大ゴッホ展公開中!『夜のカフェテラス』を考察する

上野の森美術館で、遂に「大ゴッホ展──夜のカフェテラス」が開幕(2026年5月28日 〜8月12日)しました。

せっかくですので、その目玉であるクレラー=ミュラー美術館所蔵『夜のカフェテラス』について少し丁寧に観ていきたいと思います。

実は、この作品は、レオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』へのオマージュ説も出ておりまして、そのあたりもご紹介してまいります。


フィンセント・ファン・ゴッホ、『夜のカフェテラス』、1888、81.0 cm × 65.5 cm、油彩、キャンバス、クレラー=ミュラー美術館、エデ、オランダ


作品の背景

ファン・ゴッホが、1888年9月中旬にアルル旧市街のフォルム広場に面したカフェを描いた作品です。パリからアルルへと移り住んで半年が過ぎ、明るく温暖な気候の地で心理状態が安定し、創作意欲も高まっていた時の一枚です。

このカフェは、彼が住んでいた黄色い家から徒歩約10分圏内にありました。ファン・ゴッホは常に金欠気味でしたが、そのフォルム広場のカフェは、他よりも高級であったにもかかわらず彼の行きつけだったようです。

この作品には次のスケッチが残っていますが、絵画の方もある段階までその場で描いた可能性が高いです。妹に宛てた手紙の中で、次のように述べています。

「私は夜に現場で描くのが大好きだ。昔の画家はまずスケッチをして、昼間にアトリエで絵を仕上げた。しかし私は、その場で直接描く方が性に合っている。」(ウィルヘルミナへの手紙、1888年9月14日)


フィンセント・ファン・ゴッホ、『夜のカフェテラス』、ドロ-イング、1888、62.8 X 47.1 cm、チョーク、ペン、インク、グラファイト、紙、ダラス美術館

作品の内容

深い夜の街角でにぎわうカフェが、巧みな配色、考えられた構図、興味深いモチーフによって捉えられた作品です。視点誘導(カフェから、小径、その奥、夜空へと)が卓越しています。

まず眼が’引きつけられるのは、壁から伸びたアームに取り付けられたガス灯から放たれる強い黄色い光です。その光は、天井や壁、石畳までも広がっています。

そのカフェでは、ウェイターと思われる白い服を着た人物が中央に立ち、それを囲むように、11人の客が丸テーブルに着席し、ひとりがドアのところに立っています。カフェ内だけでも、バランスのとれた構図が上手いです。

厚塗りの絵具は光を触覚的な体験として表現しており、異なる筆致(短い、長い、渦巻、力強い)がリズムを生んで画面を躍動させています。こうしたファン・ゴッホの真骨頂がいかんなく発揮されています。

そのカフェから視点は右の石畳の小径へと、さらにはその奥の闇へと誘導されます。ここでは、消失点が右にそれた一点透視図法を使っています。そこから、馬車がこちらに向かってきます。小径にいる人々の中には、馬車を待っている人がいるのかもしれません。

眼が上に誘導されると、ブルーの空には、満天の星が輝いています。UCLA教授だった美術史研究者アルバート・ボイムによれば、ファン・ゴッホは、忠実に空の様子を捉えようとしており、みずがめ座の位置から11:00PM頃と推測されています。

色は補色を並列させ、また夜にもかかわらず黒を広く使用しないところに特徴があります。実際、ファン・ゴッホは、黒に頼らない夜を描いたことを自負していることが、妹への手紙からうかがえます。

「今や、黒を使わない夜の絵ができあがった。美しい青、紫、緑だけで描かれた夜であり、その色に囲まれた中で、明るく照らされた広場は淡い硫黄色やレモン・グリーンに染まっている。」(ウィルヘルミナへの手紙、1888年9月14日)


友人からのインスピレーション

『夜のカフェテラス』の制作にあたり、ファン・ゴッホを刺激した一枚の絵がありました。

それが、同時代のフランス画家ルイ・アンクタン(1861–1932)が描いた次の『クリシー大通り(通り ― 午後5時』です。アンクタンが26歳の時、『夜のカフェテラス』の10か月前に制作した作品です。

アンクタンは、ファン・ゴッホと同じ先生フェルナン・コルモン(1845–1924)の画塾で共に学び、切磋琢磨していました。


ルイ・アンクタン、『クリシー大通り(通り ― 午後5時』、1887、68.3 x 50.5 cm、グアッシュ、水彩、紙、ワズワース・アセニウム美術館、ハートフォード、コネチカット

