大ゴッホ展公開中!『夜のカフェテラス』を考察する

上野の森美術館で、遂に「大ゴッホ展──夜のカフェテラス」が開幕(2026年5月28日 〜8月12日)しました。 せっかくですので、その目玉であるクレラー=ミュラー美術館所蔵『夜のカフェテラス』について少し丁寧に観ていきたいと思います。 実は、この作品は、レオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』へのオマージュ説も出ておりまして、そのあたりもご紹介してまいります。 フィンセント・ファン・ゴッホ、『夜のカフェテラス』、1888、81.0 cm × 65.5 cm、油彩、キャンバス、クレラー=ミュラー美術館、エデ、オランダ 作品の背景 ファン・ゴッホが、1888年9月中旬にアルル旧市街のフォルム広場に面したカフェを描いた作品です。パリからアルルへと移り住んで半年が過ぎ、明るく温暖な気候の地で心理状態が安定し、創作意欲も高まっていた時の一枚です。 このカフェは、彼が住んでいた黄色い家から徒歩約10分圏内にありました。ファン・ゴッホは常に金欠気味でしたが、そのフォルム広場のカフェは、他よりも高級であったにもかかわらず彼の行きつけだったようです。 この作品には次のスケッチが残っていますが、絵画の方もある段階までその場で描いた可能性が高いです。妹に宛てた手紙の中で、次のように述べています。 「私は夜に現場で描くのが大好きだ。昔の画家はまずスケッチをして、昼間にアトリエで絵を仕上げた。しかし私は、その場で直接描く方が性に合っている。」(ウィルヘルミナへの手紙、1888年9月14日) フィンセント・ファン・ゴッホ、『夜のカフェテラス』、ドロ-イング、1888、62.8 X 47.1 cm、チョーク、ペン、インク、グラファイト、紙、ダラス美術館 作品の内容 深い夜の街角でにぎわうカフェが、巧みな配色、考えられた構図、興味深いモチーフによって捉えられた作品です。視点誘導(カフェから、小径、その奥、夜空へと)が卓越しています。 まず眼が’引きつけられるのは、壁から伸びたアームに取り付けられたガス灯から放たれる強い黄色い光です。その光は、天井や壁、石畳までも広がっています。 そのカフェでは、ウェイターと思われる白い服を着た人物が中央に立ち、それを囲むように、11人の客が丸テーブルに着席し、ひとりがドアのところに立っています。カフェ内だけでも、バランスのとれた構図が上手いです。 厚塗りの絵具は光を触覚的な体験として表現しており、異なる筆致(短い、長い、渦巻、力強い)がリズムを生んで画面を躍動させています。こうしたファン・ゴッホの真骨頂がいかんなく発揮されています。 そのカフェから視点は右の石畳の小径へと、さらにはその奥の闇へと誘導されます。ここでは、消失点が右にそれた一点透視図法を使っています。そこから、馬車がこちらに向かってきます。小径にいる人々の中には、馬車を待っている人がいるのかもしれません。 眼が上に誘導されると、ブルーの空には、満天の星が輝いています。UCLA教授だった美術史研究者アルバート・ボイムによれば、ファン・ゴッホは、忠実に空の様子を捉えようとしており、みずがめ座の位置から11:00PM頃と推測されています。 色は補色を並列させ、また夜にもかかわらず黒を広く使用しないところに特徴があります。実際、ファン・ゴッホは、黒に頼らない夜を描いたことを自負していることが、妹への手紙からうかがえます。 「今や、黒を使わない夜の絵ができあがった。美しい青、紫、緑だけで描かれた夜であり、その色に囲まれた中で、明るく照らされた広場は淡い硫黄色やレモン・グリーンに染まっている。」(ウィルヘルミナへの手紙、1888年9月14日) 友人からのインスピレーション 『夜のカフェテラス』の制作にあたり、ファン・ゴッホを刺激した一枚の絵がありました。 それが、同時代のフランス画家ルイ・アンクタン(1861–1932)が描いた次の『クリシー大通り(通り ― 午後5時』です。アンクタンが26歳の時、『夜のカフェテラス』の10か月前に制作した作品です。 アンクタンは、ファン・ゴッホと同じ先生フェルナン・コルモン(1845–1924)の画塾で共に学び、切磋琢磨していました。 ルイ・アンクタン、『クリシー大通り(通り…

