イギリス人エリートのコミュニケーション術

アメリカとは逆? 欧米という言葉でアメリカとイギリスをまとめてしまいがちですが、言うまでもなくまったく異なる文化が育っています。 例えばコミュニケーションですと、近年のアメリカでは、とにかくspeak up することや、納得するまで説明することが良いことのように考えられています。そのためのノウハウがあり、コミュニケーションの書籍などではそうした戦術が紹介されています。 その一方、イギリス人エリートたちは、"Never complain, never explain" という格言を持っています。「決して不満は言わない、説明しない」ということですが、こちらの方は日本ではあまり知られていないのではないでしょうか。 2つの国のコミュニケーション術を使い分けると、皆さんのコミュニケーションはさらに輝くはずです。 Never complain, never explainの由来 Photo: https://www.economist.com/ 格言「決して不満は言わない、説明しない」は元々、19世紀の英国政治家・首相・小説家ベンジャミン・ディズレーリが最初に口にして、その後、イギリス人エリートたち(王室、海軍、首相など)のモットーとして浸透しました。今日に至るまで、力強い自信と責任感があふれる人間のための時代を超えた知恵として受け継がれています。 最も代表的な例は、エリザベス女王でしょう。彼女は、このモットーを母親から承継したと言われています。確かに、彼女について知られているのは、カラフルな服装や大のコーギー犬好きという面だけで、彼女の説明や不満がメディアに出たことはほとんどありません。 しかしこれこそ、彼女が公人として70年にも渡って在位し、100か国以上を旅し、14人のアメリカ大統領と握手をかわすことができた秘訣と言われています。 (エリザベス女王が、英国時間2022年9月8日午後にご逝去なさいました。ご冥福をお祈りいたします) Photo:Wikipedia エリザベス女王の対極にある説明好きのアメリカ人が、次の方になります。 Photo:Wikipedia 決して説明しない意味 「決して説明しない — あなたの友人はそれを求めていないし、敵はそもそもあなたを信じていない」 —エルバード・ハバード (19世紀著述家)…

左脳、右脳タイプという神話

脳科学分野は、21世紀に入ってからものすごいスピードで驚異的に発展しています。ちょっと前の発見が、アッという間に塗り替わっていたことも珍しいことではありません。 ところで、左脳は「ロジック」を、右脳は「クリエイティビティ」をコントロールしていると信じている方はいらっしゃいませんか。まだまだネット情報を含めて、さまざまな場所で浸透しています。 しかし、実はもう神話になっています。科学的根拠がないので、アップデートする必要があります。 その理由を共有いたしましょう。 なぜ神話は生まれたのか? 左右に分かれている脳 その神話の起こりは、私たちの脳が、そもそも左と右に分かれていることです。 脳の外見だけではなく、機能的にも左右に分担されています。左脳は、右の手足を、右脳は左の手足の動きをそれぞれコントロールしています。 また、眼に関して言えば、左目と右目それぞれが、左と右側の視野を見る機能が備わっています。左側の視野の情報は右脳に、右側の情報は左脳に伝達されます。そして、左と右視野が合体して、全視野の情報として認知されるわけです。 こうした事実から、「左脳と右脳は別の機能を持っている」という認識が生まれ、神話を作り出す土台となったのです。 ブローカ Broca とウェルニッケ Wernicke の研究 ピエール・ポール・ブローカ Photo: Wikipedia カール・ウェルニッケ Photo: Wikipedia その認識に拍車をかけたのが、19世紀のふたりの医師・解剖学者ピエール・ポール・ブローカとカール・ウェルニッケによる偉大な功績です。 いったいどういうことでしょうか? 彼らは、脳の左側前頭葉のある部位を損傷すると、言語機能に障害(失語症)が発症することを発見したのです。つまり、彼らは、脳の局在機能を初めて認識したわけです。 この発見後、彼らは、障害部位と失語症の関連性を分析しました。 そして、ブローカは、左下前頭回付近(彼の名にちなみ、ブローカ野)が発話のための能力を、ウェルニッケは、左上側頭回後部付近(彼の名にちなみ、ウェルニッケ野)がスピーチを理解する能力を司っていると解明しました。 Photo: Wikipedia 小説『ジキル博士とハイド氏』 こうした「言語は左脳でコントロールされている」という発見は、巷で歪曲され始めます。…

