ロンドンコートルド・ギャラリーにて、美術展「ゴヤから印象派まで:オスカー・ラインハルトコレクションの傑作」が開催(2025年2月24日〜5月26日)されています。
それにちなみまして、コレクションの中でも天才ぶりがひと目でわかるファン・ゴッホ (1853-90) の作品2点を共有いたします。
オスカー・ラインハルトコレクションについて
本コレクションは通常、スイスのチューリッヒ州ヴィンタートゥールにあるオスカー・ラインハルト(1885-1965)の旧邸宅で、彼の死後に美術館になった「アム・レーマーホルツ」に展示されています。ヴィンタートゥール郊外の丘にあり、森と庭に囲まれたのどかな場所です。

約200点のコレクションは知名度は高くないのですが、まさに隠れた名宝です。ヨーロッパ美術史14〜20世紀前半が名品で学べるようなコレクションなのです。1970年の開館から門外不出でしたが、2026年1月まで改装工事を行っているため、この度は国外で初めて公開されています。
オスカー・ラインハルトは、綿花の貿易で大成功し、アートコレクターでもあった父テオドール・ラインハルトの次男として生まれました。オスカーは、ファミリービジネスへの関与は早々にやめ、アートコレクション拡大に集中しました。
彼の鋭い鑑識眼と努力の甲斐あって、そのコレクションには、ピーテル・ブリューゲル父(1525頃-69)、レンブラント・ファン・レイン(1606-69)、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)、ユージン・ドラクロワ(1798-1863)、クロード・モネ (1840-1926)、ピエール=オーギュスト・ルノアール (1841-1919)、エドアール・マネ(1832-83)、カミーユ・ピサロ(1839-1903)、そしてこれからお話するファン・ゴッホの名画までが含まれていて圧巻です。
ファン・ゴッホの魅力が炸裂する2点
2点の作品とも1889年に描かれています。つまり、1888年12月23日に耳を切断してから数か月後、亡くなる約一年前の作品です。主題はなんと、彼自身が入院していたアルル市立病院なのです。
病院を絵画の画題に選んだ作品をご覧になってことはありますでしょうか。ほとんど見ないですよね。しかしそんな画題になりそうもない無味乾燥な空間が、彼の手にかかると眼が釘付けになるほど興味深くなるから不思議です。では、観てみましょう。
『アルルの病院の中庭』

宝石箱のような絵です。数か月前に事件を起こし、精神が不安定であったにもかかわらず画面構成が完成され過ぎています。ファン・ゴッホというと、色や長い筆触分割に眼がいきやすい作品が多いのですが、改めて構成力にも感動してしまいます。
ただ、春爛漫でカラフルな花が咲き誇っていますが、木々の枝が歪曲していてどこか物悲しく、フィン・ゴッホの心情が投影されているようです。
ファンゴッホは、1889年5月にアルル市立病院を退院して、サン=レミのサン=ポール=ド=モーゾール修道院の療養所に入所しますが、その直前に角度を変えて見た中庭のドローイングも残しています。こちらも観ておきましょう。

このドローイングの線の確かさは、いまさら言うまでもありません。興味深いのは、奥に尼僧(上のグリーン矢印)描いている点です。実際に病院にいたのかはわかりませんが、次の病棟の絵でもふたりの尼僧を含めています。
また、「フィンセント」のサインを油彩では入れていないのに、ドローイングでは水を撒く容器(下のグリーン矢印)に書いています。
『アルルの病院の病棟』

こちらの作品も、まず圧倒的な画面の構成力に驚くのはないでしょうか。本当に面白い画面です。そこまで大きくないキャンバスなのですが、病棟の細長いスペースが伝わってきます。実際の奥行は、30mあったそうです。
床と天井の筆致が的確で、ベットを覆う四角いか―ティンの列とともにリズム感を生んでいます。ストーブを囲む人々の表情は暗めですが、色が明るいので悲壮感はありません。
ストーブの向かって左の麦わら帽子の男性は、ファン・ゴッホだと考えられています。新聞を読んでいますが、彼は実際、初めての入院する病院を取材するジャーナリストのような気分で絵を描いていたのかもしれません。
まとめ
ご存じの方も多いかと思いますが、ファン・ゴッホは存命中、たった一枚の絵しか売ることができませんでした。その絵は、耳切り事件の一か月前の次の作品です。

これらの作品をご覧いただけると明らかなように、1888〜89年、ファン・ゴッホは事件とは関係なく、乗りに乗った天才的な仕事をしていました。あの頃に、それに気がつかなかったのはあまりに残念です。もしもあと数枚でも絵が売れていたら、37歳で命を落とすことはなかったのかもしれません。
参考:マーティン・ベイリー、”ファン・ゴッホとの冒険” 2025年1月24日