抽象画をプロのように鑑賞する方法

いまや抽象画は、美術館・ギャラリー・アートフェアなどはもちろん、インテリアデコレーションとしてもますます身近なものになりました。 もちろん、その見かたは、限りなく自由です。 とは言え、どんなアートでもそうですが、「よく見てない」は致命的です。作品の意味は捉えにくくなりますし、楽しみも半減してしまいます。 そこで今回は、どんな抽象画でもポイントを見逃さずに、十分に堪能していただくためのポイントを共有したいと思います。 抽象画の父の言葉 ワシリー・カンディンスキー、『Composition VIII』、1923年、140 cm X 201 cm, 油彩、キャンバス、グッゲンハイム美術館 Photo:wikipedia ロシア出身の画家ワシリー・カンディンスキー(1866-1944)は、「抽象画の父」と呼ばれ、抽象絵画を世界で初めて理論的にも実践的にも確立した画家です。 彼は、次のように語っています。 「耳は音楽に傾け、目は絵画に向け、そして……考えるのをやめなさい!その作品が、あなたをこれまで知らなかった世界へ歩き出させてくれたかどうかだけを自分に問えばいい。もし答えがイエスなら、それ以上何を望むというのですか?」 この言葉は、まさに「抽象画をどう見るか」の核心をついています。どういう意味かを詳しく見ていきましょう。 STEP 1: 意味探しをしない パブロ・ピカソ、『鏡の前の少女』、1931-1932年、162.3 x 130.2 cm, 油彩、キャンバス、ニューヨーク近代美術館、Estate of Pablo Picasso / Artists Rights Society…

なぜ名画には犬が登場するのか?

家族写真を撮ろうとしたら、なぜか犬だけが完璧に写っていて、他の人は眼をつぶっているとか、カメラを見てないとか──そんな経験はありませんか? 実はそれ、皆さんが初めてではありません。 レンブラントも、ファン・エイクも、ベラスケスも、みんな犬に「画面ジャック」されてます。名画の中の犬は、時にはこっそりと、時には堂々と存在感を放っています。 今回は、アートも犬も大好きという方のための特集です。 名画に登場する犬たち レンブラント『夜警』:美術史に響くワン! レンブラント・ファン・レイン、『夜警』、1642、アムステルダム国立美術館、363 cm × 437 cm、油彩、キャンバス Photo:rijksmuseum オランダバロック時代の巨匠レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)による名画『夜警』(1642年作、アムステルダム国立美術館所蔵)です。正式名称は、『フランス・バニング・コック隊長指揮下にある第2市民自警団』となります。 この大迫力の絵の片隅で、ひときわ元気に吠えている犬がいます。クロースアップで見ましょう。 レンブラント・ファン・レイン、『夜警』部分 Photo:rijksmuseum 長い間「なんでこの犬なのか?」と謎だったのですが、最近の研究で、レンブラントが別の画家のスケッチを参考にしたらしいことが判明しました。そちらの方もお見せしましょう。 アドリアーン・ピーテルスゾーン・ファン・デ・フェンネ、『犬の描写』、ヤーコプ・カッツ著『Self-Strijt(内なる闘争)』のための扉絵デザイン、1619年より Photo:rijksmuseum レンブラントは、「もうちょっと動きが欲しいな…そうだ、犬だ!」と思ったのだと思います。結果として、絵に躍動感とちょっとした混乱、そして愛嬌をプラスする名脇役になりました。 実際に、絵画ではよく使われる手法です。 ヤン・ファン・エイク『アルノルフィーニ夫妻像』:結婚で「良い夫婦になる」証明書 ヤン・ファン・エイク、『アルノルフィーニ夫妻像』、1434年、パネル、油彩、84.5 cm × 62.5 cm、ナショナルギャラリー、ロンドン、Photo: wikipedia 夫婦の足元でちょこんとこちらを見つめる小型犬。犬種は、ブリュッセル・グリフォンの祖先と考えられています。小さいサイズでも、その存在感は抜群です。 というのも、ただのペットではなくて、忠誠心と夫婦の誠実さを象徴しています。つまり中世版の「私たち、ちゃんと信頼し合ってます」というアピールになっています。キュートな犬が登場するだけで、画面に暖かさと生命感が感じられます。 構図的にも中央でふたりをつなぎ、また犬だけがつぶらな瞳で私たちと視線を合わせるので、もう家族の一員としての圧がすごいです。 それにしても、ファン・エイクの生きているような細密描写には恐れ入ります。 ヤン・ファン・エイク、『アルノルフィーニ夫妻像』部分 Photo:wikipedia ベラスケス『ラス・メニーナス』:王宮のど真ん中でくつろぐ大物 ディエゴ・ベラスケス、『ラス・メニーナス』、1656年、318 cm × 276 cm、油彩、キャンバス、プラド美術館、マドリード Photo: wikipedia この複雑で不思議な構図の絵の中で、堂々と寝そべっているのが大きなスペイン・マスティフ犬です。…

