アート X’masに見たい!キリスト降誕のアート 12/11/2025 仏画や仏像好きは多数いらっしゃるものの、キリスト教アートが好きという方は少ない気がいたします。おそらくは、とっつきにくいと感じる方が多いのではないかと想像しています。 しかしながら、宗教絵画にはみごとな作品が多いのも事実です。なぜならば、信者であるアーティストたちが神への帰依のために、魂を込めて描くからです。 今回は、クリスマスにちなみまして、「キリスト降誕」のアートに焦点をあてます。美しさ・祝福ムード・ほのぼの感に加えまして、時代や地域やアーティストによる独自性を比較しながらお楽しみいただけますと幸いです。 「キリスト降誕」とは? 「キリスト降誕」は、マタイとルカ福音書のそれぞれ1~2章に記されています。 二つの福音書では誕生前後のエピソードが異なりますが、共通部分は、 1)キリストがユダヤのベツレヘム(現代のパレスチナ)で生まれたこと;2)母はマリアであること;3)父はヨセフ(マリアが婚約していたダビデ王の子孫)ではなく、その誕生は神の介入によってもたらされたことです。 「キリスト降誕」は12月25日に祝うようになったわけですが、上記福音書には、その時期についての記載はありません。では、なぜ12月25日がクリスマスになったのでしょうか? クリスマスについての最初の記録は4世紀中期のローマに残っていますが、当時すでに12月25日行われていた太陽神を祭る冬至の祭典と同日に行われました。その理由は、最も暗い日を過ぎて太陽が再び力を増し始める日が、キリストは「世の光」であることと重なったからです。 「キリスト降誕」のアート 「キリスト降誕」といいますと、一般的にはその「生誕」シーンそのものを描いたアートを指します。その一方、「キリスト降誕」の前後のエピソード(すでに述べたようにマタイとルカの福音書で異なります)を描写したアートも存在します。 たとえば、マタイの福音書に書かれた「東方三賢者の来訪」、ルカの福音書に書かれた「受胎告知」「羊飼いたちの礼拝」は、多くの作品が存在するエピソードです。絵画だけでなく、彫刻、モザイク、タペストリー、祈祷書、ステンドグラスなどが制作されました。 ここでは、「キリスト降誕」と、その直後のエピソード「羊飼いたちの礼拝」を合わせた厳選6作品を見てまいりましょう。 スティリコの石棺のレリーフ スティリコの石棺、「キリスト降誕」部分、 387-390年、サンタンブロージョ教会、ミラノ 牛、ロバ、鳥に囲まれて、横たわるキリストが、ペディメント(切り妻の壁面の三角形部分)のなかに彫られています。麻の産着で巻かれてミイラのようですが、彼の生だけでなく死を象徴しているからです。 産着に巻かれ横たわる幼子キリストと牛とロバの組み合わせは、13世紀頃まで継続されています。 この石棺上のレリーフが 「キリスト降誕」の現存する最古のうちのひとつと言えるでしょう。というのも、より古いプリシラのカタコンベ(ローマの地下墓地、2世紀後半~4世紀)には、初期キリスト教美術のフレスコ画があるのですが、生まれたばかりの横たわった幼子キリストは描かれていないからです。 パラティーナ礼拝堂のモザイク 「キリスト降誕」部分、1150年頃、モザイク、パラティーナ礼拝堂、パレルモ、シチリア島 パラティーナ礼拝堂は、シチリア島パルレモのノルマン王宮2階にある礼拝堂です。 ビザンティン様式の金と色彩豊かなガラスで作った華麗なモザイクで有名ですが、モザイク版の「キリスト降誕」も含まれています。画像ではわからなくて残念ですが、光の反射が加わりますと、神聖な輝きを放って実に美しいです。 中央が「キリスト降誕」シーンです。その周りには、その前後のエピソードが描かれています。 右上から時計回りに、1)天使による羊飼いたちへの知らせ;2)羊飼いたちの来訪;3)助産婦による沐浴;4)ヨセフが頬に手を当てて心配している姿;5)三賢人と天使たち;となっております。 人間感情と自然さを最初に描いたジョット ジョット・ディ・ボンドーネ、『キリストの降誕』、フレスコ、スクロヴェーニ礼拝堂, パドヴァ, イタリア 200 x…
