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楽しい宗教画世界第1位かも?
さて、質問
です。
モデルであり女優であるケンダル・ジェンナーが、深夜に貸し切ったルーブル美術館で見入っていた絵画は何だったでしょうか?
そのひとつが、イタリアルネッサンス後期ベネチアで活躍したパオロ・ヴェロネーゼ(1528-88)の名作『カナの婚礼』でした。元々は、アンドレーア・パッラーディオによってデザインされたベネチア(べニス)のサンジョルジョ修道院の食堂(1560-62)の後壁に描かれていました。
現在は、ルーブル美術館のRoom711に、レオナルド・ダ・ヴィンチ作『モナ・リザ』の対面に陳列されている美術館では最も大きな絵画です。
この作品の魅力は、何と言っても異端児ヴェロネーゼの伝統にとらわれない自由な表現力です。少なくともこれまで私が見てきた数々の宗教画のなかで、楽しさ世界No1ではないかと勝手にランク付けしているくらいです。
今回は、本作品がなぜそんなに自由で楽しいのかを皆さんとご一緒に考察してみたいと思います。
楽しい理由1:イエスが起こした最初の奇跡
この作品のストーリーは、イエス・キリストが最初に起こした奇跡で、ヨハネ福音書第2章1-11節に記されています。言うまでもなく縁起が良いトピックであり、美術史を通じて多くのアーティストたちに絵画化されています。そして最高峰はなんと言っても、このパオロ・ヴェロネーゼの作品です。
ヨハネ福音書第2章1-11節の内容をまずご紹介しましょう。
カナ(ガリレア地方ナザレ近く)で催された婚礼に、イエスと母マリア、弟子ら5人が招待されました。結婚披露宴は1週間続くのが慣例ですが、その最中にワインが底つきてしまったことを、マリアはイエスに告げます。イエスは、「あなたと自分になんの係りがあるのか、私の時はまだ来ていません」と返しますが、マリアは従者たちに「イエスが言った通りに行動してください」と告げます。
その場にはユダヤ人の清めの慣習にならい、石でできた水がめが6つあり、イエスは、「これらの水がめを水で満たしなさい」と従者たちに伝えます。従者たちが水かめをいっぱいにした後で、イエスは「少し汲んで婚礼の責任者のところへ持っていきなさい」と指示します。
責任者が味見すると、水はなんとワインに変わっていました。責任者は新郎を呼んで「人は誰も最初に良いワインを提供して、酔いが回った頃には悪いものを出すのに、あなたは今まで良いワインを取っておいたとは!」と歓喜します。
楽しい理由2:イエスの独尊像?
というわけで『カナの婚礼』と名づけられながら、実際にはイエスが主人公のストーリーなのです。ところが、ヴェロネーゼ以外の画家による『カナの婚礼』は、イエスを控えめに描写しています。
たとえば、ヴェロネーゼ作『カナの婚礼』よりも半世紀ほど遡りますが、ヘラルト・ダヴィト(1460年頃-1523)は、次のように描いています。イエスは伏し目がちであくまでもゲストとしての参列しています。
その一方、ヴェロネーゼのイエスは、巨大な絵画の中心で、ひとりだけ真正面向きで凝視する迫力です。この絵の前に立つと、否応なく彼と眼が合ってしまうことになります。このイエスの部分だけ見ると、ナラティブ絵画というよりは、独尊像のような姿です。
披露宴の主役であるはずの新婦と新郎は、画面の左端に押しやられています。新郎の表情に注目すると、婚礼の喜びがなく、居心地が悪そうにも見えます。
楽しい理由3:有名人の顔ぶれで盛り上げる
この『カナの婚礼』には総勢130名が描かれています。参列する人々は地域の一般人だけではありません。ヴェロネーゼは、有名人(ベネチアで活躍していた人物や歴史的人物)を加えてこの婚礼を盛り上げています。彼らをイエスの奇跡の生き証人のように描いたとも言えるでしょう。
例えば、イエスの前で楽器を奏でているのは、プロの音楽家ではなく、ベネチアで活躍した4人の偉大な画家たちです。向かって左から、ヴェロネーゼ自身(ビオラ)、ヤコポ・バッサーノ(フルート)、ティントレット(バイオリン)、ティシャン(ティツィアーノ・ヴェチェッリオ、チェロ)です。
