SOMPO美術館所蔵ファン・ゴッホ作『ひまわり』はどうなるのか?

日本で最も高額作品のひとつ 2023年の初ブログですね。遅ればせながら、本年もダヴィンチ研究所をどうぞよろしくお願いいたします。 ところで、日本に存在する絵画の中で、最も高額作品のひとつがSOMPO美術館が所蔵するフィンセント・ファン・ゴッホ作『ひまわり』です。おそらくトップか、下がっても上位3位以内は、ほぼ確実です。 現SOMPO美術館(現損害保険ジャパン株式会社、元安田火災海上保険株式会社、以下SOMPOジャパン)が入手したのは、今から35年前の1987年3月のこと。クリスティーズのオークションで、当時の価格にして、2475万ポンド(当時日本円換算で約60億円手数料込)で当時のアートオークション市場最高落札額でした。 サインがないため贋作が疑われた時期もありましたが、現在は疑義を唱える人はいないです。 まずは、作品を観ることにしましょう。 フィンセント・ファン・ゴッホ、『ひまわり』、100 x 76cm、SOMPO美術館 Photo: Wikipedia ファン・ゴッホが残した『ひまわり』11作品(花瓶7作品、切り花4作品)のうちのひとつです。SOMPOジャパンバージョンは、ロンドンナショナルギャラリーのコピー2作品のうちのひとつで、もう1点は、ゴッホ美術館が所有しています。別ブログで絶賛したように、迫力と繊細さが共存するまさに世界的名画です。 実は、ファン・ゴッホ作『ひまわり』は、ひまわりの揺るぎない自然の視覚的パターンまで描かれているようです。というのも、他の絵画と比較したところ、ミツバチが最も多く飛来して、着陸したという実験結果があります。ミツバチの行動に、嘘はないでしょう。 ホロコースト没収美術品回収法と関連した訴え この名画は1930年代まで、ドイツのユダヤ人銀行家であり、アートコレクターだったパウル・フォン・メンデルスゾーン・バルトルディ(1875-1935)によって所有されていました。 パウル・フォン・メンデルスゾーン=バルトルディの肖像、マックス・リバーマン作絵画の白黒写真 Photo: Wikipedia ところが今、訴訟問題に発展しています。2022年12月にメンデルスゾーン・バルトルディの子孫が、アメリカイリノイ州で訴訟提起したからです。 その98ページにも及ぶ訴えには詳細が書かれていますが、ポイントは次の2点となります: ■ナチスによって売却を強制された作品であるという主張 メンデルスゾーン・バルトルディは、1910年にこの作品を入手し、1934年10月にパリにあったポール・ローゼンバークギャラリーに売却を委託しています。 ナチスがドイツで権力を掌握したのは1933年なので、この売却は、ナチスによる脅威と経済的な重圧にによってユダヤ人であるメンデルスゾーン・バルトルディに強制したものだと主張しています。 ■絵画の返還、または市場価値2億5000万ドル、それに加え6億9000万ドルの不当利益返還と7億5000万ドルの懲罰的損害賠償を請求 SOMPOジャパンに対して、絵画の返還だけでなく、巨額の支払いを求めています。 その理由は、本作品が「ナチス政策の犠牲」であった歴史を知りつつも購入を決め、その後も長年調査することなく、自社の広報活動(例えば、2001-2002年シカゴ美術館とゴッホ美術館主催美術展"Van Gogh and Gauguin: The Studio of…