X’masに見たい!キリスト降誕のアート

仏画や仏像好きは多数いらっしゃるものの、キリスト教アートが好きという方は少ない気がいたします。おそらくは、とっつきにくいと感じる方が多いのではないかと想像しています。 しかしながら、宗教絵画にはみごとな作品が多いのも事実です。なぜならば、信者であるアーティストたちが神への帰依のために、魂を込めて描くからです。 今回は、クリスマスにちなみまして、「キリスト降誕」のアートに焦点をあてます。美しさ・祝福ムード・ほのぼの感に加えまして、時代や地域やアーティストによる独自性を比較しながらお楽しみいただけますと幸いです。 「キリスト降誕」とは? 「キリスト降誕」は、マタイとルカ福音書のそれぞれ1~2章に記されています。 二つの福音書では誕生前後のエピソードが異なりますが、共通部分は、 1)キリストがユダヤのベツレヘム(現代のパレスチナ)で生まれたこと;2)母はマリアであること;3)父はヨセフ(マリアが婚約していたダビデ王の子孫)ではなく、その誕生は神の介入によってもたらされたことです。 「キリスト降誕」は12月25日に祝うようになったわけですが、上記福音書には、その時期についての記載はありません。では、なぜ12月25日がクリスマスになったのでしょうか? クリスマスについての最初の記録は4世紀中期のローマに残っていますが、当時すでに12月25日行われていた太陽神を祭る冬至の祭典と同日に行われました。その理由は、最も暗い日を過ぎて太陽が再び力を増し始める日が、キリストは「世の光」であることと重なったからです。 「キリスト降誕」のアート 「キリスト降誕」といいますと、一般的にはその「生誕」シーンそのものを描いたアートを指します。その一方、「キリスト降誕」の前後のエピソード(すでに述べたようにマタイとルカの福音書で異なります)を描写したアートも存在します。 たとえば、マタイの福音書に書かれた「東方三賢者の来訪」、ルカの福音書に書かれた「受胎告知」「羊飼いたちの礼拝」は、多くの作品が存在するエピソードです。絵画だけでなく、彫刻、モザイク、タペストリー、祈祷書、ステンドグラスなどが制作されました。 ここでは、「キリスト降誕」と、その直後のエピソード「羊飼いたちの礼拝」を合わせた厳選6作品を見てまいりましょう。 スティリコの石棺のレリーフ スティリコの石棺、「キリスト降誕」部分、 387-390年、サンタンブロージョ教会、ミラノ 牛、ロバ、鳥に囲まれて、横たわるキリストが、ペディメント(切り妻の壁面の三角形部分)のなかに彫られています。麻の産着で巻かれてミイラのようですが、彼の生だけでなく死を象徴しているからです。 産着に巻かれ横たわる幼子キリストと牛とロバの組み合わせは、13世紀頃まで継続されています。 この石棺上のレリーフが 「キリスト降誕」の現存する最古のうちのひとつと言えるでしょう。というのも、より古いプリシラのカタコンベ(ローマの地下墓地、2世紀後半~4世紀)には、初期キリスト教美術のフレスコ画があるのですが、生まれたばかりの横たわった幼子キリストは描かれていないからです。 パラティーナ礼拝堂のモザイク 「キリスト降誕」部分、1150年頃、モザイク、パラティーナ礼拝堂、パレルモ、シチリア島 パラティーナ礼拝堂は、シチリア島パルレモのノルマン王宮2階にある礼拝堂です。 ビザンティン様式の金と色彩豊かなガラスで作った華麗なモザイクで有名ですが、モザイク版の「キリスト降誕」も含まれています。画像ではわからなくて残念ですが、光の反射が加わりますと、神聖な輝きを放って実に美しいです。 中央が「キリスト降誕」シーンです。その周りには、その前後のエピソードが描かれています。 右上から時計回りに、1)天使による羊飼いたちへの知らせ;2)羊飼いたちの来訪;3)助産婦による沐浴;4)ヨセフが頬に手を当てて心配している姿;5)三賢人と天使たち;となっております。 人間感情と自然さを最初に描いたジョット ジョット・ディ・ボンドーネ、『キリストの降誕』、フレスコ、スクロヴェーニ礼拝堂, パドヴァ, イタリア 200 x…

