『モナ・リザ』はなぜ名画なのか?Part I

世界一有名な絵画と言えば、やはり『モナ・リザ』。そして、世界一高価な絵でもあります。 パリのルーブル美術館では、毎年約1000万人に観覧されています。また、世界一高額の保険査定8億2千万ドル(日本円で約1066億円)がつけられる名画中の名画としての地位を確立しています。 でも実際のところ、あまりにもおなじみ過ぎて、よく観たことがないという方も多いのではないでしょうか。 そこでダヴィンチ研究所としては、その名画たる理由をここにまとめておきましょう。ではまずは絵をじっくりと観てください。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『モナ・リザ』、1503年より制作開始、77 cm × 53 cm、油彩、パネル(ポプラ材)、ルーブル美術館、パリ ※この『モナ・リザ』を含むダ・ヴィンチの絵画全作品が、「ダ・ヴィンチの5つの部屋」でご覧いただけます。ルネッサンスの臨場感をお楽しみください! 作品の概要 背景 この作品は、『ラ・ジョコンダ』または『リサ・デル・ジョコンダ』と呼ばれることもあります。前者は「ジョコンダ婦人」という意味で、後者はこの女性の名前をということになります。 ダ・ヴィンチの死後、弟子サライ(ジャン・ジャコモ・カプロッティ)が所有しており、彼の所有物リストには『ラ・ジョコンダ』と記載されていました。 『モナ・リザ』という呼称のモナは、madonna (マドンナ)の短縮形でイタリア語では通常 monnaと綴られます。英語では一般的には、mona となっています。 では、リサ・デル・ジョコンダ(1479〜1542)とは、どんな人物だったのでしょうか? シルク商人フランシスコ・デル・ジョコンダの2番目か3番目の妻です。ダ・ヴィンチがこの作品の依頼を受けることになったのは、ダ・ヴィンチが、ジョコンダ家の礼拝堂があったサンティッシマ・アヌンツィアータ教会に滞在した1500年にフランシスコと出会ったからではないかと考えられます。 サンティッシマ・アヌンツィアータ教会、フィレンツェ、イタリア Photo: Max Ryazanov (17 September 2013). ダ・ヴィンチが描き始めた1503年10月の時点で、彼女は24歳、結局彼は最期までこの作品を手放すことなく死を迎えた時に、彼女は40歳ということになります。彼女は、夫妻の子供たち6人のうち、5人の母でもありました。 かつては、『モナ・リザ』の制作年代とその人物についての議論がありましたが、2005年に決定的資料が発見され、もはやその2点については疑う余地がなくなっていますのでご注意ください。 ここが革新的! 異次元的テクニック 『モナ・リザ』は、斜め前を見ている座った姿勢のジョコンダ婦人を、手まで含んで半頭身を描いた肖像画です。 ただし、それだけの肖像画ですと、美術史上のレボリューションとは言えません。なぜならば、すでに前例があるからなのですね。 ハンス・メムリンク、バーバラ・ヴォン・ヴランデンバーグの肖像、1480年頃、37…

世界初!ビジュアルIQ®アセスメント NTT DocomoとArt and Reasonとのコラボ開始しました

この複雑で、不透明な世界では、「何に目を向け、どう解釈するのか」が重要です。 世界を眺める時、データを読む時、調査する時、あるいはチームビルディングなどでは、欠かせない基盤となります。 その「観る力」と「解釈する力」を測定できるのが、当ダヴィンチ研究所が開発したビジュアルIQ®アセスメントです。 この度、NTT Docomo と アートアンドリーズンが運営しているArt Scouter でも取り扱いが始まりました。 プレスリリースは、コチラです。 ビジュアルIQ™アセスメントができること 自分の内なる観察・解釈・思考する力が客観的に分かる 絵画をツールとしたトレーニングの進捗が視覚化できる オンラインで15分で完了、結果は営業日3日以内に届く※ 現時点では、企業・大学・病院にてグループのお客様のみにご提供しております。 詳細、お申込みは:contact@davinci-inst.org までご連絡ください。 ※パソコンとインターネット環境が必要となります。