未完の大作『マギの礼拝』を考察する

クリスマスが近いので、キリスト生誕を主題とするダ・ヴィンチ作『マギ(あるいは東方三博士)の礼拝』を取り上げたいと思います。 『マギ(あるいは東方三博士)の礼拝』というと、ネット上で暗い画像を見かけた方が多いのではないでしょうか。実際には、2012〜2017年の長期にわたる修復保存作業のおかげで、画面は明るくなり、詳細もかなり見やすくなっています。 未完ですが、約100の人物と動物、建築物を含む大作であり、ダ・ヴィンチを知るには絶対に避けては通れない作品です。では、見てまいりましょう。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『マギの礼拝』、1481年頃、チャコール、水彩、インク、油彩、パネル、244 x 240 cm、ウフィツィ美術館、フィレンツェ 作品の概要 絵の内容 イエスの生誕にあたり、マギがユダヤのベツレヘムに礼拝に訪れた際の光景(マタイ福音書2:1-20)を描いています。聖母マリアと幼児キリスト、そのふたりを囲む3人のマギを中心としたピラミッド型の構図となっています。 マギとは一般的に、東方から来訪した「賢人」(賢者)あるいは「王」と訳されますが、その正体は明確ではありません。日本語では「博士」と訳される場合もありますが、博士のイメージとは異なります。 マタイ福音書によると、マギは東方で、ユダヤの王で、神の子として降誕するキリストの新星を発見し、その星を崇拝の目的で追ってきたところ、ベツレヘムへ導かれたと言います。そして、彼らは、聖母マリアと幼児キリストを見るやいなや、ひざまずいて礼拝します。そして贈物として、金・乳香・没薬(ミルラとも呼ばれる死体の保存に用いた香料)を差し出します。 絵画では、3人のマギを異なる年齢(青年・中年・老年)、あるいは文化的特徴を持った衣服で描き分けることがよくあります。ダ・ヴィンチ作『マギの礼拝』では、ふたりの老年、ひとりの中年として描かれています。 描き分けの例を確認しておきましょう。アルブレヒト・デューラー作『マギの礼拝』を見ると、まさに老年、壮年、青年の描写で、しかもそれぞれのエキゾチックな衣服が印象的です。 アルブレヒト・デューラー、『マギの礼拝』、1504、100 × 114 cm、油彩、パネル、ウフィツィ美術館、フィレンツェ 背景 ダ・ヴィンチ作『マギの礼拝』は、フィレンツェ郊外にあるサン・ドナート・イン・スコペート修道院の中央祭壇画として依頼された作品です。依頼主は、聖アウグスチノ修道会の修道士たちでした。 その時の契約書(1481年7月)の一部が残されています。その記述を見ると、ダ・ヴィンチがすでに開始していた『マギの礼拝』制作について、かなり不利な支払い条件が書かれています。 最長で30か月以内に完成すること、報酬300フィオリーニ(1枚約3.5グラムの金貨)分は現金ではなく、土地で支払われること、その土地を3年後に買い上げ、その半分をサルヴェストロ・デ・ジョヴァンニの娘の持参金として銀行に入金すること、顔料や金は自分で調達すること、完成しなかった場合は、作品も土地も放棄することが記載されています。 かなり上から目線な契約ですね。この契約は、レオナルドの父であり、公証人だったセル・ピエーロとサン・ドナート・イン・スコペート修道院とのビジネス関係があったことにより仲介されており、それがかえって事態を複雑化させたようです。 いずれにせよ、1482年、ダ・ヴィンチは、『マギの礼拝』を未完成のまま、フィレンツェを後にし、ミラノへと旅立つことになります。なぜ未完で終わらせたかの理由については諸説ありますが、真意のほどは明らかではありません。 そして、サン・ドナート・イン・スコペート修道院の中央祭壇画は、1496年に画家フィリッピーノ・リッピによって完成します。次に挙げる絵になります。 フィリッピーノ・リッピ、『マギの礼拝』、1496、油彩、パネル、258 cm X 243 cm、ウフィツィ美術館、フィレンツェ…

