上野の森美術館で、シンシナティ美術館展──アメリカに渡ったヨーロッパの至宝(10月10日~2027年1月10日)が開催されています。シンシナティ美術館改築に合わせての来日で、富山・名古屋・大阪と巡回します。
目玉となっているのは、ファン・ゴッホ作『ポプラの林の中の二人』です。
本作は、ファン・ゴッホが死までの最晩年、 パリの北西へ約27kmの農村オーヴェル=シュル=オワーズのラヴー旅館2階の5号室に滞在(1890年5月-7月)していたときに制作された1点です。

実はこの『ポプラの林の中の二人』ですが、この時期の特徴を最もよく体現した重要作品のひとつです。
今回は、この『ポプラの林の中の二人』を入り口として、ファン・ゴッホの最後の70日間を概観しましょう。
『ポプラの林の中の二人』

本作品は、オーヴェルで描かれた76作品の中の1点です。1890年6月末頃に完成していたと考えられています。
ひと目でオーヴェル期の作品であることがわかります。なぜでしょうか。
それは、横長のパノラマ用キャンバス(No. 30)です。これまで使用したことがなかったキャンバスに初めて挑戦したからです。縦は50cmしかないにもかかわらず、垂直のポプラの列とその配置によってものすごく奥行が深く見せているのはみごとですね。
横長なキャンバスを使った理由ですが、そのひとつは、バルビゾン派の中心画家で、晩年オーヴェルに住んでいたシャルル=フランソワ・ドービニー(1817-1878)へのオマージュだと言われています。ドービニーの作品はこのセクションの最後に挙げますが、横長キャンバスを多用した画家です。
『ポプラの林の中の二人』は奥行と横の広がりの中央に、ドレスアップした男女のカップルが立つ構図です。でも、ファン・ゴッホにとってこの絵の主人公は彼らではなく、紫色のポプラの幹とその下で黄・白・オレンジの花をつける柔らかな緑の草原です。
というのも、ファン・ゴッホは、弟テオへの2通の手紙の中でこの絵について書いています。キャンバスと色彩については語っている一方で、カップルについてはまったく触れてないのです。
ところでキャンバスのサイズ以外に、この時期の特徴は何でしょうか。
これまでの金色の光の暖かさではなく、銀色の光の静けさが感じられます。黄色やオレンジを大胆に使わなくなり、ブルー・グリーン・紫が画面を支配するようになります。筆致が短く速く、絵具が薄塗りになります。
森というシンプルな主題ですが、色彩・構図・筆触が作り出す幻想的な気配に引き込まれてしまう作品です。
では、横長キャンバスを多用したドービニーの作品を挙げましょう。ファン・ゴッホは、次のドービニー作『春の風景』を見ていてインスパイアされている可能性が高いです。

日本で観られるオーヴェル期の2作品
日本国内で観られるオーヴェル期の作品は、2点あります。その他に非公開のプライベートコレクション1点があります。
オーヴェル期を理解するために貴重ですので、確認しておきましょう。
ポーラ美術館蔵『アザミの花』

解像度が高い画像が見つからなくて、ちょっと見にくくてすみません!
この『アザミの花』も、『ポプラの林の中の二人』と同様に、1890年6月に描かれたとされています。
オーヴェル期の後半以降は特に、色彩が確実に変化しました。強いコントラストをつけることは少なくなってグラデーションを好み、暖色よりも、グリーンとパープルという涼やかな色を使っています。
アザミや棘のある植物は、イエス・キリストが受難の際にかぶったいばらの冠を象徴します。そのため、死の予兆ではないかと考える人もいますが、ファン・ゴッホの手紙を読むと、アザミはむしろ強さや忍耐をイメージして描いたと推察できます。
ひろしま美術館『ドービニーの庭』