アート窃盗のおすすめ映画3選

2025年10月19日、ルーヴル美術館でアート強盗が起こってしまいました。1998年にカミーユ・コロー作『セーヴルへの道、パリの眺め』が盗まれて以来、7年ぶりの事件です。 今回は絵画ではなく、フランス王室の宝飾品8点です。もともと9点盗んで、そのうち最も高価な1点は逃走中に落としたために回収できたことが報道されています。合計損害額は、約150億7000万円とのことです。 その最も高価な宝飾品が、次の皇帝ナポレオン3世の皇后ウジェニーの王冠です。回収はできたものの、大きな損傷を負ったことが伝わっています。 アレクサンドル・ガブリエル・ルモニエ、『皇后ウジェニーの王冠』、1855、直径16.5cm, 金、ダイヤモンド、エメラルド、ルーヴル美術館 宝飾品を盗むところがなんとも悪知恵が回ると申しましょうか、バラして売れば、足がつかずに取引できることをよく知っているわけです。ちなみに、上記王冠をバラすとしたら、ダイヤモンド1354個にもなります。 前置きが長くなりましたが、アート窃盗って好奇心をそそられます。今回のルーヴルでの盗難も、警備員の関与が疑われていたり、滞在時間わずか4分間の犯行とか、ミステリーに包まれています。 実際に、20世紀半ばからアート窃盗を題材としたスリリングな映画がたくさん制作されています。今回は、その中から完全に独断と偏見で面白かったものを共有したいと思います。 『おしゃれ泥棒』(How To Steal A Million?) 「おしゃれ泥棒」の1シーン Photo: visual-history.com 邦題「おしゃれ泥棒」は、原題(How To Steal A Million?)とはかけ離れていますが、写真のオードリー・ヘップバーン(ニコル役)とピーター・オトゥール(デルモット役)が、ニコルの贋作者の父を犯罪者にしないために、彼の贋作「チェリーニ・ヴィーナス」をパリの美術館から盗み出すコメディです。 1966年制作ですが、アート窃盗がそれほど深刻化していない頃の優雅な作品です。その一方、20世紀中頃からアートの年代測定などの科学分析技術が登場しましたが、この作品はその点を重要な筋書きとしてとらえられています。 1970年代からアート窃盗が増え、美術館セキュリティが強化されるにつれて、映画も巧妙なサスペンス系に変化して似通った作品が多くなります。ですから、それ以前のこの作品をまず押さえておく価値があります。 20世紀中ごろの美しいパリの光景、ヘップバーンのシックなジバンシーのファッション、美男美女のロマンスを通して、古き良き時代で癒されたい方には楽しい鑑賞時間になるに違いありません。 『トーマス・クラウン・アフェアー』(Thomas Crown Affair) 『トーマス・クラウン・アフェアー』の宣材写真 Photo: westonaic.org 1968年に世界的に大ヒットしたスティーブ・マックイーン主演作品『華麗なる賭け』の1999年制作のリメイク版です。2作品とも大富豪トーマス・クラウンが、スリルを求めて道楽で窃盗するストーリーです。 大きな違いは、オリジナルはボストンの銀行、リメイク版はニューヨークのメトロポリタン美術館を襲います。また、主演のスティーブ・マックイーンは、ジェームズ・ボンド役で一躍有名になったピアース・ブロンナンに代わっています。…

