ビッグモーター事件の真犯人は「倫理的盲目」

特定の人物が犯人なのか? 組織で不正や事故が発生した時、特定の人物を犯人(原因)として洗い出そうとする傾向があります。 photo: huffpost.com 現に、ビッグモーターの記者会見では、創業者・元社長である兼重宏行氏は、「(不正請求問題の犯人は)板金塗装部門単独で他の経営陣は知らなかった」と言っていました。 その一方、真の元凶は、元社長あるいはその息子で実質的社長であった宏一氏と考えている方々が一般的には多いのではないでしょうか。いずれにせよ、ついつい犯人を探ってしまうのが世の中の常です。 もちろん法的見地からのそうした追及は必要ですが、組織の問題解決のためには別の視点からも原因を考察することが欠かせません。 photo: wikipedia 知覚が起こす「倫理的盲目」 兼重宏行氏と宏一氏のリーダーシップに問題があったのは本人も認めている事実ですが、彼らが率先して悪行を主導していたわけではなさそうなのが、今回のケースです。 にもかかわらず、組織的な大問題に発展した理由は何でしょうか。 その答えですが、人間が状況を「どう見て解釈したか」という知覚が絡んでいます。心理学的には、倫理的盲目と呼ばれることがあります。 この「倫理的盲目」は、ビッグモーターに限らず、どんな組織にも起こる可能性があるリスクです。実際に過去には世界最大大手エネルギー販売会社エンロンも、大手証券会社リーマン・ブラザーズ等も、この問題で不正を犯し、遂には倒産に至っています。 「見る」と「解釈」を自由にできなくなる時 いったいなぜ「倫理的盲目」は起こってしまうのでしょうか? 拙著『知覚力を磨く――絵画を観るように世界を見る方法』のサブタイトルにあるように、人は世界を見る時に知覚的フレームにはめて見ています。絵画のフレームをイメージしていただくと分かりやすいです。 このフレームの大きさは調節可能で、自分の周りの状況に応じて見る範囲を決定して認知しています。 これは誰でも行っていることですが、このフレームの調節が上手な人ほど効率的に仕事をこなし、ベストな意思決定に至る可能性が高くなるので、リーダーとしては重要なスキルです。 それはさておき、恐ろしいのは、このフレームが極端に狭くなり、見るべきものがまったく見えなくなってしまう時です。 ビッグモーターの例ですと、狭いフレームから状況を見ていたため、倫理が視野から外れました。そのために「故意に車を傷つける」あるいは「自社の環境整備目的のために街路樹を枯らす」という信じられないことが起きたのです。 誰にでも起こりうる知覚の罠 ある状況の下でまったく見えなくなってしまうわけですから、行為自体は犯罪とみなされたとしても、その人を悪人と決めつけることなんてできません。それどころかむしろ、犠牲者の場合が多いのです。個人の「倫理観の高いか低いか」ということは、あまり関係ありません。 頭の良し悪しとも関連性がなく、現に、当時のエンロンやリーマン・ブラザーズの社員は、ハーバード大学をはじめ超一流大卒のエリートだらけでした。 では、いったいどんな特別な状況の時に、人間の知覚的なフレームが極端に狭くなって倫理さえも見失ってしまうのでしょうか。 組織のルーティンになっていく さまざま要因が考えられます。例えば、時間的な制約や他人からのプレッシャーがあります。そんな時、本来の自分とは異なる決断をして失敗した覚えがある方はいらっしゃるのではないでしょうか。 その一方、ビッグモーターのように組織的な大問題に発展するケースは、組織内に過度の利潤追求・そのための強引な姿勢が推奨されていた時に起こりがちです。 特に厳格な評価システムが作られ、昇格や金銭的インセンティブを与えていた場合は、社員にとって利潤追求やそのための積極的な態度が、組織が目指す単なる目標ではなく、理念や主義として浸透します。時間が経てば、組織のルーティンとなって定着し、社員は不正に疑問すら持たなくなってしまいます。 アグレッシブな言語でますます見えない…