ムンクを見にノルウェーに行きたい!

さて、夏休みのプランはお決まりでしょうか。 「ギラギラの太陽が大好きで、海のリゾート地の一択」という方は別として、今年の夏、ノルウェーを訪れるべき理由はたくさんあります。 熱帯化している日本を脱出 8月のオスロの平均気温は、なんと最高/最低気温は21/13度です。そして東京の最高/最低気温は、31/23度ですから、ちょうど10度違います。 そしてウェザーニュースが出した7〜9月の見通しによりますと、日本は全国的に猛暑で、特に北日本から西日本では平年より厳しい暑さになることが予想されています。35度以上の猛暑日が連続した6月、あの危険な暑さが再来することは十分あり得ます。 オスロオペラハウス Photo: visitnorway.com コロナ感染者が少ない 2022年7月3日時点ですが、ノルウェーのコロナ感染者は112人となっています。 これから増加する可能性があったとしても、少なくとも2か月程度は落ち着いている可能性は高いのではないでしょうか。 ムンク美術館 もちろん、ノルウェーを訪れる理由は上記2つだけではありません。 3つめの理由が、ムンク美術館です。この夏、ムンク美術館を格別に堪能できる訳を2つ挙げますね。 ■コロナでふさぎ込んだ気分をムンクと共有したい ムンクは、少なくとも5000万人が亡くなったスペイン風邪(1918〜1921)の感染者であり、サバイバーでした。ムンクはスペイン風邪から回復しましたが、同時期のオーストリア画家グスタフ・クリムトとエゴン・シーレは残念ながら亡くなっています。 そしてムンクは、感染中と感染後の自分のストレスと絶望に満ちた心のひだを、独特の線描と色彩でみごとに捉えた作品を制作しています。下に掲載しています。(※感染中の自画像の方は、最後でご紹介するノルウェー新国立美術館の所蔵となりますので、お間違いなきようにお願いします) コロナの今だからこそ、ムンクの自画像を眼の前にして彼の感情とシンクロできそうです。 エドヴァルド・ムンク、『スペイン風邪を患った自画像』, 1919, 150 cm X131 cm, 油彩、ノルウェー新国立美術館 エドヴァルド・ムンク、『スペイン風邪後の自画像』, 1919, 59cm X73cm, 油彩、ムンク美術館 ■ムンク美術館は2021年に新たな美術館としてオープンしたばかり…

エリザベス女王のアートコレクション

エリザベス女王即位70周年祝賀パレード Photo: Royal Collection Trust (エリザベス女王が、英国時間2022年9月8日午後にご逝去なさいました。ご冥福をお祈りいたします) エリザベス女王在位70周年が、世界各地で祝福されました。 彼女の乗馬や犬好きはたびたびニュースになりますが、アートコレクションとの関係はあまり知られていないのではないでしょうか。 実は、世界的なアートコレクションを管理しており、その中にはレオナルド・ダ・ヴィンチの人体解剖図で有名な ウィンザー手稿 も含まれています。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『足と肩の骨』、1509-1510年頃、28.7 x 19.8 cm、ペン、インク、チョーク、(c)Her Majesty Queen Elizabeth II, 2022 もちろん、彼女の個人的なコレクションではなく、代々承継される王室と国家のためのコレクションなのですが、エリザベス女王自身の名前で管理しているところが珍しい例です。そのため、 著作権には、 Her Majesty Queen Elizabeth II と入っています。 ローヤルコレクションの規模 例えば、ルーブル美術館の美術品収蔵数は合計約38万、ニューヨークメトロポリタン美術館は合計約150万と言われています。ご参考までですが、日本の皇室コレクションは約9,800点です。 ローヤルコレクションは合計約100万で、内訳を次の通りです:…

