猛暑に観たい!涼しい絵画はこれだ

猛暑のラッシュアワーの電車の中で妄想してしまいました。 クーラーがキンキンに効いた美術館で名画鑑賞をしている自分です。誰もいないので、冷たいタイルのフロアを裸足で歩いていてみたり、ときどき寝転んでみたりと最高にリラックスしています。現実になって欲しかった! ところで妄想の中の私は、いったいどんな絵を観ていたでしょうか? 今回は、その時思い浮かんだ5作品を共有したいと思います。どの絵も灼熱の暑さにぴったりで、この汗ばむ季節を少し涼しくしてくれるかもしれません。 涼風に吹かれて眠りたい アルバート・ムーア、『真夏』、1887、油彩、キャンバス、155 x 160 cm、ラッセル・コーツ美術館、ボーンマス、イギリス 一作めは、イギリスヴィクトリア朝の画家アルバート・ムーア作『真夏』です。彼の最高傑作と言ってもいいでしょう。オレンジ色と言ったら、この絵を思い浮かべる方も多いです。 ムーアの特徴は、けだるそうな美しい女性を、豪華な古典的建築を背景として精巧な装飾品とともに描くことです。構図と色のハーモニーが全体的な美しさをさらに盛り上げ、絵自体が装飾芸術品と言っても過言ではありません。この作品は、こうした彼の特徴が極限まで高められています。 その一方、3人の女性の表情に注目するとどうでしょう?決して冷たい表情ではなく、その感情が読めそうです。しかし実際には微妙すぎて読めないようなところが、私たちの興味をくすぐります。 人と議論する必要なく、何も考えず、自然な涼風とともに眠る――このクールダウンの方法、酷暑にはもってこいですね! 山の空気感に触れたい アルバート・ビアンスタット、『カリフォルニア州シエラネバダ山脈の中で』、1868、油彩、キャンバス、183 x 305 cm、スミソニアン アメリカ美術館 山の澄み切った爽快感を感じたいなら、ハドソン・リバー派の代表画家アルバート・ビアンスタットの作品でしょう。巨大なサイズのキャンバスに、彼が描くアメリカ西部やハドソン川流域の大自然は圧巻で、その前に立つと現実の風景に包まれていると錯覚するほどです。 写真家だった二人の兄の影響と、ビアンスタット自身の写真への興味が、彼の絵画に色濃く影響しています。そのため構図の切り取り・明暗・モチーフの組み合わせが卓越していて、ドラマチックで理想的な景色が眼の前に広がります。 本作品はカリフォルニア州を描いていますが、実際にはイギリスで制作されてヨーロッパ中を巡回し、アメリカへの移住へ関心を誘引したようです。またアメリカでビアンスタットによる風景画は、当時も今も非常に人気が高く、それは自国の雄大な大地への誇りの顕れかもしれません。 冷たい川の流れを感じたい ジョルジュ・スーラ、『アニエールの水浴』、1882、油彩、キャンバス、201 × 300 cm、ナショナルギャラリー、ロンドン パリオリンピック2024で、セーヌ川の汚染問題が再三取り上げられていましたが、19世紀のセーヌ川はここまで澄んだブルーだったのです。新印象派で点描技法(補色の小さな点を併置する技法)を創始したジョルジュ・スーラ作『アニエールの水浴』には、アニエールとクールブヴォアの間にあるセーヌ川岸で水浴びする人々が描かれています。スーラ弱冠24歳の時の大作です。 真夏のかすんだ熱い太陽の下、川に入って泳ぐわけでもなく、ただ佇んで川独特の涼感を肌で楽しむ人々の心地よさが伝わってきます。川面の緩いうねりを描写する点描法が実に効果的です。 スーラは、この大作のためにたくさんのドローイングや油彩スケッチを残しています。と言うのも、サロンで発表して自分の名声につなげようと計画していたからです。サロンには拒絶されてその思惑は叶いませんでしたが、完成作品は、セーヌ川の気持ちいい水の一瞬の感触を、美しく記録しています。 海風に吹かれ波の音を聞きたい ウィリアム・トロスト・リチャーズ、『岩礁に打ち寄せる波』、1887、油彩、キャンバス、71.6 x…

『カナの婚礼』は楽しさNo1の宗教画かも!?