アンディ・ウォーホールという選択

高額アート購入の波紋 鳥取県が、ポップアートの旗手アンディ・ウォーホールの作品『ブリロの箱』を5箱(オリジナル1箱と作家死後制作品4箱)を2億9145万円で購入したことが話題になりました。2025年にオープンする鳥取県立美術館の目玉として、すでに購入していた同作家の『キャンベルトマトスープ缶』(4554万円)とともに、集客による地域活性化を狙ったものでしたが、あまりに高額な「箱」に波紋が広がり、住民説明会が開催されました。 集客に関しては、今後のプロモーション活動・美術展企画・今後のコレクション形成などにかかっていますが、アート購入は投資でもありますので、肝を抑えていれば他の税金の使途に比べて優位性も十分に見込めます。 ところで、入手したのはいったいどんな作品なのでしょうか。 アンディ・ウォーホールについて 人物と芸術性 アンディ・ウォーホール, 1973 Photo by Jack Mitchell (Wikipedia) アンディ・ウォーホール(1928-1987)は、1960年代に隆盛したポップアートという芸術運動で、ジム・ダイン、クレス・オルデンバーグ、ロイ・リキテンシュタイン、ジェームス・ローゼンクイスト、ジャスパー・ジョーンズらとともに活躍したアーティストです。絵画から版画、映像、彫刻、写真などまでマルチメディアを扱いました。 ポップアートの旗手と呼ばれるのは、ポップアートアーティストの中で最も有名となり、絶えずメディアの注目の的だったからでしょう。映画スター並みに人気を博し、1965年フィラデルフィアで開催された回顧展の内覧会場では、人が殺到し過ぎたために、展示物の損傷を恐れて外さなければならない事態が発生しています。 押し寄せた観覧者、インスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アーツ、フィラデルフィア、1965 Photo: Edie Pink ウォーホールの芸術性をひと言で表せば、「異なるコンテクストにおけるイメージ価値の転移」で成り立っています。例えば、消費社会で量産された没個性的な工業製品が、大衆文化として容認すると、ヒーローのような特別な存在に美化されることになります。1920年代という消費社会の真っ只中に、工業都市ピッツバーグに生まれ、商業デザイナー・イラストレーターとして成功していたウォーホールにとって、イメージの強さとその価値の変異は体験済みだったと言えます。 アンディ・ウォーホール, 『フラワーバスケット』、ca. 1961、アンディ・ウォーホール美術館 © The Andy Warhol Foundation for the Visual…

センスを磨く―まずは「色」から

センスは磨けるのか? 「スキル」は磨けるけれども、「センス」は磨けないと言う方もいらっしゃいます。 ダヴィンチ研究所ですが、「センスも全然鍛えられる」という立場です。センスって、要するに「知覚力」のことだからです。実際にそのことを証明するさまざまなエビデンスや理論もあります。 このブログでは、センスを磨くための出発点のひとつである色に注目してみたいと思います。 高度にビジュアルな現代社会では、アーティストやデザイナーの方々のみならず、色はさまざまな創造的センスと関わっていますし、色に敏感であることはキャッチする情報も断然豊かになります。 色は世界を観察する基本 普段あまり意識することはないかもしれませんが、色は、観察のための基本中の基本です。 空の色で天候や時間を、水の色で清浄さを、顔色で健康状態を、生鮮食品の色で鮮度を、土の色で地質などを判断しています。 遠距離から色を見て何が起こっているか(紅葉、パトカーの色など)について察しをつけることもありますし、色が場所や犯人についての記憶を助けること(建物や服装の色など)もありますね。 水質調査のサンプル Photo: Chase BC 色に対する心理的反応 色は、心理的反応を引き起こします。 例えば、赤は、「情熱や積極性」、グリーンは、「平穏さや生命感」、紫は、「高貴」というように解釈されることがあります。 また色の組み合わせによって、まったく異なるムードが醸し出されます。同色を組み合わせると「調和的」、補色ですと「エナジェティック」に感じられます。 こうした色によって引き起こされる感情やムードは、以前からマーケティングやブランディングに利用されています。昨今では、聞き手への効果を目的として、データ作成でも考慮されるようになりました。 ※補色とは、色相環の正反対に位置し、混合すると無彩色が作れる2色です。 色相環――正反対に位置するのが補色 色でセンスを磨く方法 日常的に色を考察する 色とは、物質にあたった光の反射に対する眼と脳の知覚です。つまり、色の数は、理論的には無限なのですが、おおよそ18デシリオン(18にゼロを33個)と言われています。 ただし、名前が与えられている色は、その中のほんの一部です。 日本の伝統色は、465色です。その一方、英語では基本色は11色ですが、日常的に使用する色名は31色ほどです。しかし、Do it yourself の国であるアメリカでは、ペンキを選ぼうとすると2000色くらいあるので圧倒されます。 ベンジャミン・ムーアというペイントブランド、発色に定評有り Photo: Benjamin…

ムンクを見にノルウェーに行きたい!