アート アート窃盗のおすすめ映画3選 10/29/2025 2025年10月19日、ルーヴル美術館でアート強盗が起こってしまいました。1998年にカミーユ・コロー作『セーヴルへの道、パリの眺め』が盗まれて以来、7年ぶりの事件です。 今回は絵画ではなく、フランス王室の宝飾品8点です。もともと9点盗んで、そのうち最も高価な1点は逃走中に落としたために回収できたことが報道されています。合計損害額は、約150億7000万円とのことです。 その最も高価な宝飾品が、次の皇帝ナポレオン3世の皇后ウジェニーの王冠です。回収はできたものの、大きな損傷を負ったことが伝わっています。 アレクサンドル・ガブリエル・ルモニエ、『皇后ウジェニーの王冠』、1855、直径16.5cm, 金、ダイヤモンド、エメラルド、ルーヴル美術館 宝飾品を盗むところがなんとも悪知恵が回ると申しましょうか、バラして売れば、足がつかずに取引できることをよく知っているわけです。ちなみに、上記王冠をバラすとしたら、ダイヤモンド1354個にもなります。 前置きが長くなりましたが、アート窃盗って好奇心をそそられます。今回のルーヴルでの盗難も、警備員の関与が疑われていたり、滞在時間わずか4分間の犯行とか、ミステリーに包まれています。 実際に、20世紀半ばからアート窃盗を題材としたスリリングな映画がたくさん制作されています。今回は、その中から完全に独断と偏見で面白かったものを共有したいと思います。 『おしゃれ泥棒』(How To Steal A Million?) 「おしゃれ泥棒」の1シーン Photo: visual-history.com 邦題「おしゃれ泥棒」は、原題(How To Steal A Million?)とはかけ離れていますが、写真のオードリー・ヘップバーン(ニコル役)とピーター・オトゥール(デルモット役)が、ニコルの贋作者の父を犯罪者にしないために、彼の贋作「チェリーニ・ヴィーナス」をパリの美術館から盗み出すコメディです。 1966年制作ですが、アート窃盗がそれほど深刻化していない頃の優雅な作品です。その一方、20世紀中頃からアートの年代測定などの科学分析技術が登場しましたが、この作品はその点を重要な筋書きとしてとらえられています。 1970年代からアート窃盗が増え、美術館セキュリティが強化されるにつれて、映画も巧妙なサスペンス系に変化して似通った作品が多くなります。ですから、それ以前のこの作品をまず押さえておく価値があります。 20世紀中ごろの美しいパリの光景、ヘップバーンのシックなジバンシーのファッション、美男美女のロマンスを通して、古き良き時代で癒されたい方には楽しい鑑賞時間になるに違いありません。 『トーマス・クラウン・アフェアー』(Thomas Crown Affair) 『トーマス・クラウン・アフェアー』の宣材写真 Photo: westonaic.org 1968年に世界的に大ヒットしたスティーブ・マックイーン主演作品『華麗なる賭け』の1999年制作のリメイク版です。2作品とも大富豪トーマス・クラウンが、スリルを求めて道楽で窃盗するストーリーです。 大きな違いは、オリジナルはボストンの銀行、リメイク版はニューヨークのメトロポリタン美術館を襲います。また、主演のスティーブ・マックイーンは、ジェームズ・ボンド役で一躍有名になったピアース・ブロンナンに代わっています。…
