ダ・ヴィンチが最晩年まで攻めた証『聖アンナと聖母子』

ダ・ヴィンチの最晩年の作品のひとつをご紹介しましょう。 クリエーターの晩年作というのは、強い遺志が込められているようで特別なものです。もしかすると「ダ・ヴィンチが最後まで手を入れていたのは本作品だったのかも」と考えるだけでドキドキします。 最晩年作のひとつには他に『洗礼者ヨハネ』がありますが、作風がまったく異なる点が興味深いのと同時に、ミステリアスでもあります。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『聖アンナと聖母子』、1507〜1508年頃から制作開始、油彩、パネル(ポプラ材)、168 cm X 130 cm、ルーブル美術館、パリ ※この『聖アンナと聖母子』を含むダ・ヴィンチの絵画全作品が、「ダ・ヴィンチの5つの部屋」でご覧いただけます。ルネッサンスの臨場感をお楽しみください! 作品の概要 ビジュアル分析 岩山の上に親子3世代―聖アンナ、聖母マリア、幼児キリスト―が集まっている光景を描いています。 幼児キリストは、子羊(生贄のアイコン)とたわむれ、抱こうとしてしています。聖母は、聖アンナの膝に座りながら、幼児キリストを諭すような視線を送り、子羊から引き離そうとしているように見えます。聖アンナは、おそらく岩に座り、その2人を見守るように見つめています。 右上の手前の木は、三世代を描いていることと合わせて解釈すると、神という存在が永遠につながっていることを象徴する「生命の木」であることが推測できます。 背景には、空気遠近法(大気の性質を利用した色による遠近表現)を駆使した遠山が、聖母のドレスの色と呼応するかのように青く、幻想的に広がっています。 作品のバックグラウンド ■制作年代はピンポイントできない 制作年代、依頼者については明らかな証拠があるわけではありません。ただし、資料をつなぎ合わせると、ダ・ヴィンチは、この絵について1500年頃から晩年までという長い期間に渡り、熟考、制作していたことが分かります。 また、実際に制作を開始したのは、そのスタイルの特徴から、1507年頃(1499〜1502, あるいは1503年説あり)と考えられます。 ■本作品は未完成 ダ・ヴィンチは、『聖アンナと聖母子』を完成していません。メトロポリタン美術館キュレーター、カーメン・バンバックは、2012年の保存修復後に調査し、特に人物のモデリング(聖母の顔を含む)と仕上げ部分について未完成であることを指摘しています。 ■依頼者は誰か? 依頼者については、複数説あります。ひとつをご紹介しますと、ルイ12世説があります。彼が、アンナ・ド・ブルターニュ(シャルル8世の元妃)を妃として迎え、娘クロードの誕生(1499年10月)が依頼のきっかけとなったと考えられます。聖アンナと妃が同名であることも辻褄が合います。 しかし、何らかの原因により、この作品は依頼者の手元には届けられませんでした。というのも、1517年にはまだ、ダ・ヴィンチの手元にあったことが判明しているからです。そして翌年1518年に、フランソワ1世が購入し、ダ・ヴィンチの弟子サライに多額の金額が支払われています。 しかしながらこの説にも疑義が唱えられていますし、その昔、有力だったフィレンツェのサンティッシマ・アンヌンツイアータ聖堂からの委嘱説はおおかた否定されています。決定的情報は、今のところまだ出てきていません。 ■ナショナルギャラリー、ロンドンにある下絵との関係 ナショナルギャラリー、ロンドンには、『聖アンナと聖母子』制作の準備段階で描かれた下絵が存在します。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『聖アンナと聖母子と幼児洗礼者ヨハネ』、1499〜1500年頃、141.5 x…