奇抜すぎる『洗礼者ヨハネ』

この絵については、暗くて見えないという印象をお持ちだった方も多いのではないでしょうか。 ご心配には及びません。2016年に9か月間をかけた修復が終わり、見えにくかった毛皮の衣服、十字架、髪の毛の一部もはっきりと確認できるようになりました。 15層にも均一ではないワニス(耐候性に優れた透明な塗膜)に覆われていて、それを取り除くのは困難極めたそうです。では、じっくりとご覧ください。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『洗礼者ヨハネ』、1507〜1516、69 cm × 57 cm、油彩、パネル(クルミ材)、ルーブル美術館、パリ ※この『洗礼者ヨハネ』は、3DVR「ダヴィンチの5つの部屋」で観覧できます。ルネッサンスの臨場感をお楽しみください! 作品の概要 内容 洗礼者ヨハネ(紀元前1世紀後半〜28〜36年頃)は、キリスト教絵画で最も頻繁に描写される人物のひとりです。 新約聖書が、洗礼者ヨハネをキリストの前駆者として描写し、キリストをヨルダン川で洗礼したことを記しているため崇敬され、彼のストーリーは絵画化されたのです。 ひとつ有名な例を挙げておきましょう。ダ・ヴィンチが、まだアンドレア・デル・ヴェロッキ工房で修行中だった20代の頃に、ヴェロッキ工房作品として描いた作品です。この絵について詳しくは、改めて触れたいと思っています。 アンドレア・デル・ヴェロッキとその工房、『キリストの洗礼』、1475〜1476、油彩、テンペラ、パネル(ポプラ材)、177 cm × 151 cm、ウフィツィ美術館、フィレンツェ 右側の洗礼者ヨハネが、キリストよりもむしろ大きく描かれていることにご注目ください。また、ダ・ヴィンチ作『洗礼者ヨハネ』の身体的特徴とは相当異なる点にもお気づきいただけるでしょう。 両者に共通するのは、長い十字架です。これは洗礼者ヨハネのアトリビュートのひとつです。また、マタイ福音書(1:6)などには、「ラクダの毛をまとい、腰に皮ベルトをつけ、イナゴと蜂蜜を食べていた」と記されており、このラクダの衣服も彼のシンボルのひとつになっています。 右手は、胸を力強く横切って天を指差し、キリストの到来を伝えています。かすかに浮かべる謎めいた笑みは、『モナ・リザ』を彷彿とさせます。 背景 『洗礼者ヨハネ』が描き始められた動機や時期、いつ完成したのかについては分かっていません。一般的には、晩年最後の6年間、ローマとフランスのアンボワーゼ滞在中に制作されたと考えられています。 また、ダ・ヴィンチが、彫刻家ジョバンニ・フランチェスコ・ルスティチ(1475–1554)がフィレンツェにあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂の彫刻『洗礼者ヨハネのパリサイ人とレビ人ヘの教え』(1509)制作にアドバイスした際に、発想を得た可能性もあります。中心で点を指差しているのが、洗礼者ヨハネです。 ジョバンニ・フランチェスコ・ルスティチ、『洗礼者ヨハネのパリサイ人とレビ人ヘの教え』、1509、ブロンズ、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、フィレンツェ 写真:Antonio Quattrone, Florence  そして『洗礼者ヨハネ』は、ダ・ヴィンチが最期まで手放さなかった作品であった可能性が高いです。彼の弟子サライ(ジャン・ジャコモ・カプロッティ)の所蔵品リストに「小さくて若い聖ヨハネ」と書かれているからです。 ここが革新的 テクニックの極致 ■究極のスフマート 『洗礼者ヨハネ』が描かれた晩年期に、ダ・ヴィンチのスフマート技法(色彩や明暗の境界が分からないようにぼかす技法)は極致に達していたことが理解できます。 特に顔の部分の技術が高く、柔らかな立体感、幻想的な雰囲気を生み出しています。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『洗礼者ヨハネ』部分、ルーブル美術館、パリ ■大胆なキアロスクーロ…