アート ピカソの魂の傑作『三人のダンサー』 09/30/2025 パブロ・ピカソ作『三人のダンサー(踊り子)』の完成から100周年を記念した「シアター・ピカソ」がロンドン、テート・モダン美術館で開催(2025年9月17日- 2026年4月12日)されています。 『三人のダンサー』を含む絵画・彫刻・テキスタイルなどが出展されています。お近くにお寄りの際は、一見の価値ありです。 今回は、その『三人のダンサー』の魅力について共有してまいります。ピカソの天才ぶりがまざまざと見せつけられる作品です! *タイトルの一般的な日本語訳は『三人の踊り子』のようですが、この絵には単純に「ダンサー」の方がしっくりくるような気がいたします。あくまでも私見ですが。 『三人のダンサー』を観察する パブロ・ピカソ、『三人のダンサー』、1925、2153 mm x 1422 mm、油彩、キャンバス、テート・モダン美術館所蔵、© Succession Picasso 人間の等身大サイズの大きな画面に、3人を描いています。 ダンサーというタイトルですが、ぱっと見てわかるわけではなく、よく見ると手をつなぎ合っていること・足の動き・反った体からかろうじて推測できます。 性別は、中央が女性、右は男性に見えますが、左は胸が大きいのと、赤い唇で女性に見えますが、足が極端に大きく曖昧です。中央の人物の描写はシンプルで、右の人物は影のように目立たず、左の人物を最も強調して描いています。 ダンサーと言っても楽しさは感じられず、三人の表情は、暗さ・困惑・苦痛が見受けられます。また輪郭線の不安定さや、アシンメトリーな形が不穏さを感じさせますね。 親友たちの三角関係 1925年は、ピカソにとって悲嘆にくれた年でした。親友のひとりラモン・ピショが心臓発作で突然死したからです。彼の妻ジェルメーヌ・ガルガリョは、かつてピカソのもう一人の親友カルロス・カサヘマスとデートを重ねていたものの上手く行かず、2001年にカサへマスはガルガリョを銃で殺そうと試み、それに失敗すると、自分を撃って自殺してしまいます。 ピショの死は、四半世紀も前の最悪の悲劇をピカソに思い出させます。ピカソは、この創作と親友との関係性を認めたわけではありませんが、感情的葛藤と個人的な損失がこの作品を書かせたと述べています。 絵画の中央がカルロス・カサヘマス、右がラモン・ピショ、左がジェルメーヌ・ガルガリョであると考えられています。 シュルレアリスムへ 『三人のダンサー』は、ピカソのスタイル上の転機にもなりました。それ以前では、1907-1919年にキュビズムに、1919-1925年には新古典主義に傾倒していました。 無意識のトラウマ・歪曲された身体・現実と意識の世界の境界を描いたこの作品は、その時台頭していたシュルレアリスムと整合性がありました。シュルレアリスムについては別エントリーをご高覧ください。 シュルレアリスムの創始者であったアンドレ・ブレトンの依頼に応じて、ピカソは『三人のダンサー』をシュルレアリスムの機関紙に掲載することを許可します。その一方、ピカソは自身をシュルリアリストと名乗ることは拒否しています。 『三人のダンサー』は、1965年にテート美術館の所蔵になるまで40年間、ピカソはどこにも売却することなく自らの手元に置きました。それだけ個人的な思いを詰まった大切な作品であったことが想像されます。 変幻自在なピカソのすごさ ところで、テート美術館が科学的調査を実施し、非常に興味深いことが発見されました。 『三人のダンサー』の下には、別の絵が描かれていたのです。その絵は、新古典主義のスタイルで静かに踊るダンサーたちの姿でした。はっきりとは見えませんが、顔に注目していただくとまったく異なることにお気づきいただけるでしょう。 パブロ・ピカソ、『三人のダンサー』、2012年実施のX線写真Photo…
アート ファン・ゴッホの6つの決定的瞬間 08/28/202508/29/2025 人生は悲喜こもごもですが、ファン・ゴッホ(1853~90)ほどドラマティックな人生を送り、その心の葛藤を鮮やかに記録に残した画家はほとんどいないでしょう。 ここではファン・ゴッホの人生の決定的瞬間を6つ選び、その時の敏感な心理を投影した絵画を共有してまいります。 ファン・ゴッホについては、別ブログ「あの頃からファン・ゴッホは天才だった」、「ファン・ゴッホ作『ひまわり』に魅かれる理由」、「ファン・ゴッホが深く学べる2023年」、「ゴッホ絵画盗難のなぞ」、「Sompo美術館蔵ファン・ゴッホ作『ひまわり』はどうなるのか?」も書いております。合わせてお楽しみください! 