謎に包まれた『サルバトール・ムンディ Salvator Mundi(Savior of the World) 救世主 』について一読で分かるダイジェスト版です。
『サルバトール・ムンディ』につきましては、別エントリー「ドキュメンタリー映画『ロスト・レオナルド』」も合わせてご覧ください。
またこの『サルバトール・ムンディ』を含むダ・ヴィンチの絵画全作品が、「ダヴィンチの5つの部屋」でご覧いただけます。ルネッサンスの臨場感をお楽しみください!
2017年11月15日 クリスティーズ、ニューヨーク
『サルバトール・ムンディ』は、4億5031万2500ドル(当時円換算で手数料を含み約508億円)という美術品の史上最高価格で競り落とされました。
ちなみに過去2番目に高額落札されたのは、パブロ・ピカソ『アルジェの女たちバージョンO』です。2015年5月11日のニューヨーククリスティーズのオークションで1億7940万ドル(当時円換算で手数料を含み約215億円)でした。
当時、アブダビ文化観光省が、アブダビ・ルーブル美術館のために『サルバトール・ムンディ』を購入したとされていました。
現在は、スイスの美術品保管庫、あるいはムハンマド・ビン・サルマーン王太子所有のヨットの中という噂があります。
これまでの経緯
- 2005年
アメリカ美術商ロバート・サイモンらが、ルイジアナ州ニューオリンズ開催のオークションに出品されていた『サルバトール・ムンディ』を、「ダ・ヴィンチの稚拙な模写にしては何か違う」と感じ、1万ドル(約106万円)で購入しました。
その後、世界的に著名な絵画保存修復士ダイアン・モデスティーニに修復を依頼します。
- 2006〜2007年
絵画保存修復士ダイアン・モデスティーニが、洗浄後の絵画とインフラレッド透視画像を見ながら、ペンチメント(pentimento)を右手親指に発見します。元の親指は、曲線を描く現状と異なり、よりストレートに伸びていたのです。
ペンチメントとは、下絵の「描き直し」のことで、この絵画が模写ではなく、原画である可能性を示唆します。
- 2008年5月
オックスフォード大学名誉教授マーティン・ケンプをはじめ、ダ・ヴィンチの権威である研究者たちがナショナルギャラリー、ロンドンに集まります。
ダ・ヴィンチ作『岩窟の聖母』と並べて調査した結果、『サルバトール・ムンディ』は、ダ・ヴィンチの真筆であるという結論に至ります。
- 2011年11月〜2012年2月
その鑑定により、ナショナルギャラリー、ロンドンは、「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」にて、『サルバトール・ムンディ』を新発見の真作として展示しました。
- 2013年
スイス美術商イブ・ブービエが、サザビーズのプライベートセールを通じ、『サルバトール・ムンディ』を9300万ドル(約114億万円)で購入します。
そして、そのイブ・ブービエは、ロシア大富豪ドミトリー・リボロフレフへと1億2750万ドル(約157億円)で売却しました。
- 2015年〜
購入したドミトリー・リボロフレフは、この差額を含めイブ・ブービエの不当な高額請求に対して訴訟を起こし、5年に渡り、5か国で戦いましたが、2019年12月に敗訴しました。同時にサザビーズに対しても訴訟を起こしています。
- 2017年
ドミトリー・リボロフレフ所有の『サルバトール・ムンディ』は、香港、ロンドン、サンフランシスコ、ニューヨークで展示された後に、上記の通り、クリスティーズのオークションを通じて美術品の史上最高価格で競り落とされました。
その後のミステリー
- 2018年
アブダビ文化観光省がルーブル美術館のために購入したとされていた『サルバトール・ムンディ』ですが、アビダビ・ルーブル美術館にて展示されることはありませんでした。
また、アブダビ文化観光省という機関は、実際には存在しないことが判明しています。
- 2019年
パリルーブル美術館は、ダヴィンチ没後500年を記念して行われる展覧会のために、『サルバトール・ムンディ』の出品を交渉しましたが、結局、最後まで返答が来ることはありませんでした。
ルーブル美術館は、ダ・ヴィンチの真作としてではなく、工房の作品として扱う予定だったようです。それが、出品を拒む理由ではないかという憶測も飛びました。
『サルバトール・ムンディ』の現在の所在については、噂だけで、真相は闇の中です。
真作か?贋作か?