さて、夏休みのプランはお決まりでしょうか。 「ギラギラの太陽が大好きで、海のリゾート地の一択」という方は別として、今年の夏、ノルウェーを訪れるべき理由はたくさんあります。 熱帯化している日本を脱出 8月のオスロの平均気温は、なんと最高/最低気温は21/13度です。そして東京の最高/最低気温は、31/23度ですから、ちょうど10度違います。 そしてウェザーニュースが出した7〜9月の見通しによりますと、日本は全国的に猛暑で、特に北日本から西日本では平年より厳しい暑さになることが予想されています。35度以上の猛暑日が連続した6月、あの危険な暑さが再来することは十分あり得ます。 オスロオペラハウス Photo: visitnorway.com コロナ感染者が少ない 2022年7月3日時点ですが、ノルウェーのコロナ感染者は112人となっています。 これから増加する可能性があったとしても、少なくとも2か月程度は落ち着いている可能性は高いのではないでしょうか。 ムンク美術館 もちろん、ノルウェーを訪れる理由は上記2つだけではありません。 3つめの理由が、ムンク美術館です。この夏、ムンク美術館を格別に堪能できる訳を2つ挙げますね。 ■コロナでふさぎ込んだ気分をムンクと共有したい ムンクは、少なくとも5000万人が亡くなったスペイン風邪(1918〜1921)の感染者であり、サバイバーでした。ムンクはスペイン風邪から回復しましたが、同時期のオーストリア画家グスタフ・クリムトとエゴン・シーレは残念ながら亡くなっています。 そしてムンクは、感染中と感染後の自分のストレスと絶望に満ちた心のひだを、独特の線描と色彩でみごとに捉えた作品を制作しています。下に掲載しています。(※感染中の自画像の方は、最後でご紹介するノルウェー新国立美術館の所蔵となりますので、お間違いなきようにお願いします) コロナの今だからこそ、ムンクの自画像を眼の前にして彼の感情とシンクロできそうです。 エドヴァルド・ムンク、『スペイン風邪を患った自画像』, 1919, 150 cm X131 cm, 油彩、ノルウェー新国立美術館 エドヴァルド・ムンク、『スペイン風邪後の自画像』, 1919, 59cm X73cm, 油彩、ムンク美術館 ■ムンク美術館は2021年に新たな美術館としてオープンしたばかり…

エリザベス女王のアートコレクション

エリザベス女王即位70周年祝賀パレード Photo: Royal Collection Trust (エリザベス女王が、英国時間2022年9月8日午後にご逝去なさいました。ご冥福をお祈りいたします) エリザベス女王在位70周年が、世界各地で祝福されました。 彼女の乗馬や犬好きはたびたびニュースになりますが、アートコレクションとの関係はあまり知られていないのではないでしょうか。 実は、世界的なアートコレクションを管理しており、その中にはレオナルド・ダ・ヴィンチの人体解剖図で有名な ウィンザー手稿 も含まれています。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『足と肩の骨』、1509-1510年頃、28.7 x 19.8 cm、ペン、インク、チョーク、(c)Her Majesty Queen Elizabeth II, 2022 もちろん、彼女の個人的なコレクションではなく、代々承継される王室と国家のためのコレクションなのですが、エリザベス女王自身の名前で管理しているところが珍しい例です。そのため、 著作権には、 Her Majesty Queen Elizabeth II と入っています。 ローヤルコレクションの規模 例えば、ルーブル美術館の美術品収蔵数は合計約38万、ニューヨークメトロポリタン美術館は合計約150万と言われています。ご参考までですが、日本の皇室コレクションは約9,800点です。 ローヤルコレクションは合計約100万で、内訳を次の通りです:…