1885年 画家としての第1歩 フィンセント・ファン・ゴッホ、『ジャガイモを食べる人々』、1885、81.5 cm × 114.5 cm、油彩、キャンバス、ゴッホ美術館、アムステルダム Photo:Wikipedia ファン・ゴッホが32歳の時に描いた最初の記念すべき大作です。 オランダ南部のヌエネンで両親と暮らしていた時に制作しています。1885年5月前半に2か月前後で完成しましたが、相当な量のスケッチが残されており、周到に準備した力作であることがわかります。 弟/アートディーラーであったテオは、画面の暗さが、トレンドである印象派の鮮やかな色彩に合わないことを理由に販売に消極的でした。また、画家/友人であったアントン・ファン・ラッパルト(1858~1892)からは、暗さに加えて人体描写の不正確さやぎこちない動きを指摘されて自信を喪失します。 確かに当時の伝統的な絵画を基準にするとその通りなのですが、今見ると、これほど嘘のない農民の生の感情が詳細と画面全体から伝わってくる絵画は珍しく、やはり傑作と言わざるを得ません。 1887年 画風のターニングポイント フィンセント・ファン・ゴッホ、『自画像』、1887-88、44 cm X 37.5 cm、油彩、キャンバス、ゴッホ美術館、アムステルダム Photo:Wikipedia ファン・ゴッホは、生涯と通じて30点余りの自画像を描いています。その中でも、最も自信にあふれているように見受けられるのがパリで描かれたこの作品です。 目つきが鋭い一方で、表情はリラックスしています。他の自画像を見ていただけるとわかるのですが、彼の自画像は、神経質に緊張感があるものが多いです。 『ジャガイモを食べる人々』における色を酷評されたため、ファン・ゴッホは色彩理論を学習し始めていました。そして、パリで後期印象派に触れて試作してみたのがこの作品になります。後期印象派を参考にしたとは言え、彼の三次元的な筆致・色の組み合わせ・感情表現は独自のものです。 この自画像には、自分のスタイルを発見した手ごたえと将来への期待が込められているようです。帽子がオーラに見えるという人もいます。 1888年 創造のための聖域へ フィンセント・ファン・ゴッホ、『黄色い家』、1888、72×91cm、油彩、キャンバス、ゴッホ美術館、アムステルダム Photo:Wikipedia ファン・ゴッホがパリから南フランスのアルルに引っ越し、創造のために選んだ場所がこの黄色い家です。1888年5月~1889年5月まで居住しました。 手前右のグリーンのドアがある棟を借りました。1,2階部分にそれぞれ2部屋があり、アトリエとキッチン(1階)、自分の寝室とゲストルーム(2階)として利用していました。ゲストルームは、あのポール・ゴーギャンが1888年10月 23日~12月25日まで滞在しています。 パリの喧騒に疲れた心を癒し、インスピレーションを絵画にし、また他の芸術家と切磋琢磨するために、大きな期待に胸を膨らませていた場所は、彼にとって聖域と呼べるものだったでしょう。 結局1年ほどしか住みませんでしたが、『夜のカフェテラス』『夜のカフェ』『赤いブドウ畑』など傑作を次々と生み出しました。…
アート ルノワールの魅力は「白」と「黒」 07/31/2025 もうすでに行かれた方も多いかと思いますが、三菱第一号美術館にて『ルノワール X セザンヌ―モダンを拓いたふたりの巨匠』(2025.5.29~9.7)が開催されています。 展覧会は大好評のようで、すでにたくさんのyoutube等でご紹介されているのでそちらでご覧ください。 ここではピエール=オーギュスト・ルノワールの魅力をさらに理解するために、あまり語られていない彼の「白」と「黒」の魅力に注目してまいりましょう。 典型的な輝く暖かい色 「私にとって…絵画は大切にするべきもので、楽しくて、美しいものでなければなりません、そう、美しいのです!」---ピエール=オーギュスト・ルノワール ルノワールといえば、輝くような暖かい色調の絵を思い浮かべるのではないでしょうか。 