ダ・ヴィンチ… 3DVR美術展『ダ・ヴィンチの5つの部屋』を公開しました 02/16/202302/16/2023 ダ・ヴィンチの生涯はつかみにくい フランシスコ・メルツィ、『レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像』、1515-1517年頃、 27.5 X 19cm、赤チョーク、紙、イギリス王室コレクション いまさらですが、レオナルド・ダ・ヴィンチは世界的に超有名です。では、お聞きいたします。 『モナ・リザ』以外に、どんなアートを制作していたでしょうか? 彼の愛読書は何だったでしょうか? 彼はどのような容貌で、どんな服を着ていたでしょうか? 彼が聞いていたのは、どんな音楽だったでしょうか? 意外にも、これらの質問にサラッと答えられる方は少ないのではないでしょうか。 なぜって、レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯って結構分かりにくいのです。謎に包まれていますし、解説書はものすごい分厚かったり、彼の人生のほんの断片だったりして、なかなか俯瞰しにくいのですね。それにアップデートされていない情報が、ネットや出版物にはメチャメチャ多いです。 そこで! このたびダヴィンチ研究所では、最高にユーザーフレンドリーな3DVR美術展『ダ・ヴィンチの5つの部屋』を公開いたしました。インターネット環境があれば簡単にアクセスでき、特別なアプリや機器も不要です。 「ダ・ヴィンチの5つの部屋」よりフィレンツェの部屋(1500-1508年頃) ダ・ヴィンチの人生を5つの時期に分けて、その時期の彼の部屋を訪れたかのような臨場感で全絵画画作品・愛読書・人物像などを紹介しています。再構築した若き日の容姿もご覧になれます。ついでに、ルネッサンスの流麗な音楽にも癒されてください。 部屋の中にこれだけのダ・ヴィンチの情報をまとめ上げたのは、な、なんと世界初です。 ダ・ヴィンチの偉大なる「創造」と「発見」は、これら5つの部屋の中で爆発しました。彼の知覚が研ぎ澄まされた小宇宙を、おひとりで、ご家族、ご友人とご一緒にお楽しみください。 もちろん、観覧料などは一切いただいておりません。無料教育コンテンツとして配信します。 概要は動画でどうぞ。 プレスリリースは、こちらからご覧いただけます。 というわけで、本日は楽しいお知らせでした!
アート SOMPO美術館所蔵ファン・ゴッホ作『ひまわり』はどうなるのか? 01/31/202308/08/2024 日本で最も高額作品のひとつ 2023年の初ブログですね。遅ればせながら、本年もダヴィンチ研究所をどうぞよろしくお願いいたします。 ところで、日本に存在する絵画の中で、最も高額作品のひとつがSOMPO美術館が所蔵するフィンセント・ファン・ゴッホ作『ひまわり』です。おそらくトップか、下がっても上位3位以内は、ほぼ確実です。 現SOMPO美術館(現損害保険ジャパン株式会社、元安田火災海上保険株式会社、以下SOMPOジャパン)が入手したのは、今から35年前の1987年3月のこと。クリスティーズのオークションで、当時の価格にして、2475万ポンド(当時日本円換算で約60億円手数料込)で当時のアートオークション市場最高落札額でした。 サインがないため贋作が疑われた時期もありましたが、現在は疑義を唱える人はいないです。 まずは、作品を観ることにしましょう。 フィンセント・ファン・ゴッホ、『ひまわり』、100 x 76cm、SOMPO美術館 Photo: Wikipedia ファン・ゴッホが残した『ひまわり』11作品(花瓶7作品、切り花4作品)のうちのひとつです。SOMPOジャパンバージョンは、ロンドンナショナルギャラリーのコピー2作品のうちのひとつで、もう1点は、ゴッホ美術館が所有しています。別ブログで絶賛したように、迫力と繊細さが共存するまさに世界的名画です。 実は、ファン・ゴッホ作『ひまわり』は、ひまわりの揺るぎない自然の視覚的パターンまで描かれているようです。というのも、他の絵画と比較したところ、ミツバチが最も多く飛来して、着陸したという実験結果があります。ミツバチの行動に、嘘はないでしょう。 ホロコースト没収美術品回収法と関連した訴え この名画は1930年代まで、ドイツのユダヤ人銀行家であり、アートコレクターだったパウル・フォン・メンデルスゾーン・バルトルディ(1875-1935)によって所有されていました。 パウル・フォン・メンデルスゾーン=バルトルディの肖像、マックス・リバーマン作絵画の白黒写真 Photo: Wikipedia ところが今、訴訟問題に発展しています。2022年12月にメンデルスゾーン・バルトルディの子孫が、アメリカイリノイ州で訴訟提起したからです。 