ダ・ヴィンチが最晩年まで攻めた証『聖アンナと聖母子』

ダ・ヴィンチの最晩年の作品のひとつをご紹介しましょう。 クリエーターの晩年作というのは、強い遺志が込められているようで特別なものです。もしかすると「ダ・ヴィンチが最後まで手を入れていたのは本作品だったのかも」と考えるだけでドキドキします。 最晩年作のひとつには他に『洗礼者ヨハネ』がありますが、作風がまったく異なる点が興味深いのと同時に、ミステリアスでもあります。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『聖アンナと聖母子』、1507〜1508年頃から制作開始、油彩、パネル(ポプラ材)、168 cm X 130 cm、ルーブル美術館、パリ ※この『聖アンナと聖母子』を含むダ・ヴィンチの絵画全作品が、「ダ・ヴィンチの5つの部屋」でご覧いただけます。ルネッサンスの臨場感をお楽しみください! 作品の概要 ビジュアル分析 岩山の上に親子3世代―聖アンナ、聖母マリア、幼児キリスト―が集まっている光景を描いています。 幼児キリストは、子羊(生贄のアイコン)とたわむれ、抱こうとしてしています。聖母は、聖アンナの膝に座りながら、幼児キリストを諭すような視線を送り、子羊から引き離そうとしているように見えます。聖アンナは、おそらく岩に座り、その2人を見守るように見つめています。 右上の手前の木は、三世代を描いていることと合わせて解釈すると、神という存在が永遠につながっていることを象徴する「生命の木」であることが推測できます。 背景には、空気遠近法(大気の性質を利用した色による遠近表現)を駆使した遠山が、聖母のドレスの色と呼応するかのように青く、幻想的に広がっています。 作品のバックグラウンド ■制作年代はピンポイントできない 制作年代、依頼者については明らかな証拠があるわけではありません。ただし、資料をつなぎ合わせると、ダ・ヴィンチは、この絵について1500年頃から晩年までという長い期間に渡り、熟考、制作していたことが分かります。 また、実際に制作を開始したのは、そのスタイルの特徴から、1507年頃(1499〜1502, あるいは1503年説あり)と考えられます。 ■本作品は未完成 ダ・ヴィンチは、『聖アンナと聖母子』を完成していません。メトロポリタン美術館キュレーター、カーメン・バンバックは、2012年の保存修復後に調査し、特に人物のモデリング(聖母の顔を含む)と仕上げ部分について未完成であることを指摘しています。 ■依頼者は誰か? 依頼者については、複数説あります。ひとつをご紹介しますと、ルイ12世説があります。彼が、アンナ・ド・ブルターニュ(シャルル8世の元妃)を妃として迎え、娘クロードの誕生(1499年10月)が依頼のきっかけとなったと考えられます。聖アンナと妃が同名であることも辻褄が合います。 しかし、何らかの原因により、この作品は依頼者の手元には届けられませんでした。というのも、1517年にはまだ、ダ・ヴィンチの手元にあったことが判明しているからです。そして翌年1518年に、フランソワ1世が購入し、ダ・ヴィンチの弟子サライに多額の金額が支払われています。 しかしながらこの説にも疑義が唱えられていますし、その昔、有力だったフィレンツェのサンティッシマ・アンヌンツイアータ聖堂からの委嘱説はおおかた否定されています。決定的情報は、今のところまだ出てきていません。 ■ナショナルギャラリー、ロンドンにある下絵との関係 ナショナルギャラリー、ロンドンには、『聖アンナと聖母子』制作の準備段階で描かれた下絵が存在します。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『聖アンナと聖母子と幼児洗礼者ヨハネ』、1500〜1508年頃、141.5 x…

マネジメント、人事に不可欠なこの一冊

ダニエル・カーネマンと言えば、認知心理学者で、2002年に、経済行動学への貢献でノーベル経済学賞を受賞しています。そして、世界的ベストセラーになった『ファースト&スロー: あなたの意思はどのように決まるか(Thinking Fast and Slow)』の著者です。手に取られた方も多いのではないでしょうか。 そんな彼が、同僚2人――HEC経営大学院教授オリビエ・シボニー、ハーバード大学ロースクール教授キャス・R・サスティーン――と書いた最新刊が、『Noise: A Flaw in Human Judgment』です。翻訳版タイトルは、『Noise: 組織はなぜ判断を誤るのか』で、上下2巻本となっています。 左から、カーネマン、シボニー、サスティーン Photo: nextibigideaclub.com 正直、大ヒットの『ファースト&スロー: あなたの意思はどのように決まるか(Thinking Fast and Slow)』の後ですから、そんなに期待していませんでした。ところがみごとに裏切られ、個人的には深い思考に誘因されたと言う意味では、前著以上に傑作でした。カーネマンは、なんと今年88歳。でも、彼の知力は留まることを知りません。 副題を見ると、「人間の判断の盲点」を広く扱った内容と想像しがちなのですが、実際には、「人間に対する危うい人間の評価」がメイントピックとなっています。 ひと言で言えば、「組織ではいかに、いい加減に人間が評価されているか」という中身です。半端なく理不尽で、残酷な例が出てきます。 そして、この正当でない評価を作り出しているのが、Noise です。コンテクストによってさまざまなNoiseが存在します。イメージとしては、次の画像のような感じです。 Noiseには例えば、どんな天気なのか、時間帯はいつなのか、誰が最初に意見を言ったか、あるいは単純に個性などが含まれます。これらの影響を受けながら、人間が5段階スケールで評価する時、その判断力はあてにならなくなります。 入社試験や昇進で思い通りにいかなかった時、人は「自分の力量のせいとか、運のせい」と自己完結しがちです。しかし、その理解は、お門違いかもしれないわけです。 カーネマンらは、組織におけるこうした深刻な問題をまずエッジの効いた例証を通して指摘し、その処方箋についても丁寧に示してくれています。 ですので、特に人事担当者、マネジメント、プロジェクトリーダーの方々には、見逃せない一冊です。人間が人間を評価することの危険性、未来の公平性を強化する必要性について見なおすきっかけになることは間違いありません。 じゃあ、AIでの評価を徹底していけばいいとお思いの方もいらっしゃると思いますが、確かにアルゴリズムには、noiseはありません。しかしながら、バイアスはあるので100%の精度は達成できません。それに加えて、人間とは、精度の問題はさておき、自分で意思決定するのが好きなのです。この辺のところについても、分かりやすく解説してくれています。 ところで、この本のレビューを見ると、2つ星をつけていた方がいらっしゃるのです。 自分の中では近年の名著ベスト5に入るレベルなので、「いったいなぜ?」と探ってみると、この方の評価は、ほとんどすべてが2つ星とか1つ星なんです。常に辛口評価という個性をお待ちで、5つ星をもちろん、4つ星も、3つ星もつけないわけです。…