ルノワールは彼自身の言葉通り、美しく楽しい画題――美しい女性・かわいい子供・パーティやダンスなどを楽しむ人々・風景・花――をほとんどの場合で選択しています。 そのために典型的に使用したのが、輝いている暖かい色調です。特に、ピーチ色系のイメージがあるかもしれません。ピーチと言っても、日本の桃の色ではなく、ヨーロッパのピーチの色でオレンジとピンクがまざりあったような色と、そのグラデーションです。 ピエール=オーギュスト・ルノワール、『ひなぎくを持つ少女』、1889、65.1 x 54 cm、油彩、キャンバス、メトロポリタン美術館 ルノワールにとって、ピーチ色は美しさ・楽しさ・官能性であり、紅潮した顔や裸体にも使われました。 上の『ひなぎくを持つ少女』は、印象派の典型的な筆触分割というよりは、かすかな羽のような筆致が溶け合って輝いているような独特な世界を生み出しています。夢の中でこの少女と出会っているような感覚かもしれません。これが、ルノワールの世界観ですね。もう一作品、見ておきましょう。 ピエール=オーギュスト・ルノワール、『女優ジャンヌ・サマリーの肖像(白日夢)』、1877、56 cm X 47 cm、油彩、キャンバス、プーシキン美術館 こちらは、ルノワールの家の近くに住んでいた若き女優ジャンヌ・サマリー(1857-90)です。こちらは、ピーチ色の背景ですが、肌はゴールドとなっています。発色するようなゴールドも、ルノワールが大好きでした。 この作品は、第3回印象派展に出品しましたが、リアリズムに欠ける女優のプライベートな一面は残念ながら不評でした。 真珠のような多彩な白 ピーチやゴールドはルノワールの美しく楽しい絵画にはぴったりなのですが、その一方、「白」と「黒」はワンランク上の豪華さと個性を与える色です。まずは白から、見てまいりましょう。 ピエール=オーギュスト・ルノワール、『帽子の女』、1891年、56 x 46.5 cm、油彩、キャンバス、国立西洋美術館 白って、奥深い色です。原研哉さんの書籍『白百』には100種類の白が書かれていますが、ペンキを塗っても、絵を描いても、同じ白はできなかったりします。…
アート… 『アイルワースのモナ・リザ』―真贋はいかに? 06/19/202506/19/2025 ブログで書くには複雑なので後回しにしてきたトピックについて、意を決して書くことにしました。 それは、もうひとつのモナ・リザと言われ、ルーヴル美術館蔵『モナ・リザ』よりも早い時期に描かれたと考えられている『アイルワースのモナ・リザ』です。 ご存じの方も多いと思いますが、『モナ・リザ』には数多くのコピーが存在しております。その中のほとんどにレオナルド・ダ・ヴィンチは関わっていないことで決着がついています。 その一方、『アイルワースのモナ・リザ』は真筆であることを支持している研究者、著名コレクターが存在していてその真贋は混迷状態です。 今回は、その『アイルワースのモナ・リザ』についてわかりやすくまとめて共有してまいります! なお、ルーヴル美術館蔵『モナ・リザ』の基本情報は別エントリーをご高覧ください。 まずは観察してみてください レオナルド・ダ・ヴィンチ、『モナ・リザ』、1503〜1506年、おそらく1517年頃まで、77 × 53 cm、油彩、パネル、ルーヴル美術館 Photo: Wikipedia 『アイルワースのモナ・リザ』、16世紀前半、84.5×64.5 cm、油彩、キャンバス、匿名の国際コンソーシアム所有、Photo:Wikipedia ビジュアルから考察する まずは、ビジュアルから比較してみましょう。 アイルワースの方は、より若い女性が描かれ、円柱が柱礎だけでなく柱部分も含まれています。また、背景は、下3分の1は岩肌と林ですが、上3分の2が褐色で残されている点から未完成に見えます。 若い女性であることが、この作品が真筆と考えれる大きな理由とされています。なぜなら、ダ・ヴィンチが『モナ・リザ』を描いていたのが1503年であることは、フィレンツェの役人だったアゴスティーノ・ヴェスプッチ(1454-1512)が記しているからです。