その98ページにも及ぶ訴えには詳細が書かれていますが、ポイントは次の2点となります: ■ナチスによって売却を強制された作品であるという主張 メンデルスゾーン・バルトルディは、1910年にこの作品を入手し、1934年10月にパリにあったポール・ローゼンバークギャラリーに売却を委託しています。 ナチスがドイツで権力を掌握したのは1933年なので、この売却は、ナチスによる脅威と経済的な重圧にによってユダヤ人であるメンデルスゾーン・バルトルディに強制したものだと主張しています。 ■絵画の返還、または市場価値2億5000万ドル、それに加え6億9000万ドルの不当利益返還と7億5000万ドルの懲罰的損害賠償を請求 SOMPOジャパンに対して、絵画の返還だけでなく、巨額の支払いを求めています。 その理由は、本作品が「ナチス政策の犠牲」であった歴史を知りつつも購入を決め、その後も長年調査することなく、自社の広報活動(例えば、2001-2002年シカゴ美術館とゴッホ美術館主催美術展"Van Gogh and Gauguin: The Studio of…
ダ・ヴィンチ 未完の大作『マギの礼拝』を考察する 12/15/202212/15/2022 クリスマスが近いので、キリスト生誕を主題とするダ・ヴィンチ作『マギ(あるいは東方三博士)の礼拝』を取り上げたいと思います。 『マギ(あるいは東方三博士)の礼拝』というと、ネット上で暗い画像を見かけた方が多いのではないでしょうか。実際には、2012〜2017年の長期にわたる修復保存作業のおかげで、画面は明るくなり、詳細もかなり見やすくなっています。 未完ですが、約100の人物と動物、建築物を含む大作であり、ダ・ヴィンチを知るには絶対に避けては通れない作品です。では、見てまいりましょう。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『マギの礼拝』、1481年頃、チャコール、水彩、インク、油彩、パネル、244 x 240 cm、ウフィツィ美術館、フィレンツェ 作品の概要 絵の内容 イエスの生誕にあたり、マギがユダヤのベツレヘムに礼拝に訪れた際の光景(マタイ福音書2:1-20)を描いています。聖母マリアと幼児キリスト、そのふたりを囲む3人のマギを中心としたピラミッド型の構図となっています。 マギとは一般的に、東方から来訪した「賢人」(賢者)あるいは「王」と訳されますが、その正体は明確ではありません。日本語では「博士」と訳される場合もありますが、博士のイメージとは異なります。 マタイ福音書によると、マギは東方で、ユダヤの王で、神の子として降誕するキリストの新星を発見し、その星を崇拝の目的で追ってきたところ、ベツレヘムへ導かれたと言います。そして、彼らは、聖母マリアと幼児キリストを見るやいなや、ひざまずいて礼拝します。そして贈物として、金・乳香・没薬(ミルラとも呼ばれる死体の保存に用いた香料)を差し出します。 絵画では、3人のマギを異なる年齢(青年・中年・老年)、あるいは文化的特徴を持った衣服で描き分けることがよくあります。ダ・ヴィンチ作『マギの礼拝』では、ふたりの老年、ひとりの中年として描かれています。 描き分けの例を確認しておきましょう。アルブレヒト・デューラー作『マギの礼拝』を見ると、まさに老年、壮年、青年の描写で、しかもそれぞれのエキゾチックな衣服が印象的です。 アルブレヒト・デューラー、『マギの礼拝』、1504、100 × 114 cm、油彩、パネル、ウフィツィ美術館、フィレンツェ 背景 ダ・ヴィンチ作『マギの礼拝』は、フィレンツェ郊外にあるサン・ドナート・イン・スコペート修道院の中央祭壇画として依頼された作品です。依頼主は、聖アウグスチノ修道会の修道士たちでした。 その時の契約書(1481年7月)の一部が残されています。その記述を見ると、ダ・ヴィンチがすでに開始していた『マギの礼拝』制作について、かなり不利な支払い条件が書かれています。 最長で30か月以内に完成すること、報酬300フィオリーニ(1枚約3.5グラムの金貨)分は現金ではなく、土地で支払われること、その土地を3年後に買い上げ、その半分をサルヴェストロ・デ・ジョヴァンニの娘の持参金として銀行に入金すること、顔料や金は自分で調達すること、完成しなかった場合は、作品も土地も放棄することが記載されています。 かなり上から目線な契約ですね。この契約は、レオナルドの父であり、公証人だったセル・ピエーロとサン・ドナート・イン・スコペート修道院とのビジネス関係があったことにより仲介されており、それがかえって事態を複雑化させたようです。 いずれにせよ、1482年、ダ・ヴィンチは、『マギの礼拝』を未完成のまま、フィレンツェを後にし、ミラノへと旅立つことになります。なぜ未完で終わらせたかの理由については諸説ありますが、真意のほどは明らかではありません。 そして、サン・ドナート・イン・スコペート修道院の中央祭壇画は、1496年に画家フィリッピーノ・リッピによって完成します。次に挙げる絵になります。 フィリッピーノ・リッピ、『マギの礼拝』、1496、油彩、パネル、258 cm X 243 cm、ウフィツィ美術館、フィレンツェ…