ダ・ヴィンチが最晩年まで攻めた証『聖アンナと聖母子』

ダ・ヴィンチの最晩年の作品のひとつをご紹介しましょう。 クリエーターの晩年作というのは、強い遺志が込められているようで特別なものです。もしかすると「ダ・ヴィンチが最後まで手を入れていたのは本作品だったのかも」と考えるだけでドキドキします。 最晩年作のひとつには他に『洗礼者ヨハネ』がありますが、作風がまったく異なる点が興味深いのと同時に、ミステリアスでもあります。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『聖アンナと聖母子』、1507〜1508年頃から制作開始、油彩、パネル(ポプラ材)、168 cm X 130 cm、ルーブル美術館、パリ ※この『聖アンナと聖母子』を含むダ・ヴィンチの絵画全作品が、「ダ・ヴィンチの5つの部屋」でご覧いただけます。ルネッサンスの臨場感をお楽しみください! 作品の概要 ビジュアル分析 岩山の上に親子3世代―聖アンナ、聖母マリア、幼児キリスト―が集まっている光景を描いています。 幼児キリストは、子羊(生贄のアイコン)とたわむれ、抱こうとしてしています。聖母は、聖アンナの膝に座りながら、幼児キリストを諭すような視線を送り、子羊から引き離そうとしているように見えます。聖アンナは、おそらく岩に座り、その2人を見守るように見つめています。 右上の手前の木は、三世代を描いていることと合わせて解釈すると、神という存在が永遠につながっていることを象徴する「生命の木」であることが推測できます。 背景には、空気遠近法(大気の性質を利用した色による遠近表現)を駆使した遠山が、聖母のドレスの色と呼応するかのように青く、幻想的に広がっています。 作品のバックグラウンド ■制作年代はピンポイントできない 制作年代、依頼者については明らかな証拠があるわけではありません。ただし、資料をつなぎ合わせると、ダ・ヴィンチは、この絵について1500年頃から晩年までという長い期間に渡り、熟考、制作していたことが分かります。 また、実際に制作を開始したのは、そのスタイルの特徴から、1507年頃(1499〜1502, あるいは1503年説あり)と考えられます。 ■本作品は未完成 ダ・ヴィンチは、『聖アンナと聖母子』を完成していません。メトロポリタン美術館キュレーター、カーメン・バンバックは、2012年の保存修復後に調査し、特に人物のモデリング(聖母の顔を含む)と仕上げ部分について未完成であることを指摘しています。 ■依頼者は誰か? 依頼者については、複数説あります。ひとつをご紹介しますと、ルイ12世説があります。彼が、アンナ・ド・ブルターニュ(シャルル8世の元妃)を妃として迎え、娘クロードの誕生(1499年10月)が依頼のきっかけとなったと考えられます。聖アンナと妃が同名であることも辻褄が合います。 しかし、何らかの原因により、この作品は依頼者の手元には届けられませんでした。というのも、1517年にはまだ、ダ・ヴィンチの手元にあったことが判明しているからです。そして翌年1518年に、フランソワ1世が購入し、ダ・ヴィンチの弟子サライに多額の金額が支払われています。 しかしながらこの説にも疑義が唱えられていますし、その昔、有力だったフィレンツェのサンティッシマ・アンヌンツイアータ聖堂からの委嘱説はおおかた否定されています。決定的情報は、今のところまだ出てきていません。 ■ナショナルギャラリー、ロンドンにある下絵との関係 ナショナルギャラリー、ロンドンには、『聖アンナと聖母子』制作の準備段階で描かれた下絵が存在します。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『聖アンナと聖母子と幼児洗礼者ヨハネ』、1500〜1508年頃、141.5 x…

