フランシス・ベーコンの抵抗できない魅力

アンリ・カルチェ・ブレッソン、『フランシス・ベーコン』、Photo: @foundation Henri Cartier Bresson. 異彩を放つ画家フランシス・ベーコン 20世紀の画家で、1億ドル以上(今ですと約150億円)で作品を取引された画家は現時点で8人います。 パブロ・ピカソ、ウィリアム・デ・クーニング、マーク・ロスコ、ジャスパー・ジョーンズ、ジャクソン・ポロック、アンディ―・ウオーホール、ロイ・リキテンシュタイン、バーネット・ニューマンそして、このブログのトピックであるフランシス・ベーコン(1909-1992)です。 それぞれの画家は一度見たら忘れられない個性的な画風の持ち主ですが、中でも格別な異彩を放っているのは何と言ってもフランシス・ベーコンでしょう。 最も眼にするチャンスが多いフランシス・ベーコンの作品は、次かもしれません。 フランシス・ベーコン、『ベラスケスによる教皇インノケンティウス10世の肖像画後の習作』、1953年、油彩、キャンバス、153 cm × 118 cm、Photo: wikipedia ベーコンのほとんどの作品は、身体が歪曲された人物画で、彼自身は「事実の残酷さの描写に奮闘している」と述べています。 第一印象が突き放したような冷ややかで怖い絵が多いのですが、見続けているとその奥に底はかとない闇が感じられます。「怖いもの見たさ」で目を釘付けにする不思議な魅力を放っています。 さて、皆さんの印象はいかがでしょうか。 フランシス・ベーコン芸術の基盤 ベーコンは、アイルランド生まれの英国人です。十代から彼の同性愛が家族関係に亀裂を生み、ロンドン、ベルリン、パリへの逃避旅行が、皮肉にも彼の芸術性の基盤を形作っていきます。 例えば、ベルリンで彼が見たサイレント映画『戦艦ポチョムキン』(1925年)は生涯にわたって多大な影響を与えています。この作品は、ソビエト連邦のセルゲイ・エイゼンシュテイン監督で、1905年に勃発した戦艦ポチョムキンの乗組員による反乱を描いています。当時若干27歳だったエイゼンシュテインは、革命的なプロパガンダをトピックとして、モンタージュ理論(個々のカットを編集して組み立てること)を試み、映画史において革命的な作品として高い評価を得ています。 『戦艦ポチョムキン』に登場する顔面の眼鏡が割れて血を流し、叫んでいる女性看護師のカット(恐ろし過ぎる画像なのでここには掲載しないでおきます)に触発されて、後に習作を描いていますし、その他の作品にも影響力が顕著に見られます。 またパリでは、多くの美術展を訪れるうちに、画家への興味が芽生えていきます。特に、ニコラ・プッサン(1594-1665)作『罪なき人々の虐殺』は、「これまでに描かれた最高の人間の叫び」として彼の記憶に刻まれています。 ニコラ・プッサン、『罪なき人々の虐殺』、1628年頃、147× 171 cm、油彩、キャンバス、 コンデ美術館、Photo:wikipedia 画家になる意思を抱いたのは、18歳の夏にピカソのドローイング作品に出会った時と言われています。それ以降に、ドローイングと水彩画を独学で始めています。 ですが、その後すぐに画家の道を歩んだわけではなく、インテリア、家具デザイナーとして友人や少数の顧客相手に活動していたようです。 フランシス・ベーコンの代表作 ■1930年代 フランシス・ベーコンが画家として認知されるきっかけとなったのが、『磔刑』(1933年)です。ピカソの『三人のダンサー』(1925) に発想を得ています。『戦艦ポチョムキン』のモノクロ画面と人間の内なる叫びを彷彿とさせます。「磔刑」は、ベーコンの一生涯にわたって繰り返される重要なテーマとなります。 フランシス・ベーコン、『磔刑』、1933、62…