その時、リザ・デル・ジョコンドは24歳ですから説得力があるわけです。 女性は、顎のラインがシャープで、額、目の横幅がやや広いです。また、頭だけが前のめりになっています。 全体的に暗い色調を好みながら、ゴールドの光が差すような陰影の強いコントラストをつけています。 手も比較してみましょう。画家のスタイルや技量が出やすい部分です。下のアイルワースは美しいのですが、ニュアンスがなさすぎて不自然な印象を持ってしまいます。いかがでしょうか。 『モナ・リザ』と『アイルワースのモナ・リザ』の手の比較、Photo:Wikipedia 付け加えまして、アイルワースの方は、キャンバスに描かれています。これは、ダ・ヴィンチが木製パネル、特にポプラ材を好んだことに矛盾しています。 来歴から考察する ルーヴル美術館蔵『モナ・リザ』の非の打ちどころのない来歴と比べますと、アイルワースの方はかなり謎に包まれています。 最初の信頼性ある記録は、なんと1913年まで下ります。英国のキュレーターであり、コレクターだったヒュー・ブレイカーが、イギリスサマーセット(ロンドンから南西250km)の邸宅で絵画を再発見しています。 その後は、次の通りです(曖昧なものは削除しています): 1914-1918 第一次世界大戦の戦禍を逃れて、ボストン美術館で保管される 1936年…
アート 母の日にはやっぱりこの絵画 05/08/2025 母の日が近づくと、頭に画像が浮ぶのが、アメリカ人画家ジェームス・マクニール・ホイッスラー(1834-1903)作『灰色と黒のアレンジメントNo.1』(1871年、オルセー美術館蔵)です。 通称『ホイッスラーの母』と呼ばれていますが、当時67才だった実母アナ・マクニール・ホイッスラーを描いた肖像画です。 母の凛としている姿であり、あたたかさもあり、スタイリッシュで、ダ・ヴィンチ作『モナ・リザ』に匹敵するマスターピースと感じる作品です。 母の日をお祝いして、詳しく見てまいりましょう。 ジェームス・マクニール・ホイッスラー、『灰色と黒のアレンジメントNo.1』、1871年、144.3 X 162.4 cm, 油彩、キャンバス、オルセー美術館蔵 世界で最も親しまれている3作品のひとつ ダ・ヴィンチ作『モナ・リザ』、ムンク作『叫び』と並び世界で最も親しまれている3作品のひとつと言えるでしょう。世界中でもはやアイコン的な絵画となっています。 ホイッスラーの評価を不動のものにした作品 ホイッスラーの母国アメリカでも「国外にあるアメリカ人画家の作品の中で最も重要」と考えられています。 1932年に初めて里帰りを果たし、ニューヨーク近代美術館で公開されたのを皮切りに、1933年のシカゴ万国博覧会では、約2500万人の訪問者の目玉となり、その後10都市をツアーしています。 翌年には母の日のための記念スタンプとして発行され、さらに1938年にはペンシルバニア州アシュランド市には、大恐慌時代の母への賞賛として絵画をベースにした約2.4メートルの銅像が制作されています。 1934年5月発行の3セント切手 母のアイコンとして人気が揺るがない作品 世界中で母のイメージそのものとして、映画・TV番組・CMなどでたびたび取り上げられています。 顔の部分や彼女の視線や膝の上にかかえるもの等を変えて、母の個性を出したパロディーとしてもたびたび登場しています。多くの人の心に母のアイコンとして定着するほどに強いインパクトを与え続けています。 通称『ホイッスラーの母』のさまざまなパロディー例 ジェームス・マクニール・ホイッスラーについて ジェームス・マクニール・ホイッスラー、『灰色のアレンジメント:自画像』、1872年、74.9 X 53.3 cm、 油彩、デトロイト美術館蔵 ホイッスラーは、アメリカマサチューセッツ州で生まれながら、1855年に絵画修行のためにパリへと旅立ってから主にロンドンで活動し、2度と母国へ戻ることはありませんでした。 ホイッスラーはこの作品に至るまでのあいだ、その名は広く知られてはいたものの、その才能を思う存分に発揮できる独自のスタイルを確立できていませんでした。 その10年余りの間に制作された肖像画や風景画には、ラファエロ前派、印象派、東洋文化や浮世絵の影響が見られますが、消化しきれていない特徴があらわれ、試行錯誤の様子が伺えます。 ただし、伝統にしばられない手法(白のカーテンに白のドレス、ありえない床の傾斜など)が、近い未来に何かやってくれそうだという予感はします。…