キーウの美しい聖ソフィア大聖堂

ロシアによるウクライナ侵攻は、相変わらず予断を許さない状況が続いています。 現時点(2022.3.3)ですが、首都キエフ近くをロシア軍が約65キロに渡って車列を作り、いつでもキーウを包囲できる状態が報道されています。また、米国国防総省は、5日以内に陥落すると予想しています。 キーウと言えば、その中心に世界遺産「聖ソフィア大聖堂と関連する修道院」があります。 (郊外にあるキーウ・ペチェールシク大修道院も一緒に世界遺産として認定されています) プーチン大統領は、ロシア正教信者で、彼がこれまでに自ら語った信仰心から推察すると、あえて大聖堂を標的にすることはないと信じたいです。しかし、戦闘が激化すれば被害があることが危ぶまれます。 キーウ市街で正面にそびえる聖ソフィア大聖堂 Photo: wikimedia 聖ソフィア大聖堂 聖ソフィア大聖堂と関連する修道院群、キーウ  Photo: wikipedia この大聖堂は、約20年の歳月をかけて、1037年に完成しました。キーウ大公国のウラジミール1世(1015年死没)が計画し、その息子ヤロスラフ賢公(978-1054)によって施工されました。 5世紀半ばの西ローマ帝国消滅によって、キリスト教の中心は、東ローマ帝国の首都ビザンティウム(コンスタンティノープル)に移り、その東方正教会がキリスト教とその美術にとっての強力な支援者を継ぎました。 ウラジミール1世が、そうした東方正教を国教として受け入れ、彼自身も洗礼したのは988年のことです。その後、ビザンティウムの建築家や芸術家を雇い入れ、キリスト正教会大聖堂であったアヤ・ソフィア(現在はイスラム教ムスク)のような建設を目指したのです。 しかし、鋭い方はお気づきになったのではないでしょうか。 ビザンティン建築の傑作であるアヤ・ソフィアと比較すると、様式が異なるじゃないかと。実際に次の写真と比較していただくとその大きな違いを確認していただけます。 アヤ・ソフィア、イスタンブール photo: wikipedia その理由は、17〜18世紀に聖ソフィア大聖堂は大増改築されておりまして、特に上部の部分が「ウクライナ・バロック」と呼ばれる独自なスタイルになったからです。 聖ソフィア大聖堂のアート 建物の時代は下りますが、内部は、11世紀ビザンティンスタイルのフレスコとモザイク画がそのまま保存されています。 金地に、聖者たちのイコンが所狭しと埋め尽くされています。聖者たちの数は、800以上と言われていますが、これだけ多く描かれている例は他には存在しません。 聖ソフィア大聖堂、祭壇周辺、11世紀前半, Photo: wikipedia 『祈りを捧げる聖母』、モザイク、聖ソフィア大聖堂、中央後陣のドーム部分、高さ約6m、11世紀前半, Photo: wikipedia 中央後陣に最も大きく描かれているのは、聖母マリアです。…

もう止められない!NFTアートの波

エルミタージュ美術館所蔵のレオナルド・ダ・ヴィンチ『リッタの聖母』もNTF (非代替性トークン) アートになりました。昨年8月、他の名画4点と合わせて44万500ドル(約4850万円)で売られました。 ダヴィンチ研究所としては、この大ブームになっているNTFアートを考察してみることにしました。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『リッタの聖母』、1490年頃、テンペラ、キャンバス、42 cm × 33 cm、エルミタージュ美術館 NTFアートの起爆剤 NTFアートに火をつけたのは、2021年3月クリスティーズのオンラインオークションにて、グラフィックデザイナーである Beeple ビープル(Mike Winkelmann マイク・ウィンケルマン) の『Everydays: the First 5000 Days』が、約6935万ドル(約75億円)で落札されたことに始まります。 ビープル、『Everyday: The First 5000 Days』, 21,069 × 21,069 ピクセル、所有者Vignesh Sundaresan、Photo: Wikipedia Beepleビープルこと、Mike Winkelmann…

レンブラント『夜警』は本当にAIでよみがえったのか?