アートとお金 アンディ・ウォーホールという選択 11/04/2022 高額アート購入の波紋 鳥取県が、ポップアートの旗手アンディ・ウォーホールの作品『ブリロの箱』を5箱(オリジナル1箱と作家死後制作品4箱)を2億9145万円で購入したことが話題になりました。2025年にオープンする鳥取県立美術館の目玉として、すでに購入していた同作家の『キャンベルトマトスープ缶』(4554万円)とともに、集客による地域活性化を狙ったものでしたが、あまりに高額な「箱」に波紋が広がり、住民説明会が開催されました。 集客に関しては、今後のプロモーション活動・美術展企画・今後のコレクション形成などにかかっていますが、アート購入は投資でもありますので、肝を抑えていれば他の税金の使途に比べて優位性も十分に見込めます。 ところで、入手したのはいったいどんな作品なのでしょうか。 アンディ・ウォーホールについて 人物と芸術性 アンディ・ウォーホール, 1973 Photo by Jack Mitchell (Wikipedia) アンディ・ウォーホール(1928-1987)は、1960年代に隆盛したポップアートという芸術運動で、ジム・ダイン、クレス・オルデンバーグ、ロイ・リキテンシュタイン、ジェームス・ローゼンクイスト、ジャスパー・ジョーンズらとともに活躍したアーティストです。絵画から版画、映像、彫刻、写真などまでマルチメディアを扱いました。 ポップアートの旗手と呼ばれるのは、ポップアートアーティストの中で最も有名となり、絶えずメディアの注目の的だったからでしょう。映画スター並みに人気を博し、1965年フィラデルフィアで開催された回顧展の内覧会場では、人が殺到し過ぎたために、展示物の損傷を恐れて外さなければならない事態が発生しています。 押し寄せた観覧者、インスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アーツ、フィラデルフィア、1965 Photo: Edie Pink ウォーホールの芸術性をひと言で表せば、「異なるコンテクストにおけるイメージ価値の転移」で成り立っています。例えば、消費社会で量産された没個性的な工業製品が、大衆文化として容認すると、ヒーローのような特別な存在に美化されることになります。1920年代という消費社会の真っ只中に、工業都市ピッツバーグに生まれ、商業デザイナー・イラストレーターとして成功していたウォーホールにとって、イメージの強さとその価値の変異は体験済みだったと言えます。 アンディ・ウォーホール, 『フラワーバスケット』、ca. 1961、アンディ・ウォーホール美術館 © The Andy Warhol Foundation for the Visual…
ビジネスと知覚 センスを磨く―まずは「色」から 10/06/202212/02/2022 センスは磨けるのか? 「スキル」は磨けるけれども、「センス」は磨けないと言う方もいらっしゃいます。 ダヴィンチ研究所ですが、「センスも全然鍛えられる」という立場です。センスって、要するに「知覚力」のことだからです。実際にそのことを証明するさまざまなエビデンスや理論もあります。 このブログでは、センスを磨くための出発点のひとつである色に注目してみたいと思います。 高度にビジュアルな現代社会では、アーティストやデザイナーの方々のみならず、色はさまざまな創造的センスと関わっていますし、色に敏感であることはキャッチする情報も断然豊かになります。 色は世界を観察する基本 普段あまり意識することはないかもしれませんが、色は、観察のための基本中の基本です。 空の色で天候や時間を、水の色で清浄さを、顔色で健康状態を、生鮮食品の色で鮮度を、土の色で地質などを判断しています。 遠距離から色を見て何が起こっているか(紅葉、パトカーの色など)について察しをつけることもありますし、色が場所や犯人についての記憶を助けること(建物や服装の色など)もありますね。 水質調査のサンプル Photo: Chase BC 色に対する心理的反応 色は、心理的反応を引き起こします。 例えば、赤は、「情熱や積極性」、グリーンは、「平穏さや生命感」、紫は、「高貴」というように解釈されることがあります。 また色の組み合わせによって、まったく異なるムードが醸し出されます。同色を組み合わせると「調和的」、補色ですと「エナジェティック」に感じられます。 こうした色によって引き起こされる感情やムードは、以前からマーケティングやブランディングに利用されています。昨今では、聞き手への効果を目的として、データ作成でも考慮されるようになりました。 ※補色とは、色相環の正反対に位置し、混合すると無彩色が作れる2色です。 色相環――正反対に位置するのが補色 色でセンスを磨く方法 日常的に色を考察する 色とは、物質にあたった光の反射に対する眼と脳の知覚です。つまり、色の数は、理論的には無限なのですが、おおよそ18デシリオン(18にゼロを33個)と言われています。 ただし、名前が与えられている色は、その中のほんの一部です。 日本の伝統色は、465色です。その一方、英語では基本色は11色ですが、日常的に使用する色名は31色ほどです。しかし、Do it yourself の国であるアメリカでは、ペンキを選ぼうとすると2000色くらいあるので圧倒されます。 ベンジャミン・ムーアというペイントブランド、発色に定評有り Photo: Benjamin…
コミュニケーション術 イギリス人エリートのコミュニケーション術 09/02/202211/28/2022 アメリカとは逆? 欧米という言葉でアメリカとイギリスをまとめてしまいがちですが、言うまでもなくまったく異なる文化が育っています。 例えばコミュニケーションですと、近年のアメリカでは、とにかくspeak up することや、納得するまで説明することが良いことのように考えられています。そのためのノウハウがあり、コミュニケーションの書籍などではそうした戦術が紹介されています。 その一方、イギリス人エリートたちは、"Never complain, never explain" という格言を持っています。「決して不満は言わない、説明しない」ということですが、こちらの方は日本ではあまり知られていないのではないでしょうか。 2つの国のコミュニケーション術を使い分けると、皆さんのコミュニケーションはさらに輝くはずです。 Never complain, never explainの由来 Photo: https://www.economist.com/ 格言「決して不満は言わない、説明しない」は元々、19世紀の英国政治家・首相・小説家ベンジャミン・ディズレーリが最初に口にして、その後、イギリス人エリートたち(王室、海軍、首相など)のモットーとして浸透しました。今日に至るまで、力強い自信と責任感があふれる人間のための時代を超えた知恵として受け継がれています。 最も代表的な例は、エリザベス女王でしょう。彼女は、このモットーを母親から承継したと言われています。確かに、彼女について知られているのは、カラフルな服装や大のコーギー犬好きという面だけで、彼女の説明や不満がメディアに出たことはほとんどありません。 しかしこれこそ、彼女が公人として70年にも渡って在位し、100か国以上を旅し、14人のアメリカ大統領と握手をかわすことができた秘訣と言われています。 (エリザベス女王が、英国時間2022年9月8日午後にご逝去なさいました。ご冥福をお祈りいたします) Photo:Wikipedia エリザベス女王の対極にある説明好きのアメリカ人が、次の方になります。 Photo:Wikipedia 決して説明しない意味 「決して説明しない — あなたの友人はそれを求めていないし、敵はそもそもあなたを信じていない」 —エルバード・ハバード (19世紀著述家)…
ビジネスと知覚 左脳、右脳タイプという神話 08/04/202212/07/2022 脳科学分野は、21世紀に入ってからものすごいスピードで驚異的に発展しています。ちょっと前の発見が、アッという間に塗り替わっていたことも珍しいことではありません。 ところで、左脳は「ロジック」を、右脳は「クリエイティビティ」をコントロールしていると信じている方はいらっしゃいませんか。まだまだネット情報を含めて、さまざまな場所で浸透しています。 しかし、実はもう神話になっています。科学的根拠がないので、アップデートする必要があります。 その理由を共有いたしましょう。 なぜ神話は生まれたのか? 左右に分かれている脳 その神話の起こりは、私たちの脳が、そもそも左と右に分かれていることです。 脳の外見だけではなく、機能的にも左右に分担されています。左脳は、右の手足を、右脳は左の手足の動きをそれぞれコントロールしています。 また、眼に関して言えば、左目と右目それぞれが、左と右側の視野を見る機能が備わっています。左側の視野の情報は右脳に、右側の情報は左脳に伝達されます。そして、左と右視野が合体して、全視野の情報として認知されるわけです。 こうした事実から、「左脳と右脳は別の機能を持っている」という認識が生まれ、神話を作り出す土台となったのです。 ブローカ Broca とウェルニッケ Wernicke の研究 ピエール・ポール・ブローカ Photo: Wikipedia カール・ウェルニッケ Photo: Wikipedia その認識に拍車をかけたのが、19世紀のふたりの医師・解剖学者ピエール・ポール・ブローカとカール・ウェルニッケによる偉大な功績です。 