ピカソの魂の傑作『三人のダンサー』

パブロ・ピカソ作『三人のダンサー(踊り子)』の完成から100周年を記念した「シアター・ピカソ」がロンドン、テート・モダン美術館で開催(2025年9月17日- 2026年4月12日)されています。 『三人のダンサー』を含む絵画・彫刻・テキスタイルなどが出展されています。お近くにお寄りの際は、一見の価値ありです。 今回は、その『三人のダンサー』の魅力について共有してまいります。ピカソの天才ぶりがまざまざと見せつけられる作品です! *タイトルの一般的な日本語訳は『三人の踊り子』のようですが、この絵には単純に「ダンサー」の方がしっくりくるような気がいたします。あくまでも私見ですが。 『三人のダンサー』を観察する パブロ・ピカソ、『三人のダンサー』、1925、2153 mm x 1422 mm、油彩、キャンバス、テート・モダン美術館所蔵、© Succession Picasso 人間の等身大サイズの大きな画面に、3人を描いています。 ダンサーというタイトルですが、ぱっと見てわかるわけではなく、よく見ると手をつなぎ合っていること・足の動き・反った体からかろうじて推測できます。 性別は、中央が女性、右は男性に見えますが、左は胸が大きいのと、赤い唇で女性に見えますが、足が極端に大きく曖昧です。中央の人物の描写はシンプルで、右の人物は影のように目立たず、左の人物を最も強調して描いています。 ダンサーと言っても楽しさは感じられず、三人の表情は、暗さ・困惑・苦痛が見受けられます。また輪郭線の不安定さや、アシンメトリーな形が不穏さを感じさせますね。 親友たちの三角関係 1925年は、ピカソにとって悲嘆にくれた年でした。親友のひとりラモン・ピショが心臓発作で突然死したからです。彼の妻ジェルメーヌ・ガルガリョは、かつてピカソのもう一人の親友カルロス・カサヘマスとデートを重ねていたものの上手く行かず、2001年にカサへマスはガルガリョを銃で殺そうと試み、それに失敗すると、自分を撃って自殺してしまいます。 ピショの死は、四半世紀も前の最悪の悲劇をピカソに思い出させます。ピカソは、この創作と親友との関係性を認めたわけではありませんが、感情的葛藤と個人的な損失がこの作品を書かせたと述べています。 絵画の中央がカルロス・カサヘマス、右がラモン・ピショ、左がジェルメーヌ・ガルガリョであると考えられています。 シュルレアリスムへ 『三人のダンサー』は、ピカソのスタイル上の転機にもなりました。それ以前では、1907-1919年にキュビズムに、1919-1925年には新古典主義に傾倒していました。 無意識のトラウマ・歪曲された身体・現実と意識の世界の境界を描いたこの作品は、その時台頭していたシュルレアリスムと整合性がありました。シュルレアリスムについては別エントリーをご高覧ください。 シュルレアリスムの創始者であったアンドレ・ブレトンの依頼に応じて、ピカソは『三人のダンサー』をシュルレアリスムの機関紙に掲載することを許可します。その一方、ピカソは自身をシュルリアリストと名乗ることは拒否しています。 『三人のダンサー』は、1965年にテート美術館の所蔵になるまで40年間、ピカソはどこにも売却することなく自らの手元に置きました。それだけ個人的な思いを詰まった大切な作品であったことが想像されます。 変幻自在なピカソのすごさ ところで、テート美術館が科学的調査を実施し、非常に興味深いことが発見されました。 『三人のダンサー』の下には、別の絵が描かれていたのです。その絵は、新古典主義のスタイルで静かに踊るダンサーたちの姿でした。はっきりとは見えませんが、顔に注目していただくとまったく異なることにお気づきいただけるでしょう。 パブロ・ピカソ、『三人のダンサー』、2012年実施のX線写真Photo…

