なぜアートには女性の裸が多いのか?

多すぎる!アートの中の女性ヌード

お気づきではないでしょうか。アートの中にはやたら裸の女性が登場します。

いったいなぜでしょうか?

セクハラやジェンダーバイアスに敏感な世の中で、今後も制約なく描き続かれていくのでしょうか? その辺を探ってみたいと思います。


女性ヌードのさまざまな意味

ひと言で女性ヌードと言っても、さまざまな意味があります。文化によっても異なりますが、ここでは西洋美術史の流れをざっくりと追いかけてみましょう。


■多産への願い?

現存する最も古い裸体の女性像のひとつに『ヴィレンドルフのヴィーナス』があります。


『ヴィレンドルフのヴィーナス』、約25000年前、石灰岩、11cm、ウィーン自然史博物館

約25000年前(旧石器時代)に製作されたとされる高さ11cmの小像です。オーストリア北東部ヴィレンドルフで発掘されました。

顔、足首より下はなく、編まれたような髪、細い腕が抱えた大きな乳房と腰回りが印象的です。「多産の女神」という説がありますが、説得力ある根拠があるわけではありません。

しかしながら、同時代からは同サイズの女性像ばかりが発見されていることから、祭儀での何らかの機能を負っていそうですし、女性ならではの特徴が強調されていることから、多産とか、安産への願いという可能性は十分あり得ます。


■美しい女神たち

ギリシャ神話に登場する女神たちが、どんな外見をしていたのかは誰も知らないわけですが、ほとんどすべての場合で均整のとれた体躯で描写されています。超越した存在である女神は、美しいと信じられていたのでしょう。

特に、美と愛と性の女神アフロディテ(後にローマ神話のヴィーナスと統合)は、完璧なボディーでアートの中に登場し続けます。

最も有名なアフロディテ/ヴィーナスと言えば、皆さんもよくご存じのサンドロ・ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』でしょう。


サンドロ・ボッティチェッリ、『ヴィーナスの誕生』、1484-86、テンペラ、キャンバス、172.5 cm × 278.9 cm、ウフィツィ美術館 Photo: wikipedia

かなりエロティックです。しかし、人間の裸体ではないことと、新プラトン主義的思想+キリスト教の影響により、当時の人々は単なる肉体的な官能とは見ずに、「性愛の先に存在するより高次な神聖愛」の方で解釈したはずです。


■ヴィーナスと人間が同化する

時代が下ると、ヴィーナスの名を使っているものの、実際には人間の女性ヌードが公開されるようになります。現存するこの種の最も古い例は、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ウルビーノのヴィーナス』です。


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ、『ウルビーノのヴィーナス』、1534年頃、油彩、119.2 cm X 165.5 cm、ウフィツィ美術館 photo: wikipedia

明らかに特徴ある女性の顔で、具体的な女性がモデルであることを示唆している点が、過去の作品とは一線を画しています。ベネチアの高級娼婦にひとりと言われています。この作品は、ウルビーノ公となったグイドバルド2世・デッラ・ローヴェレの1534年の結婚を祝福するために依頼された説があります。

この説はもっともらしく、後方右に立つ侍女は、豪華なドレスを肩にかけていて、結婚のセレモニーが終わった後のようです。

ドレスを脱ぎ捨ててソファに横たわる女性は、もはやヴィーナスの神聖美ではなく、なまめかしい視線と身体で誘惑する人間の官能美を表現しています。


■女性ヌードが増えたきっかけ

アートの中で女性ヌードが増えたきっかけを作ったのが、18-19世紀に人気があった「オダリスク(ハーレムの娼婦)」を主題とした絵画です。エギゾチックな女性が裸で横たわる姿は妖艶で肉感的で、見かたによっては当時のマイルドなポルノグラフィーにも見えます。ネットではぼかしが入ることもあるくらいです。このジャンルの絵が多数描かれた裏には、求めた男性が多かったことは間違いありません。


フランソワ・ブーシェ、『ブロンド・オダリスク』、1751、59.5 X 73.5 cm、油彩、キャンバス、ヴァルラフ・リヒャルツ美術館、ケルン photo: wikipedia

有名なオダリスクをもう一作品ドミニク・アングル『グランド・オダリスク』を取り上げておきましょう。

こちらの方は、オダリスクをヴィーナスのような理想美で、まるでモニュメントのように描くことによって、裸婦を描くことを正当化しているようにも解釈できます。


ドミニク・アングル、『グランド・オダリスク』、1841、油彩、88.9 cm × 162.56 cm、ルーブル美術館 photo: wikipedia

アートだから許されるのか?

  • ジェンダーバイアスへの疑問

フェミニズムの潮流の中でセクシャルハラスメントが意識され始めたのが、1970年代。訴訟が初めて提起されたのが、90年代。この頃になると、アートに描かれた多すぎる女性ヌードに対して、ジェンダーバイアスの疑問が提起されるようになります。


ゲリラガールズ、『女性はメトロポリタン美術館に入るのに裸にならなければいけないの?』、1989、プリント、280 × 710 mm Photo: tate.org.uk

ゲリラガールズというフェミニストかつアクティビストで、社会の矛盾を風刺するアーティストのグループが作成したポスターです。「近代美術セクションのアーティストの5%以下が女性なのに、その中のヌードの85%は女性だ」と、ジェンダーバイアスを痛烈に皮肉っています。


  • セクハラを想像させる絵画はどうなる!?

近年、パブロ・ピカソの生涯が相次いで映像化されています。ピカソの紆余曲折した女性遍歴を知ると、彼のアート作品に厳しい眼を向ける人々が少なくありません。

孤児院から迎え入れた幼い養女をヌードモデルにしたり、45歳の時に17歳のマリー・テレーズ・ウォルターと不倫を始めたりしています。ピカソと特に深く関わった6人の女性(フェルナンド・オリヴィエ、オルガ・コクラヴァ、マリー・テレーズ・ウォルター、ドラ・マール、フランソワーズ・ジロー、ジャクリーヌ・ロック)のうち2人がピカソ死後に自殺し、あとの2人は精神的に病んでしまいます。そして、女性に対するひどい扱いは作品にも反映されています。


パブロ・ピカソ、『赤い肘掛椅子の大きなヌード』、1929、 油彩、キャンバス、195×129 cm、© Estate of Pablo Picasso / Artists Rights Society (ARS), New York

ピカソの最初の妻オルガ・コクラヴァの肖像画です。人間というよりは、モンスターの一種のように描かれています。1927年頃から45歳のピカソは、17歳のウクライナ人バレリーナ、マリー・テレーズ・ウォルターに夢中となり、妻との関係は冷え切っていきます。

この作品には、ピカソが辟易していたオルガの上流階級指向や蓄積された憎悪が否応なく込められています。ピカソは同時期に、彼女のモンスター的な肖像を他にも残しています。


まとめ

アートの中には、いろいろな意味の裸婦が描かれています。神と俗の領域を往来しながら、神話的になったり、官能的になったりします。現代では過去の流れから女性のヌードを許容しつつ、人間そのもの実在やストーリーとして描かれる機会が多くなりました。

それにしても、今後ピカソ作品の価値は下がるのでしょうか。

それを検証するには、データがまだ十分ではありません。以前にも触れましたが、美術価値は複雑な要素が絡み合っているので、その考察にはある程度の時間が必要です。

ただ、自己の自由表現であるアートだからこそ、今後も許されていく可能性は高いでしょう。それにピカソ作品を否定しまうと、近代美術史自体を説明できなくなってしまうほどに間違いなく天才です。圧倒的に嫌われる一方で、圧倒的に支持されていくのだろうと想像します。