2つめの作品は、ひろしま美術館所蔵『ドービニーの庭』です。ドービニーとは、すでにご紹介したシャルル=フランソワ・ドービニーのことで、彼が生前に住んでいた住居の庭を描いています。
ファン・ゴッホは、『ドービニーの庭』を3点制作しているのですが、そのうちの一枚です。残りの2枚は、ファン・ゴッホ美術館とシュテクリン・コレクション(バーゼル)に所蔵されています。
最初に描かれた『ドービニーの庭』(ファン・ゴッホ美術館所蔵)ですが、ファン・ゴッホはキャンバスを切らしていて、なんと食器吹き用ふきんに描いています。
その行動だけでも、ファン・ゴッホの熱意が伝わりますが、実際に最も意図的に描いた画題のひとつであったことを亡くなる六日前に弟テオへの手紙に綴っています。
画風も進化していて、形・筆触・色が抽象画の構造に踏み込んでいるような絵になっています。
ファン・ゴッホのこの絵に込めた思いと画風の最終進化形に触れるためにも、一見の価値ありです!
プライベートコレクション『オーヴェル村の通りと階段にいる二人』

20.5 x 26.0 cm、油彩、キャンバス, プライベートコレクション、Photo: Wikiart
プライベートコレクションで、今回ご紹介する4作品の中で最も早い時期に描かれています。他3点とは、色も筆触も形も異なることにお気づきいただけたのではないでしょうか。
色面が大きく、筆触は構成のために使われて、形は単純化され、強い抽象化が進んでいます。筆触以外は、当時のポール・ゴーギャンのスタイルに似ています。この頃、ゴーギャンとの手紙でのやり取りが活発化していたのでなんらかの関係があるのかもしれません。
小さな作品ですが、オーヴェル期の前半でファン・ゴッホが別のスタイルを試行していたことがわかる面白い作品となっています。しかし、この傾向を継続することはありませんでした。
事故説 それとも自殺説?
精力的に描いていたファン・ゴッホが、なぜ突然亡くなってしまったのか?
それは、いまだにミステリーです。自殺説が広く支持されていますが、事故説も説得力があります。
皆さんはどう思われますか。
2011年事故説
過失致死説が出たのは、2011年に出版されたスティーヴン・ネイフとグレゴリー・ホワイト・スミスのよる著書『ファン・ゴッホの生涯』全2巻でした。
避暑に来ていた少年たちが所持していた拳銃が誤って発射され、その弾がファン・ゴッホの左胸下に当たり、それをかばって彼自身が自殺に見せかけたというものです。
自殺説だとしたら不可解なこと──拳銃の入手先、銃創の位置、画家として認められてきた時期での行為──を説明できることが強みです。しかし、現在までほとんどの研究者をはじめ、ファン・ゴッホ美術館も過失致死説を支持しているわけではありません。
一次資料が語ること
事件が起こった7月27日にファン・ゴッホは、テオへの書きかけの手紙を所持していました。その最後の手紙には、次のように綴られていました。
「ああ、私は自分の仕事のために命を危険にさらしているし、そのせいで理性は半ば沈んでしまった。 でも、どうしようもないだろう。」
この文から、ゴッホが創造と死を同じ文脈で語り、極めて自己破壊的な状況だったことが察せられます。
ファン・ゴッホは負傷してから、36時間ほど生命をとりとめました。自力で夜9時にラヴー旅館に戻り、自殺を試みたことをラヴー家の人に伝えています。
パリから呼び寄せられたテオは、亡くなるまで兄に付き添い、後に母へ送った手紙で次のように書いています。テオは、妻ヨー(ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンガー)にも同じような手紙を送っています。
「フィンセントはもう逝りたいと言った。1時間後にその願いはかなえられた。人生は彼にとってあまりにも重かった」
まとめ
さて、ファン・ゴッホの最後を超特急で概観してみました。
70日間とは言え、彼にとってはものすごく濃密な時間で全然書き足りないです。この時期の有名な傑作、たとえば『オーヴェルの教会』『ガシェット医師の肖像』については触れるスペースがなくなりました。
ところでシンシナティ―美術館展に平日の閉館直前に行ったおかげか、びっくりするほど空いていました。『ポプラの林の中の二人』は始め、じっくり絵を観察する貴重なチャンスとなり、個人的には、他にも2点ドキドキする絵に出会うことができて至福の時間となりました。
最後に補足ですが、ファン・ゴッホの最後の作品は、死の前日の朝、森の下生えを描いていたという証言から、次の『木の根』が有力視されていますが、強い確証があるわけではありません。

50 X 100 cm 、油彩、キャンバス, ファン・ゴッホ美術館、Photo: Wikimedia Commons
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