ファン・ゴッホの6つの決定的瞬間

人生は悲喜こもごもですが、ファン・ゴッホ(1853~90)ほどドラマティックな人生を送り、その心の葛藤を鮮やかに記録に残した画家はほとんどいないでしょう。 ここではファン・ゴッホの人生の決定的瞬間を6つ選び、その時の敏感な心理を投影した絵画を共有してまいります。 ファン・ゴッホについては、別ブログ「あの頃からファン・ゴッホは天才だった」、「ファン・ゴッホ作『ひまわり』に魅かれる理由」、「ファン・ゴッホが深く学べる2023年」、「ゴッホ絵画盗難のなぞ」、「Sompo美術館蔵ファン・ゴッホ作『ひまわり』はどうなるのか?」も書いております。合わせてお楽しみください! 1885年 画家としての第1歩 フィンセント・ファン・ゴッホ、『ジャガイモを食べる人々』、1885、81.5 cm × 114.5 cm、油彩、キャンバス、ゴッホ美術館、アムステルダム Photo:Wikipedia ファン・ゴッホが32歳の時に描いた最初の記念すべき大作です。 オランダ南部のヌエネンで両親と暮らしていた時に制作しています。1885年5月前半に2か月前後で完成しましたが、相当な量のスケッチが残されており、周到に準備した力作であることがわかります。 弟/アートディーラーであったテオは、画面の暗さが、トレンドである印象派の鮮やかな色彩に合わないことを理由に販売に消極的でした。また、画家/友人であったアントン・ファン・ラッパルト(1858~1892)からは、暗さに加えて人体描写の不正確さやぎこちない動きを指摘されて自信を喪失します。 確かに当時の伝統的な絵画を基準にするとその通りなのですが、今見ると、これほど嘘のない農民の生の感情が詳細と画面全体から伝わってくる絵画は珍しく、やはり傑作と言わざるを得ません。 1887年 画風のターニングポイント フィンセント・ファン・ゴッホ、『自画像』、1887-88、44 cm X 37.5 cm、油彩、キャンバス、ゴッホ美術館、アムステルダム Photo:Wikipedia ファン・ゴッホは、生涯と通じて30点余りの自画像を描いています。その中でも、画家としての自信と未来への明るい展望が見え始めているのがパリで描かれたこの作品です。 目つきが鋭い一方で、表情はリラックスしています。他の自画像を見ていただけるとわかるのですが、彼の自画像は、神経質に緊張感があるものが多いです。 『ジャガイモを食べる人々』における色を酷評されたため、ファン・ゴッホは色彩理論を学習し始めていました。そして、パリで後期印象派に触れて試作してみたのがこの作品になります。後期印象派を参考にしたとは言え、彼の三次元的な筆致・色の組み合わせ・感情表現は独自のものです。 この自画像には、自分のスタイルを発見した手ごたえと将来への期待が込められているようです。帽子がオーラに見えるという人もいます。 1888年 創造のための聖域へ フィンセント・ファン・ゴッホ、『黄色い家』、1888、72×91cm、油彩、キャンバス、ゴッホ美術館、アムステルダム Photo:Wikipedia ファン・ゴッホがパリから南フランスのアルルに引っ越し、創造のために選んだ場所がこの黄色い家です。1888年5月~1889年5月まで居住しました。 手前右のグリーンのドアがある棟を借りました。1,2階部分にそれぞれ2部屋があり、アトリエとキッチン(1階)、自分の寝室とゲストルーム(2階)として利用していました。ゲストルームは、あのポール・ゴーギャンが1888年10月 23日~12月25日まで滞在しています。 パリの喧騒に疲れた心を癒し、インスピレーションを絵画にし、また他の芸術家と切磋琢磨するために、大きな期待に胸を膨らませていた場所は、彼にとって聖域と呼べるものだったでしょう。 結局1年ほどしか住みませんでしたが、『夜のカフェテラス』『夜のカフェ』『赤いブドウ畑』など傑作を次々と生み出しました。…