研究者による真作か、偽作かの意見は留まるところを知りません。ここではその主なものを挙げておきましょう。
- 真作説
■マーティン・ケンプ(オックスフォード大学名誉教授)
ペンチメント(右手親指と刺繍など)、蠟質な手、スフマート技法を駆使したとらえどころのない表情、髪の質感、水晶の描き方、全体的存在感、シャロ―・フォーカス(狭い部分にピントを合わせ、背景をぼかす)を主に挙げています。
髪の質感と顔のスフマート技法は、ダ・ヴィンチ作『洗礼者ヨハネ』に通じることも理由としています。
また、ダ・ヴィンチはスフマートを施す際に、手の平の手首に接する部分を使うのですが、『サルバドール・ムンディ』の眼の上には、指紋がついていることも発見されています。
■ダイアン・モデスティー二(ニューヨーク大学絵画保存修復士)
「ダヴィンチ以外の誰も、このような手の描写はできない」ことを理由に、真作であることを確信したと述べています。
■ニコラス・ペニー(ナショナルギャラリー、ロンドン館長)
ダ・ヴィンチ作『岩窟の聖母』と並べて観察した上で、「私と同僚の何人かはダ・ヴィンチの原画と考えた」と書いています。その後に、ナショナルギャラリーは、ダ・ヴィンチ作品の新発見というコメントを出しています。
- 一部関与説
■カーメン・バンバック(キュレーター、メトロポリタン美術館、ニューヨーク)
『サルバトール・ムンディ』のほとんどの部分は、弟子のひとりだったジョバンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ(1466または1467〜1516)が制作したとしています。
実は、1958〜2011年まで、『サルバトール・ムンディ』は、ボルトラッフィオ作とされていました。
バンバックは、ダ・ヴィンチが関与した部分は、右手とその袖、左手と水晶としています。右手の袖口については、次のスケッチとの関連性を指摘しています。
■マイケル・デイリー(ArtWatch UK、ディレクター)
「真作とするには、エビデンスが十分ではない。アイコンのように薄っぺらで肉づきがリアルではない。もうひとつ不自然なのは、人物が特徴を考慮せずにかなり切り取られてしまっている」
■マシュー・ランドラス(オックスフォード大学、講師)
『サルバトール・ムンディ』の5〜20%は、ダヴィンチが関わっているものの、その他は、アシスタントのベルナルディーノ・ルイーニ(1480年/1482年頃 – 1532年)作としています。
実は、1900〜1958年に『サルバトール・ムンディ』は、ルイーニ作と考えられていました。その時に撮影された写真は、次の通りです。かなり顔が違っています。
- その他の意見
■トーマス・キャンベル(メトロポリタン美術館、元ディレクター)
「4億5000万ドルだって?購入者が保存のあれこれの問題を理解していることを願いますよ」
と、たとえ本物だとしても、過度に修復されていることを心配しています。
■チャールズ・ホープ(イギリス美術史家、元ウォーバーグ・インスティチュートディレクター)
「ダヴィンチが、水平ではない眼や、水晶の後ろでも歪んでいないひだの描線を描いたことが信じられない。モナ・リザを彷彿させようとし、顔を修復し過ぎて絵が廃墟となってしまった。」
ダ・ヴィンチの知的な創造空間は、3DVR美術展『ダ・ヴィンチの5つの部屋』でご覧いただけます。ルネッサンスの美しい音楽もご一緒にどうぞ!