楽しい宗教画世界第1位かも? さて、質問です。 モデルであり女優であるケンダル・ジェンナーが、深夜に貸し切ったルーブル美術館で見入っていた絵画は何だったでしょうか? Photo: @kendalljenner/Instagramに6月26日掲載 そのひとつが、イタリアルネッサンス後期ベネチアで活躍したパオロ・ヴェロネーゼ(1528-88)の名作『カナの婚礼』でした。元々は、アンドレーア・パッラーディオによってデザインされたベネチア(べニス)のサンジョルジョ修道院の食堂(1560-62)の後壁に描かれていました。 現在は、ルーブル美術館のRoom711に、レオナルド・ダ・ヴィンチ作『モナ・リザ』の対面に陳列されている美術館では最も大きな絵画です。 この作品の魅力は、何と言っても異端児ヴェロネーゼの伝統にとらわれない自由な表現力です。少なくともこれまで私が見てきた数々の宗教画のなかで、楽しさ世界No1ではないかと勝手にランク付けしているくらいです。 今回は、本作品がなぜそんなに自由で楽しいのかを皆さんとご一緒に考察してみたいと思います。 パオロ・ヴェロネーゼ、『カナの婚礼』、1562-63、677 cm X 994 cm、油彩、キャンバス、ルーブル美術館 Photo: wikipedia 楽しい理由1:イエスが起こした最初の奇跡 この作品のストーリーは、イエス・キリストが最初に起こした奇跡で、ヨハネ福音書第2章1-11節に記されています。言うまでもなく縁起が良いトピックであり、美術史を通じて多くのアーティストたちに絵画化されています。そして最高峰はなんと言っても、このパオロ・ヴェロネーゼの作品です。 ヨハネ福音書第2章1-11節の内容をまずご紹介しましょう。 カナ(ガリレア地方ナザレ近く)で催された婚礼に、イエスと母マリア、弟子ら5人が招待されました。結婚披露宴は1週間続くのが慣例ですが、その最中にワインが底つきてしまったことを、マリアはイエスに告げます。イエスは、「あなたと自分になんの係りがあるのか、私の時はまだ来ていません」と返しますが、マリアは従者たちに「イエスが言った通りに行動してください」と告げます。 その場にはユダヤ人の清めの慣習にならい、石でできた水がめが6つあり、イエスは、「これらの水がめを水で満たしなさい」と従者たちに伝えます。従者たちが水かめをいっぱいにした後で、イエスは「少し汲んで婚礼の責任者のところへ持っていきなさい」と指示します。 責任者が味見すると、水はなんとワインに変わっていました。責任者は新郎を呼んで「人は誰も最初に良いワインを提供して、酔いが回った頃には悪いものを出すのに、あなたは今まで良いワインを取っておいたとは!」と歓喜します。 楽しい理由2:イエスの独尊像? というわけで『カナの婚礼』と名づけられながら、実際にはイエスが主人公のストーリーなのです。ところが、ヴェロネーゼ以外の画家による『カナの婚礼』は、イエスを控えめに描写しています。 たとえば、ヴェロネーゼ作『カナの婚礼』よりも半世紀ほど遡りますが、ヘラルト・ダヴィト(1460年頃-1523)は、次のように描いています。イエスは伏し目がちであくまでもゲストとしての参列しています。 ヘラルト・ダヴィト、『カナの婚宴』、1500年頃、油彩、パネル、100 cmX128 cm、 ルーブル美術館 その一方、ヴェロネーゼのイエスは、巨大な絵画の中心で、ひとりだけ真正面向きで凝視する迫力です。この絵の前に立つと、否応なく彼と眼が合ってしまうことになります。このイエスの部分だけ見ると、ナラティブ絵画というよりは、独尊像のような姿です。 パオロ・ヴェロネーゼ、『カナの婚礼』、イエスが座る中心部分 披露宴の主役であるはずの新婦と新郎は、画面の左端に押しやられています。新郎の表情に注目すると、婚礼の喜びがなく、居心地が悪そうにも見えます。…