ルノワールの魅力は「白」と「黒」

もうすでに行かれた方も多いかと思いますが、三菱第一号美術館にて『ルノワール X セザンヌ―モダンを拓いたふたりの巨匠』(2025.5.29~9.7)が開催されています。 展覧会は大好評のようで、すでにたくさんのyoutube等でご紹介されているのでそちらでご覧ください。 ここではピエール=オーギュスト・ルノワールの魅力をさらに理解するために、あまり語られていない彼の「白」と「黒」の魅力に注目してまいりましょう。 典型的な輝く暖かい色 「私にとって…絵画は大切にするべきもので、楽しくて、美しいものでなければなりません、そう、美しいのです!」---ピエール=オーギュスト・ルノワール ルノワールといえば、輝くような暖かい色調の絵を思い浮かべるのではないでしょうか。 ルノワールは彼自身の言葉通り、美しく楽しい画題――美しい女性・かわいい子供・パーティやダンスなどを楽しむ人々・風景・花――をほとんどの場合で選択しています。 そのために典型的に使用したのが、輝いている暖かい色調です。特に、ピーチ色系のイメージがあるかもしれません。ピーチと言っても、日本の桃の色ではなく、ヨーロッパのピーチの色でオレンジとピンクがまざりあったような色と、そのグラデーションです。 ピエール=オーギュスト・ルノワール、『ひなぎくを持つ少女』、1889、65.1 x 54 cm、油彩、キャンバス、メトロポリタン美術館 ルノワールにとって、ピーチ色は美しさ・楽しさ・官能性であり、紅潮した顔や裸体にも使われました。 上の『ひなぎくを持つ少女』は、印象派の典型的な筆触分割というよりは、かすかな羽のような筆致が溶け合って輝いているような独特な世界を生み出しています。夢の中でこの少女と出会っているような感覚かもしれません。これが、ルノワールの世界観ですね。もう一作品、見ておきましょう。 ピエール=オーギュスト・ルノワール、『女優ジャンヌ・サマリーの肖像(白日夢)』、1877、56 cm X 47 cm、油彩、キャンバス、プーシキン美術館 こちらは、ルノワールの家の近くに住んでいた若き女優ジャンヌ・サマリー(1857-90)です。こちらは、ピーチ色の背景ですが、肌はゴールドとなっています。発色するようなゴールドも、ルノワールが大好きでした。 この作品は、第3回印象派展に出品しましたが、リアリズムに欠ける女優のプライベートな一面は残念ながら不評でした。 真珠のような多彩な白 ピーチやゴールドはルノワールの美しく楽しい絵画にはぴったりなのですが、その一方、「白」と「黒」はワンランク上の豪華さと個性を与える色です。まずは白から、見てまいりましょう。 ピエール=オーギュスト・ルノワール、『帽子の女』、1891年、56 x 46.5 cm、油彩、キャンバス、国立西洋美術館 白って、奥深い色です。原研哉さんの書籍『白百』には100種類の白が書かれていますが、ペンキを塗っても、絵を描いても、同じ白はできなかったりします。…

