ウィトルウィウス的人体図を探る

レオナルド・ダ・ヴィンチ、『ウィトルウィウス的人体図』、1490年頃、34.3 cm × 24.5 cm、アカデミア美術館、ベニス

保存上の理由から、6年に一度、わずか2週間ほどしか展示されないデリケートな作品です。

2019年ルーブル美術館で開催されたダ・ヴィンチ没後500年を記念する展覧会では、文化遺産保存グループがイタリアからフランスへの移動に耐えられないとして抗議したため出品が危ぶまれましたが、最終的には許可されました。


2019年ルーブル美術館、パリで展示された
レオナルド・ダ・ヴィンチ、『ウィトルウィウス的人体図』www.practicaespanol.com

作品について


  • ドローイング部分

『ウィトルウィウス的人体図』は、「人間の普遍的なプロポーション」をビジュアル化したものです。

成人の裸の男性が、両手、両足のポーズを変えると、正方形と円のどちらにも収まるように描かれています。

30代だったダ・ヴィンチ自身ではないかという説もありますが、強い根拠があるわけではありません。

オフホワイトの紙に、ペンを使って茶色のインクで描き、鉛尖筆(lead point)が使用された部分には筆で茶色の滲みをつけています。他に、ピン、カリパス、定規、コンパスも使用されています。


  • テキスト部分

ドローイングの後に、その上下に、テキストをミラーライティング(鏡文字)で書き込んでいます。鏡文字とは、左右を反転させて書かれた文字です。

このテキストは、古代ローマ時代の建築家/軍事エンジニアであるウィトルウィウス( 紀元前80–70 年頃 〜 紀元前15 年以降)の著書『建築論(De architectura libri decem)』第3巻の内容の一部をパラフレーズしたものです。


■上部テキスト

レオナルド・ダ・ヴィンチ、『ウィトルウィウス的人体図』、上部テキスト部分

建築家ウィトルウィウスは、建築に関する著書の中で人間の身体のサイズは生来的に次のように配分されていると述べる。

4本の指は手の平の幅、手の平の幅4つ分は、1足の長さ、手の平の幅6つ分は、キュービット(中指の先端から肘までの長さ)に等しい。

キュービット4つ分は、身長と等しい。そしてキュービット4つ分は、歩行の1ユニット(3ステップ)に等しい。手の平24個分が、身長となる。こうした割合を、彼は建築物にも使用している。

もしも足を大きく広げると、身長はその14分の1低くなり、腕を広げて中指が頭の頂点レベルに挙げると、手足の中心はおへそということになり、足の間の空間は、二等辺三角形である。


■下部テキスト

レオナルド・ダ・ヴィンチ、『ウィトルウィウス的人体図』、下部テキスト部分

人間の広げた腕の長さは、身長に等しい。

髪の生え際から顎の下までの長さは、身長の10分の1である。顎の先から、頭頂までは、身長の8分の1である。胸の上から、頭頂までは、身長の6分の1である。胸の上から、髪の生え際までは、全身の7分の1である。乳首から頭頂までは、身長の4分の1である。肩幅の最長部分は、身長の4分の1にも相当する。肘から指先までは、身長の5分の1である。肘から、脇の奥までは、身長の8分の1である。手の平の長さは、身長の10分の1である。

生殖器の付け根が、人間の中心である。足の長さは、身長の7分の1である。足底から膝下までは、身長の4分の1である。膝下から、生殖器の付け根までは、身長の4分の1である。顎先から鼻、髪の生え際から眉までは同距離で、耳の長さと同じ顔の長さの3分の1である。

The Notebooks of Leonardo Da Vinci, Vol. 1, New York: Dover, 1970より、ダ・ヴィンチ研究所が翻訳


ダ・ヴィンチの意図


  • ウィトルウィウス著『建築論』との関係

ウィトルウィウスの著書『建築論』がパラフレーズされていることから、『ウィトルウィウス的人体図』と呼ばれています。


ウィトルウィウス、『建築論』、イタリア語版、1521年、スミソニアンアメリカ歴史博物館

しかし実際には、ダ・ヴィンチはその記述をそのまま受け入れたわけではなく、自ら数人のモデルを計測しています。

また、ウィトルウィウスの記述とダ・ヴィンチのドローイングには合致していない部分があります。

例えば、ダ・ヴィンチのドローイングでは、正方形の中の人間の中心はおへそではなく、生殖器の付け根になっています。ウィトルウィウスの記述では、正方形でも円でも、人間の中心がおへそになっています。

また、ウィトルウィウスの記述は腕が真横に伸びていますが、ダ・ヴィンチは、頭頂の高さまで挙げています。

つまり、ダ・ヴィンチ自身でサイエンスとアートが統合された普遍的プロポーションを究明しようとしていたと言えるでしょう。

現に、彼の熱心なプロポーションの研究は、1487〜1490年頃から始まっています。それを裏付けるスケッチとメモも次のように残されています。


レオナルド・ダ・ヴィンチ、『立つ、ひざまずく、座る人間のプロポーション』、1487〜1490年頃、15.9 x 20.8 cm、王室図書館、イギリス

  • 黄金比率との関係

『ウィトルウィウス的人体図』と黄金比率あるいは黄金分割(golden ratio あるいはgolden section )の関係がよく話題になります。

黄金比率とは、x2 − x − 1 = 0 の実数の解であり、ギリシャ文字 ɸ あるいは Ꝕ で表わされます。

{\displaystyle \phi ={\frac {1+{\sqrt {5}}}{2}}=1.6180339887\cdots }

その理由は、数学者ルカ・パチョーリ(1445-1517)が、黄金比率の幾何学やアートや建築への応用について書いた著書『神聖比例論』にあります。

ダ・ヴィンチは、パチョーリと深い親交があったばかりでなく、その著書のイラストまで描いています。


伝ヤコポ・デ・バルバリ(1460/70年〜1517年以前)、『ルカ・パチョーリと学生』、1495、98 cm X 108 cm、カポディモンテ美術館、ナポリ、イタリア

ルカ・パチョーリの著書『神聖比例論』が完成したのは、1498年でしたが、さらに出版されたのは、1509年のことです。


ルカ・パチョーリ著、レオナルド・ダ・ヴィンチ、イラスト、『神聖比例論』表紙、1509、CR: the Board of Regents of the University of Oklahoma

そして何よりも、『ウィトルウィウス的人体図』の円の半径の正方形の一辺に対する比率は、0.16189….ではないことが分かっています。

結局、ルカ・パチョーリの著書『神聖比例論』を通じた黄金比率のダ・ヴィンチへの影響は不明です。また、ダ・ヴィンチは、『ウィトルウィウス的人体図』はもちろん、他の作品にも黄金比率を正確に踏襲したという事実はありません。

ダ・ヴィンチの知的な創造空間は、3DVR美術展『ダ・ヴィンチの5つの部屋』でご覧いただけます。ルネッサンスの美しい音楽もご一緒にどうぞ!