アート 【生誕250年】イギリスが誇る偉大な画家ターナーはなぜすごいのか? 04/24/2025 19世紀イギリス画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)の生誕250年にあたり、イギリスを中心に世界各地で美術展が予定されています。 主なものは次の通りです: 1.ウォーカー・アート・ギャラリー開催「ターナー:常にコンテポラリー」(2025年10月25日〜2026年2月22日) 2.ターナー・ハウス開催「ターナーの王国:美・鳥・動物」(2025年4月23日〜2026年10月26日) 3.イェール・ブリティッシュ・アートセンター開催「J. M. W. ターナー: ロマンスとリアリティ」(2025年4月23日〜2026年10月26日) 4.テート・ブリテン開催「ターナーとコンスタブル」(2025年11月27日〜2026年4月12日) 美術館同士が申し合わせたのかどうかはわかりませんが、これらの4つの美術展のテーマを合わせると、ターナーの全体像がおおよそつかめます。 そこで今回は、それら4つのテーマのカギとなる作品を見ながら、イギリスが誇る巨匠ターナーを一気に理解してしまいましょう。 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー、『自画像』、1799年頃、74.3X58.4 cm、油彩、キャンバス、テートブリテン 「常にコンテポラリー」 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー、『解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号』、1799年頃、74.3X58.4 cm、油彩、キャンバス、ナショナルギャラリー、ロンドン 「常にコンテポラリー」というのは、2つの意味でターナーにぴったりの言葉です。 まず、彼は当時、迅速に進んでいた産業化の波を克明にとらえていたからです。 例えば、20ポンド紙幣の裏面にも印刷されていて、ターナー作品の中でも最も有名な『解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号』があります。この作品をご存じの方も多いのではないでしょうか。 絵のタイトルには「戦艦テメレール号」が入っていますし、1805年のトラファルガーの戦いでフランス・スペイン連合軍に勝利したときに大活躍した戦艦ですので、往々にして絵の主役は、戦艦テメレール号と考えてしまいます。実際に、インターネット上ではそうした解説が多いです。 でも真の主役(少なくともターナーにとっての)は、戦艦テメレール号の活躍と引退ではなく、それをけん引している褐色の蒸気船の方なのです。サイズが小さく、豪華さもありませんが、蒸気を上げながら力強く進む当時の最先端のテクノロジーをターナーは描いたのです。 ターナーが「常にコンテポラリー」であるもうひとつの理由は、ターナーの光や空気感や水の描き方です。特に1830年代以降の作品から抽象化傾向が進むにつれて、ますます高まったムードや感情が伝わってきます。 次の『雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道』をご覧いただくと、ムードや感情がマックスに炸裂していることを感じていただけるでしょう。 絵画の近代化は、ターナーからすでに始まっていたことを改めて痛感させられます。 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー、『雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道』、1844年頃、91 × 122 cm、油彩、キャンバス、ナショナルギャラリー、ロンドン 卓越したドローイング力と色彩感覚 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー、『孔雀の頭』、 ファーンリー鳥類図鑑より、1816年頃、111 x 185 mm、水彩、紙…