緊急事態とイノベーション

ちょうど『知覚力を磨く』を執筆していた時、出張先だったニューヨーク郊外に数か月のあいだ足止めされました。突然、新型コロナウィルスが猛威を振るい始めたので、日本へ戻るのが危険だったからです。 ニューヨークの惨状がすぐ隣で起こっていたのですが、大きな救いだったのが、より便利な世の中になっていくのを、眼のあたりで観察できたことでした。 実に緊急事態下で、イノベーションは超特急で生まれていきました。 例えば、 ■2時間以内の食料品エキスプレスデリバリー 食品を選ぶパーソナルショッパー photo:www.instacart.com あの広い米国で食料品を2時間以内に届けるサービスが可能になったは驚きでした。それも大都市だけではなく、郊外でも。これは、イノベーションと言わざるを得ません。 かつてはアマゾンでさえも数日かかっていたことを、アマゾンはもちろん、地元の中小規模ストアでも、インスタカートとつなげることで最速でやり遂げたのです。 人々をハッピーにしただけでなく、一か月で30万人もの雇用を創出しました。 ■ボディガードアプリの誕生 ジェームス・ボンドを演じた歴代男優たち photo:regmovies.com 新型コロナに加えて、大統領選挙に関連した不穏な状況で、大都市は動揺と不安に包まれていました。そこで生まれたのが、ボディーガードアプリ、bond (ボンド)です。その名前はもちろん、あのジェームス・ボンド(James Bond)に由来しています。 公認ボディガードをつけてくれたり、安全な車を配車してくれたり、外出時は、目的地に着くまでヴァ―チャルで監視してくれます。警察へもクリックするだけでつながります。 これ以外にも、注文しておけば店舗の横に車をつけて商品が手に入るカーブサイド・ピックアップや、インターネットを使用しない高齢者が助けが必要な時にレッドサインを表示するといったアナログ的イノベーションなどまでキリがありませんでした。 ところで、14世紀にヨーロッパ大陸の人口の3分の一を奪った黒死病(ペスト)は、直接的にも間接的にも文化が隆盛を極めたルネッサンスへと導いたと言われています。 ピーテル・ブリューゲル、『死の勝利』、1562年頃、117 cm × 162 cm、油彩、パネル、プラド美術館 いろいろな理由があります。しかしそれまで当たり前だと信じていたことに疑問を抱き、改めてありのままの世界を観ようとし、知覚力を最大限に発揮したことが基本にあります。 それによって、労働力が効率化し、医療医薬が向上し、教育も多様化しました。観察によって創造力が活性化し、世界はリフォームされて素晴らしい進化を遂げたのです。 日本でも周りを見渡せば、非接触のための工夫が続々とお目見えしていますよね。その中のいくつかは新型コロナが終息しても残っていく勢いがあります。 人間の知覚力という土台がイノベーションを育む限り、パンデミック後にはより明るい世界がやって来ることを信じずにはいられないのです。

ウィトルウィウス的人体図を探る

レオナルド・ダ・ヴィンチ、『ウィトルウィウス的人体図』、1490年頃、34.3 cm × 24.5 cm、アカデミア美術館、ベニス 保存上の理由から、6年に一度、わずか2週間ほどしか展示されないデリケートな作品です。 2019年ルーブル美術館で開催されたダ・ヴィンチ没後500年を記念する展覧会では、文化遺産保存グループがイタリアからフランスへの移動に耐えられないとして抗議したため出品が危ぶまれましたが、最終的には許可されました。 2019年ルーブル美術館、パリで展示されたレオナルド・ダ・ヴィンチ、『ウィトルウィウス的人体図』www.practicaespanol.com 作品について ドローイング部分 『ウィトルウィウス的人体図』は、「人間の普遍的なプロポーション」をビジュアル化したものです。 成人の裸の男性が、両手、両足のポーズを変えると、正方形と円のどちらにも収まるように描かれています。 30代だったダ・ヴィンチ自身ではないかという説もありますが、強い根拠があるわけではありません。 オフホワイトの紙に、ペンを使って茶色のインクで描き、鉛尖筆(lead point)が使用された部分には筆で茶色の滲みをつけています。他に、ピン、カリパス、定規、コンパスも使用されています。 テキスト部分 ドローイングの後に、その上下に、テキストをミラーライティング(鏡文字)で書き込んでいます。鏡文字とは、左右を反転させて書かれた文字です。 このテキストは、古代ローマ時代の建築家/軍事エンジニアであるウィトルウィウス( 紀元前80–70 年頃 〜 紀元前15 年以降)の著書『建築論(De architectura libri decem)』第3巻の内容の一部をパラフレーズしたものです。 ■上部テキスト レオナルド・ダ・ヴィンチ、『ウィトルウィウス的人体図』、上部テキスト部分 建築家ウィトルウィウスは、建築に関する著書の中で人間の身体のサイズは生来的に次のように配分されていると述べる。 4本の指は手の平の幅、手の平の幅4つ分は、1足の長さ、手の平の幅6つ分は、キュービット(中指の先端から肘までの長さ)に等しい。 キュービット4つ分は、身長と等しい。そしてキュービット4つ分は、歩行の1ユニット(3ステップ)に等しい。手の平24個分が、身長となる。こうした割合を、彼は建築物にも使用している。 もしも足を大きく広げると、身長はその14分の1低くなり、腕を広げて中指が頭の頂点レベルに挙げると、手足の中心はおへそということになり、足の間の空間は、二等辺三角形である。 ■下部テキスト レオナルド・ダ・ヴィンチ、『ウィトルウィウス的人体図』、下部テキスト部分 人間の広げた腕の長さは、身長に等しい。…

