ピカソの魂の傑作『三人のダンサー』

パブロ・ピカソ作『三人のダンサー(踊り子)』の完成から100周年を記念した「シアター・ピカソ」がロンドン、テート・モダン美術館で開催(2025年9月17日- 2026年4月12日)されています。 『三人のダンサー』を含む絵画・彫刻・テキスタイルなどが出展されています。お近くにお寄りの際は、一見の価値ありです。 今回は、その『三人のダンサー』の魅力について共有してまいります。ピカソの天才ぶりがまざまざと見せつけられる作品です! *タイトルの一般的な日本語訳は『三人の踊り子』のようですが、この絵には単純に「ダンサー」の方がしっくりくるような気がいたします。あくまでも私見ですが。 『三人のダンサー』を観察する パブロ・ピカソ、『三人のダンサー』、1925、2153 mm x 1422 mm、油彩、キャンバス、テート・モダン美術館所蔵、© Succession Picasso 人間の等身大サイズの大きな画面に、3人を描いています。 ダンサーというタイトルですが、ぱっと見てわかるわけではなく、よく見ると手をつなぎ合っていること・足の動き・反った体からかろうじて推測できます。 性別は、中央が女性、右は男性に見えますが、左は胸が大きいのと、赤い唇で女性に見えますが、足が極端に大きく曖昧です。中央の人物の描写はシンプルで、右の人物は影のように目立たず、左の人物を最も強調して描いています。 ダンサーと言っても楽しさは感じられず、三人の表情は、暗さ・困惑・苦痛が見受けられます。また輪郭線の不安定さや、アシンメトリーな形が不穏さを感じさせますね。 親友たちの三角関係 1925年は、ピカソにとって悲嘆にくれた年でした。親友のひとりラモン・ピショが心臓発作で突然死したからです。彼の妻ジェルメーヌ・ガルガリョは、かつてピカソのもう一人の親友カルロス・カサヘマスとデートを重ねていたものの上手く行かず、2001年にカサへマスはガルガリョを銃で殺そうと試み、それに失敗すると、自分を撃って自殺してしまいます。 ピショの死は、四半世紀も前の最悪の悲劇をピカソに思い出させます。ピカソは、この創作と親友との関係性を認めたわけではありませんが、感情的葛藤と個人的な損失がこの作品を書かせたと述べています。 絵画の中央がカルロス・カサヘマス、右がラモン・ピショ、左がジェルメーヌ・ガルガリョであると考えられています。 シュルレアリスムへ 『三人のダンサー』は、ピカソのスタイル上の転機にもなりました。それ以前では、1907-1919年にキュビズムに、1919-1925年には新古典主義に傾倒していました。 無意識のトラウマ・歪曲された身体・現実と意識の世界の境界を描いたこの作品は、その時台頭していたシュルレアリスムと整合性がありました。シュルレアリスムについては別エントリーをご高覧ください。 シュルレアリスムの創始者であったアンドレ・ブレトンの依頼に応じて、ピカソは『三人のダンサー』をシュルレアリスムの機関紙に掲載することを許可します。その一方、ピカソは自身をシュルリアリストと名乗ることは拒否しています。 『三人のダンサー』は、1965年にテート美術館の所蔵になるまで40年間、ピカソはどこにも売却することなく自らの手元に置きました。それだけ個人的な思いを詰まった大切な作品であったことが想像されます。 変幻自在なピカソのすごさ ところで、テート美術館が科学的調査を実施し、非常に興味深いことが発見されました。 『三人のダンサー』の下には、別の絵が描かれていたのです。その絵は、新古典主義のスタイルで静かに踊るダンサーたちの姿でした。はっきりとは見えませんが、顔に注目していただくとまったく異なることにお気づきいただけるでしょう。 パブロ・ピカソ、『三人のダンサー』、2012年実施のX線写真Photo…