『モナ・リザ』の風景画

風景画の場所を特定したい人々 今回の場所は正しいのか? レオナルド・ダ・ヴィンチ、『モナ・リザ』、1503年より制作開始、77 cm × 53 cm、油彩、パネル(ポプラ材)、ルーブル美術館、パリ 2024年5月、地質学者・美術史学者アン・ピッツォルッソが、『モナ・リザ』の背景の場所を特定したことを発表しました。 彼女は、イタリア北部ロンバルディア州、レッコであると言います。その理由として、レッコに存在する2つの湖コモ湖とガルラーテ湖沿岸の地形・アッツォーネ・ヴィスコンティ橋(14世紀)・山々の連なり・石灰岩の地質を上げています。 コモ湖と『モナ・リザ』向かって左奥の水域の比較は、次のようになります。 コモ湖沿岸と『モナ・リザ』向かって左奥の水域の比較 そして、次がアッツォーネ・ヴィスコンティ橋と右のアーチ型の橋を比べています。 14世紀に作られたアッツォーネ・ヴスコンティ橋と『モナ・リザ』向かって右のアーチ型の橋の比較 ピッツォルッソは、特にレッコの石灰岩とダ・ヴィンチが使った灰白色との合致を強調しています。というのも、ヨーロッパでアーチ型の橋は珍しくないですし、絵では湖のスケールが分からないので、なかなかその形状やサイズを比較するのは難しいからでしょう。 ただし、ダ・ヴィンチが使った灰白色は、彼の他の絵でも山並みを描いたりするために使用されているので、『モナ・リザ』の岩がすなはちレッコの石灰岩と見るのはかなり勇み足な印象です。 加えて、レッコと関連づけられたのは今回が初めてではありません。 2016年にレッコ出身の研究者によって、『モナ・リザ』の背景はレッコのコモ湖とガルラーテ湖付近の4つの風景を組み合わせたものである見解が発表されています。残念ながら、地元で取り上げられただけでグローバルニュースにはなりませんでした。 これまでの特定場所 実はこれまでも、『モナ・リザ』の背景を特定しようとする試みは繰り返されてきました。 2023年には、イタリア歴史学者シルヴァーノ・ヴィンチェッティが、向かって右側の橋を、トスカーナ州アレッツオ県ラテリーナにあったロミート・ディ・ラテリーナ橋(現在、ひとつのアーチを除いて崩壊)であると特定しています。ラテリーナの地質学的な相似性も指摘しています。 ラテリーナの岩柱と『モナ・リザ』の山並みの比較は、下記の通りです。確かに似ていますね。 ラテリーナの岩柱と『モナ・リザ』向かって左の山並みとの比較 写真:guardian.com さらに遡って、2011年には、イタリア美術史学者カーラ・グローリは、『モナ・リザ』の向かって左の曲がりくねった道と橋は、イタリア北部エミリア=ロマーニャ州ピアチェンツァ県のボッビオであると特定していました。 他にもさまざまな場所として特定されていますが、確かに似ているものの、どの案も確証には至りそうもないのが特徴です。 世界一有名な絵画の背景が特定できれば、研究者としても名声につながりますし、その場所が観光地となるのは疑いがないので商業的な目論見も特定する試みを後押ししているのかもしれません。 ダ・ヴィンチの風景画 一方、美術史から展望すると、ダ・ヴィンチの風景画の場所を特定する試みはあまり意味がないです。 というのも、ダ・ヴィンチは、背景の風景画として、実在の風景そのものを写生することはありませんでした。ダ・ヴィンチが例外なのではなく、当時の他の画家もそうでした。 ダ・ヴィンチは、「人物の背景ではない風景画」も描いていますが、この『アルノ谷の風景』も彼が子供時代に育った場所の写生ではなく、彼のイマージネーションとの再構成と言われています。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『アルノ谷の風景』、1473, インク、ペン、190 х 285…