クリスティーズでの夢のようなオークションとその結果

コロナ禍による経済的ダメージは、世界中の美術館を襲っています。 スタッフ解雇という暗いニュースが出る一方、ルーブル美術館の資金集めの方法には脱帽です。クリエイティビティは、ギリギリの苦境を救うのです。 ルーブル美術館、パリ ところで、ルーブルはどんな方法で資金集めをしようとしているのでしょうか? クリスティーズに、他では絶対に入手できない、ルーブルならではの一品をオークションに出しています。その中でも、とりわけ魅力的な3つをご紹介しましょう。 Lot 9:『モナ・リザ』をじっくり観られる あの『モナ・リザ』をケースから出してプライベートで観察できるというまたとない機会です。そもそもいつもケースに入っていますし、いつも人だかりができているため、ほとんど観ることが不可能な名画と言えるでしょう。 それも、ルーブル美術館館長であるジャン=リュック・マルティネズと一緒です。落札者は、同行者を連れていっても良いそうです。フランス語ができれば、なお楽しそうです。 本日12月7日時点で、1万ユーロ(日本円約126万円)となっています。 その結果ですが、日本円約1008万円で落札されました。(追記) レオナルド・ダ・ヴィンチ、『モナ・リザ』、1503〜1507, 1517 Lot 6: 好きな絵の時計を作ってくれる なんと、スイスの高級時計メーカー、ヴァシュロン・コンスタンタンが、ルーブル美術館所蔵の好きな絵で世界で一点ものの時計を完全オリジナルで作成してくれます。 絵画好き、時計好きにはたまらないチャンスに違いありません。 本日12月7日時点で、11万ユーロ(日本円約1386万円)と人気です。 その結果ですが、日本円約3528万円で落札されました。(追記) www.vacheron-constantin.comより Lot 7: カリアティード広間でプライベートコンサート  ギリシャ・ローマ彫刻が並ぶカリアティード広間で、あなたと同行者だけのためにコンサートを開催してくれます。 この広間は、かつてフランス国王のレセプション広間として使用されていた場所です。年末年始に、格調高い雰囲気を約束してくれることは確実ですね。 本日12月7日時点で、9000ユーロ(日本円約 113万円)となっています。 こちらの落札額は、日本円約530万円でした。(追記) 他にもパリ、ランス、アブダビにある3つのルーブル美術館を巡るプライベートツアーなど、まさに一生の一度の機会がいろいろと出品されています。 ゴージャスな経験と資金調達の一石二鳥。どんな高値で落札されるのかが楽しみです!

『最後の晩餐』は、なぜ革新的なのか?

レオナルド・ダ・ヴィンチ、『最後の晩餐』、1496〜1498年頃、459.7 X 880.1 cm、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ、ミラノ パロディとしても登場するほど、有名で親しみのある『最後の晩餐』です。しかし、「その革新性は何なのか」については、意外にもあいまいに濁しているのではないでしょうか。 『最後の晩餐』のパロディの一例  bitrebels.comより CR: Unknown artist というわけで、『最後の晩餐』の革新性について考えてみましょう。 作品の概要 どこにあるのか? 『最後の晩餐』は、イタリア、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(英語では、Church of Holy Mary of Grace)の北側つきあたりの食堂の壁に描かれています。 この教会の東側のドームと本堂と袖廊のクロス部分は、ルネッサンス建築家ドナト・ブラマンテ(1444〜1514)が設計しています。この教会は現在、世界遺産にも登録されています。ミラノを訪れたら、必見の美しいサイトです。 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会、ミラノ Photo:Marcin Białek レオナルド・ダ・ヴィンチ、『最後の晩餐』、1496〜1498年頃、459.7 X 880.1 cm、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ、ミラノ Photo: Joyofmuseums (3 January…

