやかに歪曲した体の輪郭が寸分の狂いもなく軽快なリズムで描かれています。 葛飾北斎、『芙蓉の下の猫2匹』、『万物絵本大全図』挿絵のための下絵、1829、インク、紙、大英博物館 この北斎のドローイング力に匹敵する画家と言えば、そのひとりとして頭に浮かぶのが、ダ・ヴィンチです。早速、比較してみましょう。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『猫、ライオン、ドラゴン』、1517-18頃、27 X 21cm,…