未完の『荒野の聖ヒエロニムス』はいつか絶対に観たい

ダ・ヴィンチ作品の真贋には、さまざまな議論があります。 その中で、この『荒野の聖ヒエロニムス』は未完成にもかかわらず、真作であることを疑う余地がない数少ない作品のひとつです。なぜでしょう? この作品にはダ・ヴィンチしか描くことのできない独自性が詰まっているからです。 もしも完成していたら、ダ・ヴィンチ以外にも多くの画家たちが手がけた『荒野の聖ヒエロニムス』の中で、異彩を放つ圧巻の作品になってことは間違いありません。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『荒野の聖ヒエロニムス』、103 cm × 75 cm、1482年頃、油彩、テンペラ、パネル(クルミ材)、バチカン美術館、バチカン ※この『荒野の聖ヒエロニムス』を含むダ・ヴィンチの絵画全作品が、「ダ・ヴィンチの5つの部屋」でご覧いただけます。ルネッサンスの臨場感をお楽しみください! バックグラウンド この作品が知られるようになったのは、19世紀アートコレクターで、ナポレオン・ボナパルトの叔父であるフランス聖職者ジョゼフ・フェッシュ(1773〜1839)のコレクションになってからのことです。 ポプラ材パネルに描かれたこの絵は、異なる場所で5分割された状態で発見されました。どうしてバラバラになったのか、そのいきさつについては分かっていませんが、奇跡的につなぎ合わされて蘇りました。 ダ・ヴィンチは、この作品を死ぬまでずっと手放さなかったのかもしれません。というのも、1525年の時点では、弟子サライ(ジャン・ジャコモ・カプロッティ)の所有物リストに2点の聖ヒエロニムスの絵画が記録されていて、そのうちの一点である可能性が高いからです。 作品の概要 題材 聖ヒエロニムス(347年頃 〜419/420年、記念日9月30日)は、西洋における4人のキリスト教の父(他は、アウレリウス・アウグスティヌス、アンブロジウス、グレゴリウス1世)のうちのひとりです。 また、聖書をギリシア語とヘブライ語から、ラテン語に翻訳しました。20世紀半ばまでカトリック教会における正式な聖書として知られるウルガタ聖書です。 『荒野の聖ヒエロニムス』は、ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230年頃〜1298年)著『黄金伝説』の内容に影響を受けた描かれた可能性が高いです。『黄金伝説』とは、キリスト教の聖者たちの列伝で、ルネッサンス期にはイタリア語版だけで異なる11バージョン存在するほどに人気がありました。 ヤコブス・デ・ウォラギネ、『黄金伝説』、1290年頃 Photo:Sailko 聖ヒエロニムスには、ヘブライ語やギリシャ語を研究する「学者としての側面」もありますが、『黄金伝説』が強調したのは、カルキスの砂漠(シリア)砂漠で約4年間隠遁(374〜378年頃)し、壮絶な気候の中で、孤独や欲望と戦う「苦行者としての側面」です。 言うまでもなく、ダ・ヴィンチの『荒野の聖ヒエロニムス』は後者に焦点を合わせています。 内容 ローブをまとっただけの聖ヒエロニムスを画面中央に配し、岸壁とその奥に水面が広がる風景を背にし、左足を跪いています。その表情は、人間の限界をキリストへの献身で克服しようとする壮絶な魂の葛藤が描写されています。 石を握った右手を伸ばしていますが、これは聖ヒエロニムスのイコノグラフィーです。彼が苦行中に、邪悪な欲望を鎮静するために石で胸を打っていたことに由来します。 聖ヒエロニムスと言えば、ライオンと、十字架上のキリストも頻繁に一緒に描かれます。ここでは、ライオンは聖ヒエロニムスの前に横たわり、吠えているようです。十字架上のキリストは、右端にかすかに見えます。十字架上のキリストの左側には、教会があります。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、「荒野の聖ヒエロニムス」部分、バチカン美術館、ローマ ライオンは、聖ヒエロニムスがライオンの足に刺さった棘を抜き、治療して以来、共に過ごすようになったという伝説に由来しています。ダ・ヴィンチは実際にライオンを見たことがあり、その身体と尾のしなやかなカーブが確かな輪郭で描かれています。 ここが革新的 構図が斬新 岸壁の2か所からその奥を望む背景、聖ヒエロニムスとライオンの配置が斬新です。『荒野の聖ヒエロニムス』が、数年後に手掛けた『岩窟の聖母』への脚掛けとなっていることは明らかでしょう。岸壁の2か所からその奥を見渡せる背景も、そして中央で跪く聖母も酷似しています。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『岩窟の聖母』、1483〜1486、油彩、キャンバス(パネルから改変)、199 cm…