未完の大作『マギの礼拝』を考察する

クリスマスが近いので、キリスト生誕を主題とするダ・ヴィンチ作『マギ(あるいは東方三博士)の礼拝』を取り上げたいと思います。

『マギ(あるいは東方三博士)の礼拝』というと、ネット上で暗い画像を見かけた方が多いのではないでしょうか。実際には、2012〜2017年の長期にわたる修復保存作業のおかげで、画面は明るくなり、詳細もかなり見やすくなっています。

未完ですが、約100の人物と動物、建築物を含む大作であり、ダ・ヴィンチを知るには絶対に避けては通れない作品です。では、見てまいりましょう。


レオナルド・ダ・ヴィンチ、『マギの礼拝』、1481年頃、チャコール、水彩、インク、油彩、パネル、244 x 240 cm、ウフィツィ美術館、フィレンツェ

作品の概要

  • 絵の内容

イエスの生誕にあたり、マギがユダヤのベツレヘムに礼拝に訪れた際の光景(マタイ福音書2:1-20)を描いています。聖母マリアと幼児キリスト、そのふたりを囲む3人のマギを中心としたピラミッド型の構図となっています。

マギとは一般的に、東方から来訪した「賢人」(賢者)あるいは「王」と訳されますが、その正体は明確ではありません。日本語では「博士」と訳される場合もありますが、博士のイメージとは異なります。

マタイ福音書によると、マギは東方で、ユダヤの王で、神の子として降誕するキリストの新星を発見し、その星を崇拝の目的で追ってきたところ、ベツレヘムへ導かれたと言います。そして、彼らは、聖母マリアと幼児キリストを見るやいなや、ひざまずいて礼拝します。そして贈物として、金・乳香・没薬(ミルラとも呼ばれる死体の保存に用いた香料)を差し出します。

絵画では、3人のマギを異なる年齢(青年・中年・老年)、あるいは文化的特徴を持った衣服で描き分けることがよくあります。ダ・ヴィンチ作『マギの礼拝』では、ふたりの老年、ひとりの中年として描かれています。

描き分けの例を確認しておきましょう。アルブレヒト・デューラー作『マギの礼拝』を見ると、まさに老年、壮年、青年の描写で、しかもそれぞれのエキゾチックな衣服が印象的です。


アルブレヒト・デューラー、『マギの礼拝』、1504、100 × 114 cm、油彩、パネル、ウフィツィ美術館、フィレンツェ

  • 背景

ダ・ヴィンチ作『マギの礼拝』は、フィレンツェ郊外にあるサン・ドナート・イン・スコペート修道院の中央祭壇画として依頼された作品です。依頼主は、聖アウグスチノ修道会の修道士たちでした。

その時の契約書(1481年7月)の一部が残されています。その記述を見ると、ダ・ヴィンチがすでに開始していた『マギの礼拝』制作について、かなり不利な支払い条件が書かれています。

最長で30か月以内に完成すること、報酬300フィオリーニ(1枚約3.5グラムの金貨)分は現金ではなく、土地で支払われること、その土地を3年後に買い上げ、その半分をサルヴェストロ・デ・ジョヴァンニの娘の持参金として銀行に入金すること、顔料や金は自分で調達すること、完成しなかった場合は、作品も土地も放棄することが記載されています。

かなり上から目線な契約ですね。この契約は、レオナルドの父であり、公証人だったセル・ピエーロとサン・ドナート・イン・スコペート修道院とのビジネス関係があったことにより仲介されており、それがかえって事態を複雑化させたようです。

いずれにせよ、1482年、ダ・ヴィンチは、『マギの礼拝』を未完成のまま、フィレンツェを後にし、ミラノへと旅立つことになります。なぜ未完で終わらせたかの理由については諸説ありますが、真意のほどは明らかではありません。