一目瞭然ですが、ブルーと黄色の強い色彩のコントラスト、それから通りに突き出した屋根を左に寄せた構図が似ています。でも面白いのが、アンクタンはカフェではなく、精肉店を描いている点です。吊り下がっている動物や置かれたハムが確認できます。

ファン・ゴッホは、アンクタンに対して、浮世絵を紹介していました。そのおかげで、『クリシー大通り(通り ― 午後5時』の右下角に注目すると、大胆な人物のトリミングがあります。これは、浮世絵ではよく使われる手法ですが、当時の西洋画としては革新的なものでした。

アンクタンのこの作品はイノベイティブでしたが、その後は伝統的な西洋画に回帰して精彩を欠き、残念ながら彼の存在感は忘れ去られていきました。

ちなみに『クリシー大通り(通り ― 午後5時』は、2021年ロンドンクリスティーズのオークションで32万5000ポンド(約4840万円)で落札されています。


歌川広重からの刺激

結局のところ、若きファン・ゴッホとアンクタンを刺激したのは、浮世絵ということになります。

よく具体例として挙げられるのが、次の歌川広重(初代)作、江戸名所百景から『猿わか町よるの景』です。


歌川広重(初代)、江戸名所百景から『猿わか町よるの景』、1856、37.5×25.4cm、大判、錦絵 Photo:wikipedia

改めてこの浮世絵を観ると、本当に傑作だなあと感動してしまいます。おそらく、ファン・ゴッホも同じ気持ちだったのではないかと想像します。

ラピスラズリの空が美しいですし、人の影を描く線を含み、とにかく線描が繊細です。光の微妙なコントラストが作る世界観に引き込まれてしまいます。また、版画を踏まえた紙と色の絡みが極上です。

これぞ、ファン・ゴッホが愛した平和な日本そのものではないでしょうか。


隠された意味?

独立研究者であるジャレッド・バクスターは、『夜のカフェテラス』が、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』(1495〜98年)へのオマージュである可能性があると主張しました。

その理由はかなり説得力がありまして、ポイントだけまとめると次のようになります。

■ウェイターと思われる背の高い人物が、キリストにちがいない。白い服も、聖人を感じさせる。


フィンセント・ファン・ゴッホ、『夜のカフェテラス』部分

■ウェイターは、12人の使徒に囲まれている。その中のドアの近くに立っている黒い人物(1番)が、裏切り者のイスカリオテのユダではないか。


フィンセント・ファン・ゴッホ、『夜のカフェテラス』部分

3つの十字架(ウェイターの奥の窓格子、ウェーターの白チュニック、馬車の上)が描かれている。


フィンセント・ファン・ゴッホ、『夜のカフェテラス』部分

フィンセント・ファン・ゴッホ、『夜のカフェテラス』部分

■ガス灯は、キリストの光輪のようだ。


フィンセント・ファン・ゴッホ、『夜のカフェテラス』部分

■ファン・ゴッホは、黄色い家で芸術家の共同体を作ろうと夢見て、十二使徒をかなり意識していた。

■さらに、弟テオへ宛てた次の手紙の内容から、ゴッホは宗教的な意味を求めながら夜の絵を描いていたことがわかる。

「私が――言ってしまおう―― 宗教 をものすごく必要としていることに変わりはない。 だから私は夜に外へ出て星を描くのだ」(1888 年9月 29日)。


まとめ

ファン・ゴッホが絵の中に宗教的な象徴を入れていたことは、大阪大学名誉教授である圀府寺司氏の研究などでも進んでいます。その点からも、『夜のカフェテラス』の隠れた意味はまったく無視できません。

私自身は、特に十字架とキリストの指摘には納得感があります。ご興味ある方は、皆さん自身の眼で実物で確認してみてください。

最後に、現在のカフェの画像を載せておきます。Cafe Van Goghとして営業しています。


Cafe Van Goghとして営業中

参考文献:

Jared Baxter, “Why Vincent’s Cafe Terrace at Night is a Symbolist Last Supper: Part 2 of 2,” March 16, 2016.

Martin Bailey, “How Van Gogh’s ‘Terrace of a Café at Night’—with its starry sky—was inspired by a friend’s painting,” Art Newspaper, March 24, 2023.

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