オランダバロック時代の巨匠レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)による名画『夜警』(1642年作、アムステルダム国立美術館所蔵)が、300年ぶりにAIによって欠損部分が復元されました。 復元されたスキャン画像は、オリジナル絵画とともに3か月間(2021年7月〜)特別公開されます。 『夜警』とは? レンブラント・ファン・レイン、『夜警』、1642、アムステルダム国立美術館、363 cm × 437 cm、油彩、キャンバス(1715年欠損後) 上の画像で物足りない方は、世界で一番解像度が高い『夜警』をご覧ください。 『夜警』と呼ばれていますが、後年のニックネームです。 現在の正式名称は、『フランス・バニング・コック隊長指揮下にある第2市民自警団』(オランダ語: Schutters van wijk II onder leiding van kapitein Frans Banninck Cocq)ですが、元々はもっと長い名称でした。 その名称から推測できるように、主題は、アムステルダムを警備していた市民自警団が出勤する様子です。その隊長が、フランス・バニング・コック(画面中央向かって左の人物)で、副隊長がウィレム・ファン・ライテンブルフ(画面中央向かって右)でした。その自警団は、火縄銃隊でした。 『夜警』というニックネームは、重ねづけらた釉が黒ずみ、夜のシーンと信じられていたことによります。1940年代に劣化していた釉は取り除かれましたが、その名は今日まで継続的に使われています。 『夜警』の革新性 こんな大作を、繊細な技巧、秀逸な構図、ドラマティックな明暗の演出で描いた『夜警』は、レンブラント作品の中で間違いなく最高傑作です。 さらなる革新性と言うと、この絵が市民自警団の「肖像画」である点です。 肖像画で思い出すのは、パターンが決まった固いポーズをした人物ですよね。ところが、この絵画では、それぞれの人物がそれぞれのアクションの中で、生き生きとしたポーズと表情で捉えられています。 焦点は、中央の隊長、副隊長ではありますが、その他のすべての人物も個性的に、民主的に描かれている点は見逃せません。 グループの肖像画にこうした躍動する姿を採用したのは、美術史上最初のことでした。 『夜警』を襲ったダメージ 『夜警』が400年近くを経た現在まで、その崇高な姿が見られるのは奇跡と言っても過言ではありません。と言うのも、これまで絵画にとっては致命的な出来事に襲われてきたからです。 ■1715年、画面の切り詰め この年、『夜警』は、火縄銃手司令部建物の広い宴会ホールから、アムステルダム市役所へ移動されました。その際、2つのドアのあいだのスペースに入らなかったため、上下左右が切り詰めされました。…

『モナ・リザ』はなぜ名画なのか?Part I

世界一有名な絵画と言えば、やはり『モナ・リザ』。そして、世界一高価な絵でもあります。 パリのルーブル美術館では、毎年約1000万人に観覧されています。また、世界一高額の保険査定8億2千万ドル(日本円で約1066億円)がつけられる名画中の名画としての地位を確立しています。 でも実際のところ、あまりにもおなじみ過ぎて、よく観たことがないという方も多いのではないでしょうか。 そこでダヴィンチ研究所としては、その名画たる理由をここにまとめておきましょう。ではまずは絵をじっくりと観てください。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『モナ・リザ』、1503年より制作開始、77 cm × 53 cm、油彩、パネル(ポプラ材)、ルーブル美術館、パリ ※この『モナ・リザ』を含むダ・ヴィンチの絵画全作品が、「ダ・ヴィンチの5つの部屋」でご覧いただけます。ルネッサンスの臨場感をお楽しみください! 作品の概要 背景 この作品は、『ラ・ジョコンダ』または『リサ・デル・ジョコンダ』と呼ばれることもあります。前者は「ジョコンダ婦人」という意味で、後者はこの女性の名前をということになります。 ダ・ヴィンチの死後、弟子サライ(ジャン・ジャコモ・カプロッティ)が所有しており、彼の所有物リストには『ラ・ジョコンダ』と記載されていました。 『モナ・リザ』という呼称のモナは、madonna (マドンナ)の短縮形でイタリア語では通常 monnaと綴られます。英語では一般的には、mona となっています。 では、リサ・デル・ジョコンダ(1479〜1542)とは、どんな人物だったのでしょうか? シルク商人フランシスコ・デル・ジョコンダの2番目か3番目の妻です。ダ・ヴィンチがこの作品の依頼を受けることになったのは、ダ・ヴィンチが、ジョコンダ家の礼拝堂があったサンティッシマ・アヌンツィアータ教会に滞在した1500年にフランシスコと出会ったからではないかと考えられます。 サンティッシマ・アヌンツィアータ教会、フィレンツェ、イタリア Photo: Max Ryazanov (17 September 2013). ダ・ヴィンチが描き始めた1503年10月の時点で、彼女は24歳、結局彼は最期までこの作品を手放すことなく死を迎えた時に、彼女は40歳ということになります。彼女は、夫妻の子供たち6人のうち、5人の母でもありました。 かつては、『モナ・リザ』の制作年代とその人物についての議論がありましたが、2005年に決定的資料が発見され、もはやその2点については疑う余地がなくなっていますのでご注意ください。 ここが革新的! 異次元的テクニック 『モナ・リザ』は、斜め前を見ている座った姿勢のジョコンダ婦人を、手まで含んで半頭身を描いた肖像画です。 ただし、それだけの肖像画ですと、美術史上のレボリューションとは言えません。なぜならば、すでに前例があるからなのですね。 ハンス・メムリンク、バーバラ・ヴォン・ヴランデンバーグの肖像、1480年頃、37…