書籍『知覚力を磨く』が出版されます

『知覚力を磨く―絵画を観察するように世界を見る技法』(ダイヤモンド社刊)が、2020年10月21日に全国書店で発売されます。なんと、すでに予約もできます。 この曖昧な世界は、思考力だけでは太刀打ちできません。「思考力以前」の「知覚力」が重要になります。 なぜなら、「何に目を向けて、いかに解釈するか」という部分が、データ予測から、問題解決、意思決定、知的生産まで大きな価値を持つからです。 本書は、「どのように見ればいいのか」「目のつけどころはどこなのか」の方法について解き明かす一冊です。イェール大学で始まり、全米100校以上で採用された絵画を使った知覚力を鍛えるトレーニングもご紹介しています。 そして、絵画を観察するように世界を見ている人々には、成功者が多いというのも事実です。レオナルド・ダ・ヴィンチから、アルベルト・アインシュタイン、黒澤明、ピーター・ドラッカー、ウォーレン・バフェット、柳井正、トニー・シェイ、スティーブ・ジョブズなどまで切りがありません。 よりクリアな目で、感動とチャンスに満ちた世界を見渡すために、知覚力を磨いてみませんか? そのノウハウは、『知覚力を磨く:絵画を観察するように世界を見る技法』でご覧ください。

大規模なアルテミジア・ジェンティレスキ展がいよいよ開幕

イタリアバロック女性画家であるアルテミジア・ジェンティレスキ(1593〜1652)の展覧会が、ロンドンナショナルギャラリーで開催(2020年10月3日〜 2021年1月24日)されます。 男性ばかりの17世紀のアート界で、女性として初めてフィレンツェの美術アカデミーの会員と認められ、国際的に名をとどらかせ、しかも権力あるパトロンたち(トスカーナ大公コジモ2世、イギリス国王チャールズ1世、スペイン国王フィリップ4世など)に支持されていた才能溢れる画家です。 また、女性として生きにくかった時代で、彼女の魂の叫びが作品に込められていて心を動かします。 アルテミジア・ジェンティレスキ、『アレキサンドリアの聖カタリナとしての自画像』、1616年頃、油彩、キャンバス、71.5 cm X 71 cm、ナショナルギャラリー、ロンドン ジェンティレスキの生涯 生い立ち アルテミジアは、画家であった父親オラツィオ・ジェンティレスの長女(5人兄弟の最年長)としてローマに生まれました。カラヴァッジオのスタイルを踏襲していた父親の下、彼女は、その多大な影響を受けながら、他の兄弟たちよりも優れた才能を発揮していきます。 最も初期の作品は、『スザンナと長老たち』です。アルテミジアが、17歳の時の作品です。構図が、とても新鮮なことがまず目をとらえます。 アルテミジア・ジェンティレスキ、『スザンナと長老たち』、1610年頃、油彩、キャンバス、170 cm × 119 cm、シュロスヴァイセンシュタイン城、ポンマースフェルデン、ドイツ レイプ事件 わずか一年後の1611年、彼女が18歳の時、画家アゴスティーノ・タッシに強姦されてしまいます。父親とよく仕事をしていたタッシは、アルテミジアに遠近法を教えるように頼まれたと言います。 詳細な裁判記録が残されており、アルテミジアの冷静で勇敢、説得力ある陳述に驚かされます。結果、タッシには有罪判決が下り、ローマから追放されることになります。 そして裁判の翌年、アルテミジアは、父親の配慮により、知名度の低い画家と結婚し、フィレンツェへと移り住みます。 その後 フィレンツェ(1612〜1620)では、5人の子供を授かり家族生活が充実したことに加え、画家としてもコジモ2世の支援に恵まれ、宮廷画家として成功しました。 約7年の滞在をフィレンツェを経て、ローマに戻り(1620〜1626)、さらにベニス(1626〜1630)、ナポリ(1630〜1652)と過ごします。ナポリ滞在中は、チャールズ1世の招待を受けてロンドン(1638〜1641)も訪れています。 彼女の傑作2点は、ローマに戻った時に生まれています。 アルテミジア・ジェンティレスキ、『ホロフェルネスの首を斬るユディト』、1614〜1620年頃、油彩、キャンバス、199 cm X 162.5 cm、ウフィツィ美術館 アルテミジアは、『ホロフェルネスの首を斬るユディト』を2点制作しています。最初のバージョンは、1612年頃完成しています。この2つめのバージョンは、フィレンツェ滞在中に着手し始め、ローマに戻ってから完成しています。 その裏には、同じ題材で描かれたカラヴァッジオの影響があったことは否定できないでしょう。比較してみると、面白いです。…