アート… 絵はライン(線)まで観よう 03/14/202503/15/2025 以前、色について少し触れたことがありますが、今回は「線」に注目いたします。 絵画の構成要素はおおまかに、色・形・線・スペース・テクスチャーです。人間の知覚の特徴から、色に最も気がつきやすいです。 しかし、絵を前にして、線も意識して観ていただけるとその美しさに感動していただけるでしょうし、絵に対する観察力も分析力もレベルアップします。 絵は線から始まる ブロンボス洞窟で発見された世界最古の線画、約7万7千年前、南アフリカ Photo: theguardian.com 当たり前のことのようですが、絵は、線描から始まっています。 今から7万7千年前の線刻された黄土の破片が、南アフリカで発見されています。現存する最も古い絵画よりも、2万年以上も時代が遡ります。 上の画像では、線が抽象的なパターンを作っています。何かのシンボルでしょうが、私たちの祖先がこの頃から抽象的思考をしていたことは大変興味深いです。 そして線は形を作る 現存する最古の絵画、約51200年前、リアン・カランプアン、スラウェシ島、インドネシア Photo: Griffith University 線が形を作った現存する最古の例が、約51200年前の野生の豚と3人の人間の姿です。インドネシア、スラウェシ島、リアン・カランプアンの洞窟で発見されています。 線は、輪郭を描いていますが、同時に形を作る輪郭線の中は単純に塗りつぶすのではなく、線で埋めています(ハッチング)。輪郭線には、太く濃く描いている個所があり、線による影(シェーディング)を意識した可能性もあるかもしれません。 私たちの祖先の絵の創造性は、当時からかなり発達していたことがわかります。 雄弁な線 優秀な芸術家の線は、2つの側面から雄弁です。ひとつは、表現力の面からです。さまざま感情・ムード・ダイナミックさ・リズム・静寂さなどを伝える線になります。 もうひとつは、技術的な側面で、線を描く筆遣いが巧みで、美しい造形美に感服させられる線描です。有名なアーティストだからといって、すべてがこの技量を持ち合わせているわけではありません。 線のすごい表現力 線の表現力が印象的な絵画といいますと、どんな絵が頭に浮かぶでしょうか。 線描の天才の中でもトップクラスと言えば、葛飾北斎(1760-1849)です。 もともと技術的にも筆遣いの達人ですが、晩年の『富嶽三十六景』では線の表現力を爆発させています。線の表現力が卓越しているということは、すなはち形も素晴らしく、また構図の組み立ての秀逸さにもつながっていきます。 葛飾北斎、『富嶽三十六景ー神奈川沖浪裏』、1831-34、25.7 cm × 37.9 cm、多色刷木版画、Photo:Wikipedia 見慣れている画像ですが、線に注目してみますといかがでしょうか。その天才ぶりに愕然とするのではないでしょうか。印象派の画家たちが敬愛したのもまったく不思議ではないです。 迫真的なカーブ・鳥の足のような波頭・波の質感、奥行・飲み込まれそうな船を描く線の妙技によって、富士山をも凌駕しそうな波の動きやダイナミックさが遺憾なく発揮されています。 この版画では、美しいプルシアンブルー(ベロ藍)に注目しやすいですが、じっくりご覧いただけるとわかるように色は線のアクセントにすぎません。 北斎についてご興味がある方は、「日本人としての教養―なぜ北斎はすごいのか?」でも書いております。 線の表現力が突出した作品を、もう一点挙げておきましょう。…