そして、サン・ドナート・イン・スコペート修道院の中央祭壇画は、1496年に画家フィリッピーノ・リッピによって完成します。次に挙げる絵になります。


フィリッピーノ・リッピ、『マギの礼拝』、1496、油彩、パネル、258 cm X 243 cm、ウフィツィ美術館、フィレンツェ

  • さまざまなシンボル

ダ・ヴィンチ作『マギの礼拝』には、いくつか象徴的な図像が含まれています。その解釈はひとつに絞れないものもありますが、説得力のあるものを挙げておきましょう。

■大勢の見物人

中央の五人の周りを大勢の傍観者が囲んでいます。これらの人々は、聖書の記述に基づいたイメージではなく、当時のエピファニア(公現祭1月6日)に集まるたくさんの人々をベースに描かれていることが理解できます。

エピファニア(英語ではエピファニー)とは、キリスト教徒の前に最初にキリストが姿を現したことを祝うもので、イースター、クリスマスとともにクリスチャンにとって大事な祝典のひとつです。

■左上の古代建築

一見、古代建築のただの廃墟のようですが、よく見ると人々が壊れた建物を再建設中です。これは、旧約聖書イザヤ書に書かれたエルサレムにおける神殿の再建設をほのめかしているようです。最近の研究では、ソロモン神殿を意図している可能性が高いと言われています。

■2本の木

手前の木は、根が張り出し枝分かれが見られ、イザヤ書に記された「生命の木」を意味しているようです。その奥のヤシの木ですが、元々勝利のシンボルで、この場合はキリストの受難の死から復活する勝利を意味します。

■右下辺に立つ人物

右辺に立ち、右斜めを見つめる青年は、30歳のダ・ヴィンチ自身ではないかと言われています。


ここが革新的

  • 人体の解剖学的描写

ダ・ヴィンチ作『マギの礼拝』を見ていただくと、未完にもかかわらず、救世主誕生に対する人々の歓喜の様子がまざまざと伝わってきます。いったいなぜでしょうか?

人体描写があまりにも正確なため、自然だからです。人体の基本を押さえた上で、そこから衣服を着て、動き、感情を加えるとどう見えるのかを、つぶさに観察していたダ・ヴィンチだからこそ可能だった表現力です。

  • 後景の緻密さ

もしもダ・ヴィンチ作『マギの礼拝』が完成していたら、背景はもはや背景ではなく、別次元に高められていたことはほぼ間違いありません。なぜでしょうか?

■画面左の再建している建物

結果的には全体的なバランスを重視する理由で、採用こそしませんでしたが、そのスケッチでは、消失点を含むサイエンスに基づいて描くことも試みていました。完成していれば、宗教画の背景としては、それまでにない緻密な描写であることが想像できるのです。


レオナルド・ダ・ヴィンチ、『マギの礼拝』のための習作、1481年頃、コンパス、鉛尖筆、ペン、インク、チョーク、水彩、グアッシュ、163 mm X 290 mm、ウフィツィ美術館、フィレンツェ

■画面右側の戦闘シーン

画面右側2時の方向に目を向けてみてください。

1503年にフィレンツェ共和国ヴェッキオ宮殿の大会議室のために依頼されたものの、未完成のまま喪失した『アンギアーリの戦い』を彷彿させる戦闘シーンが描かれています。

絡み合う敵同士が的確に捉えられ、白熱する戦いの様子が伝わってきます。ダ・ヴィンチは馬と騎乗する軍人の動きのスケッチを数多く残しており、彼にとって極めたい挑戦的な課題であったことが想像できます。


まとめ

『マギの礼拝』というタイトルは、日本人にはおなじみがなく、響きにくいのではないでしょうか。「キリスト生誕の奇跡的な祝福ストーリー」と考えれば、もっと親しみやすくなるかもしれません。

キリスト教絵画で最も多く描かれたトピックのひとつですので、ご覧になる機会があれば比較してみると非常に面白いです。すると同時に、未完成とは言え、ダ・ヴィンチの力量が再確認していただけるでしょう。

では、良いクリスマスをお過ごしください!