奇抜すぎる『洗礼者ヨハネ』

この絵については、暗くて見えないという印象をお持ちだった方も多いのではないでしょうか。 ご心配には及びません。2016年に9か月間をかけた修復が終わり、見えにくかった毛皮の衣服、十字架、髪の毛の一部もはっきりと確認できるようになりました。 15層にも均一ではないワニス(耐候性に優れた透明な塗膜)に覆われていて、それを取り除くのは困難極めたそうです。では、じっくりとご覧ください。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『洗礼者ヨハネ』、1507〜1516、69 cm × 57 cm、油彩、パネル(クルミ材)、ルーブル美術館、パリ ※この『洗礼者ヨハネ』は、3DVR「ダヴィンチの5つの部屋」で観覧できます。ルネッサンスの臨場感をお楽しみください! 作品の概要 内容 洗礼者ヨハネ(紀元前1世紀後半〜28〜36年頃)は、キリスト教絵画で最も頻繁に描写される人物のひとりです。 新約聖書が、洗礼者ヨハネをキリストの前駆者として描写し、キリストをヨルダン川で洗礼したことを記しているため崇敬され、彼のストーリーは絵画化されたのです。 ひとつ有名な例を挙げておきましょう。ダ・ヴィンチが、まだアンドレア・デル・ヴェロッキ工房で修行中だった20代の頃に、ヴェロッキ工房作品として描いた作品です。この絵について詳しくは、改めて触れたいと思っています。 アンドレア・デル・ヴェロッキとその工房、『キリストの洗礼』、1475〜1476、油彩、テンペラ、パネル(ポプラ材)、177 cm × 151 cm、ウフィツィ美術館、フィレンツェ 右側の洗礼者ヨハネが、キリストよりもむしろ大きく描かれていることにご注目ください。また、ダ・ヴィンチ作『洗礼者ヨハネ』の身体的特徴とは相当異なる点にもお気づきいただけるでしょう。 両者に共通するのは、長い十字架です。これは洗礼者ヨハネのアトリビュートのひとつです。また、マタイ福音書(1:6)などには、「ラクダの毛をまとい、腰に皮ベルトをつけ、イナゴと蜂蜜を食べていた」と記されており、このラクダの衣服も彼のシンボルのひとつになっています。 右手は、胸を力強く横切って天を指差し、キリストの到来を伝えています。かすかに浮かべる謎めいた笑みは、『モナ・リザ』を彷彿とさせます。 背景 『洗礼者ヨハネ』が描き始められた動機や時期、いつ完成したのかについては分かっていません。一般的には、晩年最後の6年間、ローマとフランスのアンボワーゼ滞在中に制作されたと考えられています。 また、ダ・ヴィンチが、彫刻家ジョバンニ・フランチェスコ・ルスティチ(1475–1554)がフィレンツェにあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂の彫刻『洗礼者ヨハネのパリサイ人とレビ人ヘの教え』(1509)制作にアドバイスした際に、発想を得た可能性もあります。中心で点を指差しているのが、洗礼者ヨハネです。 ジョバンニ・フランチェスコ・ルスティチ、『洗礼者ヨハネのパリサイ人とレビ人ヘの教え』、1509、ブロンズ、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、フィレンツェ 写真:Antonio Quattrone, Florence  そして『洗礼者ヨハネ』は、ダ・ヴィンチが最期まで手放さなかった作品であった可能性が高いです。彼の弟子サライ(ジャン・ジャコモ・カプロッティ)の所蔵品リストに「小さくて若い聖ヨハネ」と書かれているからです。 ここが革新的 テクニックの極致 ■究極のスフマート 『洗礼者ヨハネ』が描かれた晩年期に、ダ・ヴィンチのスフマート技法(色彩や明暗の境界が分からないようにぼかす技法)は極致に達していたことが理解できます。 特に顔の部分の技術が高く、柔らかな立体感、幻想的な雰囲気を生み出しています。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、『洗礼者ヨハネ』部分、ルーブル美術館、パリ ■大胆なキアロスクーロ…