『サルバトール・ムンディ』の真贋

レオナルド・ダ・ヴィンチあるいは彼と工房による作品、『サルバトール・ムンディ』、1500年頃、45.4cm × 65.6cm、木製パネル(くるみ材)アビダビ・ルーヴル美術館あるいはサウジアラビア王太子ムハンマド・ビン・サルマーン 謎に包まれた『サルバトール・ムンディ Salvator Mundi(Savior of the World) 救世主 』について一読で分かるダイジェスト版です。 『サルバトール・ムンディ』につきましては、別エントリー「ドキュメンタリー映画『ロスト・レオナルド』」も合わせてご覧ください。 またこの『サルバトール・ムンディ』を含むダ・ヴィンチの絵画全作品が、「ダヴィンチの5つの部屋」でご覧いただけます。ルネッサンスの臨場感をお楽しみください! 2017年11月15日 クリスティーズ、ニューヨーク 『サルバトール・ムンディ』のオークション会場、クリスティーズ、ニューヨーク Photo: vanityfair.com 『サルバトール・ムンディ』は、4億5031万2500ドル(当時円換算で手数料を含み約508億円)という美術品の史上最高価格で競り落とされました。 ちなみに過去2番目に高額落札されたのは、パブロ・ピカソ『アルジェの女たちバージョンO』です。2015年5月11日のニューヨーククリスティーズのオークションで1億7940万ドル(当時円換算で手数料を含み約215億円)でした。 当時、アブダビ文化観光省が、アブダビ・ルーブル美術館のために『サルバトール・ムンディ』を購入したとされていました。 現在は、スイスの美術品保管庫、あるいはムハンマド・ビン・サルマーン王太子所有のヨットの中という噂があります。 これまでの経緯 2005年 アメリカ美術商ロバート・サイモンらが、ルイジアナ州ニューオリンズ開催のオークションに出品されていた『サルバトール・ムンディ』を、「ダ・ヴィンチの稚拙な模写にしては何か違う」と感じ、1万ドル(約106万円)で購入しました。 その後、世界的に著名な絵画保存修復士ダイアン・モデスティーニに修復を依頼します。 2006〜2007年 絵画保存修復士ダイアン・モデスティーニが、洗浄後の絵画とインフラレッド透視画像を見ながら、ペンチメント(pentimento)を右手親指に発見します。元の親指は、曲線を描く現状と異なり、よりストレートに伸びていたのです。 ペンチメントとは、下絵の「描き直し」のことで、この絵画が模写ではなく、原画である可能性を示唆します。 洗浄と補修後で、補筆や充填前、2006/2007 © 2011 Salvator…

ダ・ヴィンチの人体解剖図

アートの領域だけでなく、植物学、光学、地質学などサイエンスの領域へも踏み込んだダ・ヴィンチですが、彼が最も関心を持っていたひとつが人体解剖学です。 ダ・ヴィンチは、約30体の人体を解剖したとされています。そして緻密な観察から、史上初の正確な人体解剖図を描きました。 残念ながら、その偉業は1900年まで出版されませんでしたが、もしも彼の死後まもなく書物として流布していれば、半世紀から1世紀早く、人間の人体への理解は深まっていたことでしょう。 と言うのは、50年程遅れて、医師・解剖学者だったアンドレアス・ヴェサリウスが『人体構造論(ファブリカ)』と 『人体構造の梗概(エピトメー)』 を出版して「近代人体解剖学の祖」と呼ばれているからです。 また、ダ・ヴィンチの測定的な観察については、さらに50年下リ、医学に定量的アプローチをもたらした医師・生理学者サントーリオ・サントーリオに匹敵するとも言われています。 アンドレア・ヴェサリウス著、『人体構造論』、190ページ 上のヴェサリウス著のドローイングは、ティツィアーノ・ヴェチェリオの弟子であったジャン・スティーブン・カルカー(1499?〜1546)とされています。医学書というのが信じられないドラマ仕立てで面白いです。 ダ・ヴィンチの人体解剖図は150シートが現存し、イギリス王室コレクションに保存されています。 そして興味深いのは、 ダ・ヴィンチ が1489年、そして1507〜11年に集中して人体解剖図制作に没頭していることです。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『切断した頭蓋骨』、1489、18.8 x 13.4cm、イギリス王立コレクション、Royal Collection Trust / © Her Majesty Queen Elizabeth II 2020 最も早い時期におこなった人体解剖のひとつが、1489年4月で頭蓋骨でした。ダ・ヴィンチは、脳と身体の関係を知り、絵画制作のために役立てたかったと記しています。 その後 1510〜1511年 に、20体もの人体を次々に解剖しています。パヴィア大学解剖学教授マルカントニオ・デル・トッレ(1481-1511)との共同作業だったようです。…