「ミケランジェロ最後の30年」

晩年の挑戦がすごかった! 2024年を飾る美術展のひとつ「ミケランジェロ最後の30年」が、大英博物館で遂に始まりました(会期:2024年5月2日ー7月28日)。 ミケランジェロ(1475-1564)と言えば、20, 30代で制作したサン・ピエトロ大聖堂『ピエタ』、シニョリーア広場『ダビデ像』、『システィーナ礼拝堂天井画』がまず思い浮ぶのではないでしょうか。 ところが実際には、引退を考えそうな59歳で、システィーナ礼拝堂主祭壇壁画『最後の審判』を委託され、71歳にはサン・ピエトロ大聖堂改築とドームデザインの建築家と任命されています。晩年にになってからより難度の高いプロジェクトにチャレンジしていたのです。 ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ、晩年の「ミケランジェロの肖像画」, 1548 - 1553年頃 Photo: © Telyers Museum, Haarlem ミケランジェロのプライベートな一面 この美術展についてはすでに予告はしていたのですが、ミケランジェロのプライベートが垣間見られる素描作品をご紹介したくて再度取り上げることにしました。 ミケランジェロというと、完璧で不屈の精神を持っている印象が強いのですが、親友トンマーゾ・デイ・カヴァリエーリ(1512あるいは19年頃-87)に素描をプレゼントした際のエピソードが微笑ましく、とても興味深いのです。 晩年の親友カヴァリエーリ ミケランジェロは、1532年冬にトンマーゾ・デイ・カヴァリエーリ(1512あるいは19年頃-87)に出会います。そして、彼の死までずっと親友であり続け、その間に多数の書簡・詩・素描を送っています。カヴァリエーリは若き高官で、ミケランジェロの晩年の建築プロジェクト(カンピドーリョ広場など)にも関わっています。イケメンかつエレガントな物腰で、チャーミングな人物であったことが伝わっています。 ミケランジェロ・ブオナローティ?, 『トンマーゾ・デイ・カヴァリエーリの肖像』、Photo: Wikipedia ミケランジェロにとって、カヴァリエーリは最も親密な友人であったことは確かで、さらに自身で「今世紀の光、全世界の模範」と評していることや、素描に選ばれた題材や書簡にこめられた深い愛を匂わせる表現などによってホモセクシュアルな関係が研究の的にもなってきました。 お互いに好意以上の感情があったのは事実でありながら、それ以上については憶測の域を出ず、むしろ稀代な芸術家として名声をとどろかせていたミケランジェロと、政府のサラブレッドのようなカヴァリエーリが、お互いの立場を尊重しながらアートを媒介とした交流を楽しんでいたと理解する方が自然に思われます。 カヴァリエーリへの素描のギフト ミケランジェロはすでに芸術界の大スター、そんな彼があくまでもプライベートでカヴァリエーリへ素描のギフト『パエトンの墜落』(送った素描4作品のうちのひとつ)を送ります。 ミケランジェロ・ブオナローティ, 『パエトンの墜落』、1532-33、紙、チョーク、31.2 X 21.5cm…