その中でも自分自身を最も目立つように描いていますし、自身の弟ベネデット・カリアリも、ワインを吟味する人物としてかなりの存在感を発揮しています。ヴェロネーゼ家のプロモーションとも取れます。その他、歴史上の人物(フランスのフランソワ1世、イギリスメアリー1世、オスマン帝国スレイマン1世など)も登場し、コスモポリタンな催しにしています。
楽しい理由4:シンボリズムによる絵解き
宗教画の楽しさのひとつは、「どんな宗教的なシンボルが、どのように描かれているか」を吟味して、さらに絵画・画家・背景への理解を深めることです。
聖書のストーリー自体にすでに、水(預言)、ワイン(精霊)、水を縁まで満たす(復活)というシンボリックな内容が含まれていますが、さらに絵画の中には、さまざまなシンボルが描かれています。
代表的なものを挙げますと、イエスの真上のバルコニーで動物の肉が切り分けられています。何の肉かは確実に判別できませんが、子羊かもしれないし、鳥の頭らしき部分にも見え、当時よく食された鳥類の肉の可能性もありです。いずれにしても、イエスと並列することで、神の子羊として彼が犠牲になることが予感されます。
その他のシンボルですが、先に挙げた音楽家たちが座るテーブルの上に砂時計が置かれています。これは、世俗的快楽の儚さの象徴しています。
さらによく見ると、右上隅のバルコニーの女性が白いバラを投げています。白いバラは、イエスの復活による希望や新しい始まりを意味しています。
楽しい理由5:ライバルを超えよ
「人間はライバルに育てられる」ということにはご納得いただけるのではないでしょうか。
ヴェロネーゼも例外ではなく、こんなに素晴らしい名画を残せたのは、同時期にベネチアで共に肩を並べて切磋琢磨してきたティシャン(1490年頃-1576)とティントレット(1518-94)のおかげです。かなり年上のティシャンの影響を受けながら、より年齢の近いティントレットとヴェロネーゼはお互いにしのぎを削ったのです。
そして、なんとティントレットはヴェロネーゼが制作に取り掛かる1年前にベネチアのクロチフェリ修道院の食堂の壁に『カナの婚礼』を完成しています。
このティントレットの大作を見て、彼の真骨頂であるユニークな構図と、幻想的な世界に引き込むような奥行感と明暗の中に、ヴェロネーゼは大きな刺激と次の時代の到来を感じていたに違いありません。そして模倣はせず、あくまでも独自のスタイルで、ライバルを超えて新しい時代を創ろうとする並々ならぬ意思がムクムクと頭をもたげたはずです。
楽しい理由6:自分の得意を極めた
どころでヴェロネーゼの独自性はひと言で言うと、華やかな色のハーモニーで作る豪華な空間と精巧なデイテールです。そのため、遠くから眺めても、近くで観察しても楽しい画面です。
「677 cm X 994 cmの画面に130人を登場させ、服飾は色を調和させてください」はかなり高難度な技術が伴うだろうことはご想像いただけるでしょう。その上でぜひ、今一度『カナの婚礼』の全体観を確認してみてください。
すると何が分かるでしょうか。ヴェロネーゼは間違いなく色彩アレンジの天才です。だからこそ、彼の色の影響力は、バロック期の画家たちはもちろん、近現代にまでも及んでいます。
また雄大なギリシャ・ローマ建築物は圧巻で、また石でできた物(例えば、水がめ)の細密さも突出した上手さです。彼は石切り職人のむすこでその修行経験もあり、「さすが!」と絶賛するしかありません。
まとめ
本作品については言いたいことがあり過ぎましてまだまだ書き足りないのですが、パオロ・ヴェロネーゼ作『カナの婚礼』の楽しさにポイントを絞って考察しました。
宗教画にもかかわらず、この作品が自由でモダンな理由は、ヴェロネーゼが自分自身のインベンションをとても大切にしたからです。彼は当時その自由さをとがめられた際に、次の言葉を残しています。
「画面にスペースが残された時、私は自分自身の発明した人物で装飾します。私たち画家も、詩人や狂人と同じ自由が許されてしかるべきです。」