キーウの美しい聖ソフィア大聖堂

ロシアによるウクライナ侵攻は、相変わらず予断を許さない状況が続いています。 現時点(2022.3.3)ですが、首都キエフ近くをロシア軍が約65キロに渡って車列を作り、いつでもキーウを包囲できる状態が報道されています。また、米国国防総省は、5日以内に陥落すると予想しています。 キーウと言えば、その中心に世界遺産「聖ソフィア大聖堂と関連する修道院」があります。 (郊外にあるキーウ・ペチェールシク大修道院も一緒に世界遺産として認定されています) プーチン大統領は、ロシア正教信者で、彼がこれまでに自ら語った信仰心から推察すると、あえて大聖堂を標的にすることはないと信じたいです。しかし、戦闘が激化すれば被害があることが危ぶまれます。 キーウ市街で正面にそびえる聖ソフィア大聖堂 Photo: wikimedia 聖ソフィア大聖堂 聖ソフィア大聖堂と関連する修道院群、キーウ  Photo: wikipedia この大聖堂は、約20年の歳月をかけて、1037年に完成しました。キーウ大公国のウラジミール1世(1015年死没)が計画し、その息子ヤロスラフ賢公(978-1054)によって施工されました。 5世紀半ばの西ローマ帝国消滅によって、キリスト教の中心は、東ローマ帝国の首都ビザンティウム(コンスタンティノープル)に移り、その東方正教会がキリスト教とその美術にとっての強力な支援者を継ぎました。 ウラジミール1世が、そうした東方正教を国教として受け入れ、彼自身も洗礼したのは988年のことです。その後、ビザンティウムの建築家や芸術家を雇い入れ、キリスト正教会大聖堂であったアヤ・ソフィア(現在はイスラム教ムスク)のような建設を目指したのです。 しかし、鋭い方はお気づきになったのではないでしょうか。 ビザンティン建築の傑作であるアヤ・ソフィアと比較すると、様式が異なるじゃないかと。実際に次の写真と比較していただくとその大きな違いを確認していただけます。 アヤ・ソフィア、イスタンブール photo: wikipedia その理由は、17〜18世紀に聖ソフィア大聖堂は大増改築されておりまして、特に上部の部分が「ウクライナ・バロック」と呼ばれる独自なスタイルになったからです。 聖ソフィア大聖堂のアート 建物の時代は下りますが、内部は、11世紀ビザンティンスタイルのフレスコとモザイク画がそのまま保存されています。 金地に、聖者たちのイコンが所狭しと埋め尽くされています。聖者たちの数は、800以上と言われていますが、これだけ多く描かれている例は他には存在しません。 聖ソフィア大聖堂、祭壇周辺、11世紀前半, Photo: wikipedia 『祈りを捧げる聖母』、モザイク、聖ソフィア大聖堂、中央後陣のドーム部分、高さ約6m、11世紀前半, Photo: wikipedia 中央後陣に最も大きく描かれているのは、聖母マリアです。…