フランシス・ベーコンの抵抗できない魅力

アンリ・カルチェ・ブレッソン、『フランシス・ベーコン』、Photo: @foundation Henri Cartier Bresson. 異彩を放つ画家フランシス・ベーコン 20世紀の画家で、1億ドル以上(今ですと約150億円)で作品を取引された画家は現時点で8人います。 パブロ・ピカソ、ウィリアム・デ・クーニング、マーク・ロスコ、ジャスパー・ジョーンズ、ジャクソン・ポロック、アンディ―・ウオーホール、ロイ・リキテンシュタイン、バーネット・ニューマンそして、このブログのトピックであるフランシス・ベーコン(1909-1992)です。 それぞれの画家は一度見たら忘れられない個性的な画風の持ち主ですが、中でも格別な異彩を放っているのは何と言ってもフランシス・ベーコンでしょう。 最も眼にするチャンスが多いフランシス・ベーコンの作品は、次かもしれません。 フランシス・ベーコン、『ベラスケスによる教皇インノケンティウス10世の肖像画後の習作』、1953年、油彩、キャンバス、153 cm × 118 cm、Photo: wikipedia ベーコンのほとんどの作品は、身体が歪曲された人物画で、彼自身は「事実の残酷さの描写に奮闘している」と述べています。 第一印象が突き放したような冷ややかで怖い絵が多いのですが、見続けているとその奥に底はかとない闇が感じられます。「怖いもの見たさ」で目を釘付けにする不思議な魅力を放っています。 さて、皆さんの印象はいかがでしょうか。 フランシス・ベーコン芸術の基盤 ベーコンは、アイルランド生まれの英国人です。十代から彼の同性愛が家族関係に亀裂を生み、ロンドン、ベルリン、パリへの逃避旅行が、皮肉にも彼の芸術性の基盤を形作っていきます。 例えば、ベルリンで彼が見たサイレント映画『戦艦ポチョムキン』(1925年)は生涯にわたって多大な影響を与えています。この作品は、ソビエト連邦のセルゲイ・エイゼンシュテイン監督で、1905年に勃発した戦艦ポチョムキンの乗組員による反乱を描いています。当時若干27歳だったエイゼンシュテインは、革命的なプロパガンダをトピックとして、モンタージュ理論(個々のカットを編集して組み立てること)を試み、映画史において革命的な作品として高い評価を得ています。 『戦艦ポチョムキン』に登場する顔面の眼鏡が割れて血を流し、叫んでいる女性看護師のカット(恐ろし過ぎる画像なのでここには掲載しないでおきます)に触発されて、後に習作を描いていますし、その他の作品にも影響力が顕著に見られます。 またパリでは、多くの美術展を訪れるうちに、画家への興味が芽生えていきます。特に、ニコラ・プッサン(1594-1665)作『罪なき人々の虐殺』は、「これまでに描かれた最高の人間の叫び」として彼の記憶に刻まれています。 ニコラ・プッサン、『罪なき人々の虐殺』、1628年頃、147× 171 cm、油彩、キャンバス、 コンデ美術館、Photo:wikipedia 画家になる意思を抱いたのは、18歳の夏にピカソのドローイング作品に出会った時と言われています。それ以降に、ドローイングと水彩画を独学で始めています。 ですが、その後すぐに画家の道を歩んだわけではなく、インテリア、家具デザイナーとして友人や少数の顧客相手に活動していたようです。 フランシス・ベーコンの代表作 ■1930年代 フランシス・ベーコンが画家として認知されるきっかけとなったのが、『磔刑』(1933年)です。ピカソの『三人のダンサー』(1925) に発想を得ています。『戦艦ポチョムキン』のモノクロ画面と人間の内なる叫びを彷彿とさせます。「磔刑」は、ベーコンの一生涯にわたって繰り返される重要なテーマとなります。 フランシス・ベーコン、『磔刑』、1933、62…

ゴッホ作『ひまわり』に魅かれる理由

SOMPO美術館開催「ゴッホと静物画」(1月21日閉幕)、名古屋、神戸、東京を巡回した没入型美術展「ゴッホ・アライブ」(東京展は3月31日まで)のおかげで、ちょっとしたゴッホブームになっている今日この頃です。 さて、『ひまわり』はほとんどの方が知るゴッホの代表作です。レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』、エドヴァルド・ムンク『叫び』と同等なくらい集客力のある名画です。 でも、『ひまわり』により魅きつけられる方が多いのではないでしょうか。実際に「何回見ても飽きない」とか、「見るたびに新たな発見がある」とか、「エネルギーをもらえる」などと聞くことがよくある本当にファンが多い作品です。 なぜでしょうか? その理由のひとつは、「ごく身近な世界の本質を鋭い観察眼で見抜いていたから」でしょう。 『ひまわり』を少し深堀りしてみるとご納得いただけるのではないかと思います。 『ひまわり』をじっくり観る ゴッホは、「ひまわり」を画題とした作品を計11点残しています。パリ滞在時(1886-1888)に横たえた枯れているひまわりを4点、都市に疲れ、南仏アルル(1888-1889)に移住して、花瓶に生けたひまわりを7点を描いています。 このうちの1点であるロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵『ひまわり』を観察してみましょう。 フィンセント・ファン・ゴッホ、『ひまわり』、1888、92.1 X 73 cm、油彩、ナショナルギャラリー、ロンドン 咲き具合の異なる15本のひまわりを描いています。つまり、この作品は、花の一般的な美しさというよりは、自然の生命のパターンの描写と言えるでしょう。 さらに近づいて観ますと、ひまわりは自然のパターンが密に刷り込まれた特徴的な花であることを実感できます。次のクロースアップ写真を観ると一目瞭然なのですが、ひまわりは、花弁から、雌しべ、雄しべ、包葉、種まで自然が創り出した驚異的なパターンが連続しています。 ゴッホはフィボナッチ数列に共感していた?! ここまでのクロースアップで詳細に観察しますと、自然が創り出す神秘的な造形に魅せられてしまいます。 種の部分は、時計回りと反時計回りで2重のスパイラル(対数螺旋)を形成しているのを御覧いただけるでしょうか。そしてそれらのスパイラルの数は、イタリアの12世紀の数学者であるピサのレオナルド(レオナルド・フィボナッチ)が発見したフィボナッチ数列によって決まっているのです。 フィボナッチ数列では、数列3項以降の数字が、その手前2項の和になります。つまり、0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89,…