いったいどういうことでしょうか? 彼らは、脳の左側前頭葉のある部位を損傷すると、言語機能に障害(失語症)が発症することを発見したのです。つまり、彼らは、脳の局在機能を初めて認識したわけです。 この発見後、彼らは、障害部位と失語症の関連性を分析しました。 そして、ブローカは、左下前頭回付近(彼の名にちなみ、ブローカ野)が発話のための能力を、ウェルニッケは、左上側頭回後部付近(彼の名にちなみ、ウェルニッケ野)がスピーチを理解する能力を司っていると解明しました。 Photo: Wikipedia 小説『ジキル博士とハイド氏』 こうした「言語は左脳でコントロールされている」という発見は、巷で歪曲され始めます。…
アート… ムンクを見にノルウェーに行きたい! 07/05/202211/28/2022 さて、夏休みのプランはお決まりでしょうか。 「ギラギラの太陽が大好きで、海のリゾート地の一択」という方は別として、今年の夏、ノルウェーを訪れるべき理由はたくさんあります。 熱帯化している日本を脱出 8月のオスロの平均気温は、なんと最高/最低気温は21/13度です。そして東京の最高/最低気温は、31/23度ですから、ちょうど10度違います。 そしてウェザーニュースが出した7〜9月の見通しによりますと、日本は全国的に猛暑で、特に北日本から西日本では平年より厳しい暑さになることが予想されています。35度以上の猛暑日が連続した6月、あの危険な暑さが再来することは十分あり得ます。 オスロオペラハウス Photo: visitnorway.com コロナ感染者が少ない 2022年7月3日時点ですが、ノルウェーのコロナ感染者は112人となっています。 これから増加する可能性があったとしても、少なくとも2か月程度は落ち着いている可能性は高いのではないでしょうか。 ムンク美術館 もちろん、ノルウェーを訪れる理由は上記2つだけではありません。 3つめの理由が、ムンク美術館です。この夏、ムンク美術館を格別に堪能できる訳を2つ挙げますね。 ■コロナでふさぎ込んだ気分をムンクと共有したい ムンクは、少なくとも5000万人が亡くなったスペイン風邪(1918〜1921)の感染者であり、サバイバーでした。ムンクはスペイン風邪から回復しましたが、同時期のオーストリア画家グスタフ・クリムトとエゴン・シーレは残念ながら亡くなっています。 そしてムンクは、感染中と感染後の自分のストレスと絶望に満ちた心のひだを、独特の線描と色彩でみごとに捉えた作品を制作しています。下に掲載しています。(※感染中の自画像の方は、最後でご紹介するノルウェー新国立美術館の所蔵となりますので、お間違いなきようにお願いします) コロナの今だからこそ、ムンクの自画像を眼の前にして彼の感情とシンクロできそうです。 エドヴァルド・ムンク、『スペイン風邪を患った自画像』, 1919, 150 cm X131 cm, 油彩、ノルウェー新国立美術館 エドヴァルド・ムンク、『スペイン風邪後の自画像』, 1919, 59cm X73cm, 油彩、ムンク美術館 ■ムンク美術館は2021年に新たな美術館としてオープンしたばかり…
アート… エリザベス女王のアートコレクション 06/05/202211/28/2022 エリザベス女王即位70周年祝賀パレード Photo: Royal Collection Trust (エリザベス女王が、英国時間2022年9月8日午後にご逝去なさいました。ご冥福をお祈りいたします) エリザベス女王在位70周年が、世界各地で祝福されました。 彼女の乗馬や犬好きはたびたびニュースになりますが、アートコレクションとの関係はあまり知られていないのではないでしょうか。 実は、世界的なアートコレクションを管理しており、その中にはレオナルド・ダ・ヴィンチの人体解剖図で有名な ウィンザー手稿 も含まれています。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『足と肩の骨』、1509-1510年頃、28.7 x 19.8 cm、ペン、インク、チョーク、(c)Her Majesty Queen Elizabeth II, 2022 もちろん、彼女の個人的なコレクションではなく、代々承継される王室と国家のためのコレクションなのですが、エリザベス女王自身の名前で管理しているところが珍しい例です。そのため、 著作権には、 Her Majesty Queen Elizabeth II と入っています。 ローヤルコレクションの規模 例えば、ルーブル美術館の美術品収蔵数は合計約38万、ニューヨークメトロポリタン美術館は合計約150万と言われています。ご参考までですが、日本の皇室コレクションは約9,800点です。 ローヤルコレクションは合計約100万で、内訳を次の通りです:…