『アイルワースのモナ・リザ』―真贋はいかに?

ブログで書くには複雑なので後回しにしてきたトピックについて、意を決して書くことにしました。 それは、もうひとつのモナ・リザと言われ、ルーヴル美術館蔵『モナ・リザ』よりも早い時期に描かれたと考えられている『アイルワースのモナ・リザ』です。 ご存じの方も多いと思いますが、『モナ・リザ』には数多くのコピーが存在しております。その中のほとんどにレオナルド・ダ・ヴィンチは関わっていないことで決着がついています。 その一方、『アイルワースのモナ・リザ』は真筆であることを支持している研究者、著名コレクターが存在していてその真贋は混迷状態です。 今回は、その『アイルワースのモナ・リザ』についてわかりやすくまとめて共有してまいります! なお、ルーヴル美術館蔵『モナ・リザ』の基本情報は別エントリーをご高覧ください。 まずは観察してみてください レオナルド・ダ・ヴィンチ、『モナ・リザ』、1503〜1506年、おそらく1517年頃まで、77 × 53 cm、油彩、パネル、ルーヴル美術館 Photo: Wikipedia 『アイルワースのモナ・リザ』、16世紀前半、84.5×64.5 cm、油彩、キャンバス、匿名の国際コンソーシアム所有、Photo:Wikipedia ビジュアルから考察する まずは、ビジュアルから比較してみましょう。 アイルワースの方は、より若い女性が描かれ、円柱が柱礎だけでなく柱部分も含まれています。また、背景は、下3分の1は岩肌と林ですが、上3分の2が褐色で残されている点から未完成に見えます。 若い女性であることが、この作品が真筆と考えれる大きな理由とされています。なぜなら、ダ・ヴィンチが『モナ・リザ』を描いていたのが1503年であることは、フィレンツェの役人だったアゴスティーノ・ヴェスプッチ(1454-1512)が記しているからです。その時、リザ・デル・ジョコンドは24歳ですから説得力があるわけです。 女性は、顎のラインがシャープで、額、目の横幅がやや広いです。また、頭だけが前のめりになっています。 全体的に暗い色調を好みながら、ゴールドの光が差すような陰影の強いコントラストをつけています。 手も比較してみましょう。画家のスタイルや技量が出やすい部分です。下のアイルワースは美しいのですが、ニュアンスがなさすぎて不自然な印象を持ってしまいます。いかがでしょうか。 『モナ・リザ』と『アイルワースのモナ・リザ』の手の比較、Photo:Wikipedia 付け加えまして、アイルワースの方は、キャンバスに描かれています。これは、ダ・ヴィンチが木製パネル、特にポプラ材を好んだことに矛盾しています。 来歴から考察する ルーヴル美術館蔵『モナ・リザ』の非の打ちどころのない来歴と比べますと、アイルワースの方はかなり謎に包まれています。 最初の信頼性ある記録は、なんと1913年まで下ります。英国のキュレーターであり、コレクターだったヒュー・ブレイカーが、イギリスサマーセット(ロンドンから南西250km)の邸宅で絵画を再発見しています。 その後は、次の通りです(曖昧なものは削除しています): 1914-1918  第一次世界大戦の戦禍を逃れて、ボストン美術館で保管される 1936年…