今、没入型アート体験の盛り上がりがすごい!

Q & A 質問 まず、質問します。2023年に入場者数が多かったのは、AとBのどちらでしょうか? A. 大英博物館 (世界最初の公立博物館で訪問者数では常にトップ10に君臨) 大英博物館、全景、Photo:British Museum B.アウターネット、ロンドン(ヨーロッパ最大のデジタル展スペース) アウターネット、ロンドンの外観 Photo:outernetglobal.com 回答 答えは、Bです。あの大御所の大英博物館の入場者数が583万人、アウターネットロンドンには、なんと625万人が訪れました。世界一の入場者数を誇るルーヴル美術館は886万人でしたから、設立後たった1年でここまで多くの人々を牽引したのは本当に驚異的です。 この無視できないアートトレンドについて、ご一緒に掘り下げることにしましょう。 さて、「没入型アート体験」と言ってもその形態はさまざまです。ここではオフラインでアートの中に没入しながら五感を通して臨場感を体感できる展覧会にフォーカスします。バーチャルに美術館体験ができるオンライン美術館は除外しますのでご了承ください。 没入型アート体験のはじまり 没入型アート体験を世界で初めて公開したのは、その目的に特化してオープンしたパリのアトリエ・デ・リュミエール (Culture spacesによって設立 )です。2018年4月のことでした。 その際に3つの展覧会を同時公開したのですが、そのうち最も注目を浴びたのがウィーン分離派の中心人物グスタフ・クリムト展でした。クリムト(1862-1918)作品についてはお馴染みの方も多いでしょう。 クリムトに特徴的なゴールドと細密な装飾性が、巨大スクリーンに広がり、文字通り彼の世界に没入することができます。その上、同時代のエゴン・シーレ(1890-1918)や、クリムトから多大な影響の受けたフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー (1928-2000) の作品も映し出されて比較できるようになっていました。 2018年4月 グスタフ・クリムト展、アトリエ・デ・リュミエール © Culturespaces / Nuit de…