相次ぐ絵画修復ミスが痛い

美術館で働いていた頃、修復室は神聖な領域のように感じました。 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ、『無原罪懐胎』、1660 〜 1665年、206 X 144 cm、プラド美術品 なぜなら、世界に一点しか存在しない美術品、時には神の化身のような作品に触れていくからです。 現実的にも、修復室はいつもきちんと整理整頓されていて、修復士は静寂の中で、絵画の1平方センチあたりに長い時間をかけて加筆していました。 何十年の経験があったとしても、決して王道があるわけではなく、個々の作品の状態を鋭い観察眼で観ながら判断しなければならない緻密な作業です。 上のバロック画家バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作『無原罪懐胎』の複製画は、スペインで家具修復士の手を経て、その聖母マリアの顔は無残な状態になってしまいました。費用は、1200ユーロ(約14万5千円)でした。 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ、『無原罪懐胎』複製画の修復 (c)Europa Press もう元には戻せないほどに、完全に別物です。 修復歴30年のキャリアを持ち、16〜20世紀絵画保存に関わってきたリサ・ローゼンは、次のように話します。 「歯の治療に木工所に行ったのと同じ…でも修復士の気持ちは分かるわ。もう少し、もうちょっとと思いながら、やり過ぎてしまった」 「修復士は原画の筆使いを一筆一筆真似なければならないの。自我は忘れなければならない」 スペインだけではなく、日本でもある有名な鎌倉時代の絵が激変してしまったことが話題になったことがあります。その絵も、やり過ぎたようで、ベタっとした厚塗りになっていました。 いかに自我を押さえるか。修復の仕事は奥が深いことこの上ないです。

アートが観たい気持ち どうする?

アートを観るための空間は、三密を作りやすい。というわけで、以前のように美術館・アートフェア・オークションに気軽に立ち寄れるようになるにはしばらく時間がかかりそうです。 そんな中、コロナにプッシュされて、アートのデジタル化が眼を見張るほど急速に進んでいるのも事実です。その一部をご紹介しましょう。 Google Arts and Culture すでにご存じの方も多いと思いますが、世界の美術館を覗けるツアーから、名画のクロースアップ、美術展ツアーまで高解像度の美しい画像で楽しめます。あっという間に時間が過ぎてしまいますのでご注意を。それに毎週、新しいトピックで更新されているので飽きません。 個人的に気に入っているのは、Art Cameraです。ピーター・ブリューゲル・エルダー 作『バベルの塔』の精密な画像の中にズームインし、絵の中の世界に入ったかのような体験できます。 ピーター・ブリューゲル・エルダー 、『バベルの塔』、1563年頃、ウィーン美術史美術館 CR: Google Arts and Culture ホイットニー美術館 現時点で最もデジタル化が進んでいる美術館のひとつが、ホイットニー美術館です。美術展から、映画、教育プログラムまで完全にオンラインで参加できるようになっているところが素晴らしい!美術展カタログまで、世界中のどこにいても閲覧できます。 オックスフォード現代美術館 コロナでキャンセルとなった美術展は、いち早くバーチャルリアリティによる展覧会に変更されています。実際に美術展を訪れたように、観覧順路を辿ることができます。 現在公開中なのは、アメリカ人アーティストであるキキ・スミスのタペストリーを展示した"I am a Wanderer (私はさすらい人)"です。 CR: Art Modern Oxford…