2024年はミケランジェロに酔いたい

2023年は、世界各地でヴィンセント・ファン・ゴッホ展がユニークな切り口で開催され、まさにゴッホの年でした。SOMPO美術館開催「ゴッホと静物画―伝統から革新へ」は、2024年1月21日までですので、まだご覧でない方はまだチャンスがあります! 今年は、アンリ・マチス(国立新美術館とバイエラー財団)、ロイ・リキシュタイン、カスパー・フリードリヒといったコアなファンが多い画家の展覧会が多い印象です。 その中で、アートファンならばほとんどの方が至福の時間を過ごせそうなのが、2つのミケランジェロ展です。どちらもロンドンですが、お近くにご出張・旅行の際に足を伸ばしてみるのはいかがでしょうか。 ミケランジェロ:最後の30年 大英美術館 2024年5月2日-7月28日 ミケランジェロ・ブオナローティ(1475–1564)、『最後の審判』、1536–1541年、フレスコ、13.7 m × 12 m、システィーナ礼拝堂 本展覧会のハイライトは、システィーナ礼拝堂の祭壇をカバーするフレスコ画『最後の審判』の下絵(上がその中の一枚)です。『最後の審判』には300体以上の人物が描かれていますが、その一部のスケッチが展示されます。 ちなみにミケランジェロの素描に、どのくらいの価値があるかと申しますと、2022年5月にクリスティーズパリのオークションで、次のドローイングが約2300万ユーロ(当時日本円約31億円)で落札されています。市場に出回る可能性はゼロに近いですが、『最後の審判』の下絵となるとそれ以上の価値がつくことは容易に想像できます。 ミケランジェロ・ブオナローティ、『裸体の少年と2人の人物』、ペン、インク、紙、33 x 20 cm、Photo: Christie's その他に陳列が予定されているのが、『エピファニア』です。エピファニアは、キリストの顕現を祝う日で、伝統的には1月6日とされていました。この作品は、現存するミケランジェロの2点のカートゥーン(壁画のための実物大下絵)のうちの1点か、あるいは等身大ドローイングと言われています。 ミケランジェロ・ブオナローティ、『エピファニア』、c. 1550–53、チョーク、紙、232 cm × 165 cm、大英博物館蔵、Photo: wikipedia この『エピファニア』ですが、そのサイズと紙で傷みやすく、写真を見ただけでもかなりデリケートな状態であることが伺えます。大英博物館が所有したのが1895年で、それ以降修復し続け、2018年に始めた修復を2024年5月に終える予定とのことですが、この作品を見られるチャンスはかなり希少であることは間違いないでしょう。 ミケランジェロは、いくつかの建築プロジェクトを手掛けています。メディチ家のために、デザインしたローレンシアン図書館(1524)、サグレスティア・ヌォヴァ(聖具堂、1520-1533)は、彫刻家としてのこだわりが、さまざまなデイテールに表現されていて、まさに芸術的建築の傑作です。 今回の展覧会では、彼の最大にして最後の建築プロジェクトとなったサン・ピエトロ大聖堂についてのスケッチや資料が観覧できる予定です。引退を考えていた矢先、建築家として正式な教育を受けたことのない晩年の彼に、どんな葛藤があり、いかに創造性を発揮していったかについての貴重なヒントをくれそうです。 Etienne DuPérac、『ミケランジェロが考案したサン・ピエトロ大聖堂内部縦断面図』、1551, 1558–61(1568年出版)、エッチング、エングレービング、33.7 x 47.6 cm、メトロポリタン美術館蔵 ミケランジェロ、レオナルド、ダヴィンチ:フィレンツェ c.1504 ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ  …

アートを標的にする環境活動家に伝えたいこと

アートと美術館が標的に 近年、環境活動家による芸術破壊行為が頻発しています。ニュースを通して、気づかれた方も多いのではないでしょうか。 美術館で破壊行動を行った環境活動団体別の件数(2022年)は次の通りです。団体名称は日本語にするとわかりにくくなるので、そのままにしてあります。 Kinyon, L., Dolšak, N. & Prakash, A. When, where, and which climate activists have vandalized museums. npj Clim. Action 2, 27 (2023).  https://doi.org/10.1038/s44168-023-00054-5 トップ3は、第3位:レッツェ・ゼネラチオン(最後の世代、ドイツとオーストリア拠点)、第2位:ジャスト・ストップ・オイル(イギリス拠点)、第1位:ウティマ・ゼネラッチオーネ(最後の世代、イタリア拠点)となっています。いずれの団体も、気候変動に関わる政府行動に抗議するために2021-2022年に発足されています。 気候変動の主な原因のひとつである化石燃料の使用は、美術館や美術品とは直接的な関係は薄いにも関わらず、これだけの団体がターゲットにしているのは驚くべき状況ではないでしょうか。 ゴッホもモネもフェルメールも 圧倒的に多い攻撃方法が、液体や固形物で汚すことです。ナイフで切り裂く、ハンマーで叩くこともあります。そして狙いは多くの場合、世界的に超有名な名画となります。 金銭的価値が高いところからご紹介しますと、レオナルド・ダ・ヴィンチ作『モナリザ』(ルーブル美術館)は、2022年5月に個人環境活動家(自称)によってケーキを投げつけられました。車椅子に乗った老女に扮した男性が作品に近づいて行為に及んでいます。 Photo:…