アート ファン・ゴッホの6つの決定的瞬間 08/28/2025 人生は悲喜こもごもですが、ファン・ゴッホ(1853~90)ほどドラマティックな人生を送り、その心の葛藤を鮮やかに記録に残した画家はほとんどいないでしょう。 ここではファン・ゴッホの人生の決定的瞬間を6つ選び、その時の敏感な心理を投影した絵画を共有してまいります。 1885年 画家としての第1歩 フィンセント・ファン・ゴッホ、『ジャガイモを食べる人々』、1885、81.5 cm × 114.5 cm、油彩、キャンバス、ゴッホ美術館、アムステルダム Photo:Wikipedia ファン・ゴッホが32歳の時に描いた最初の記念すべき大作です。 オランダ南部のヌエネンで両親と暮らしていた時に制作しています。1885年5月前半に2か月前後で完成しましたが、相当な量のスケッチが残されており、周到に準備した力作であることがわかります。 弟/アートディーラーであったテオは、画面の暗さが、トレンドである印象派の鮮やかな色彩に合わないことを理由に販売に消極的でした。また、画家/友人であったアントン・ファン・ラッパルト(1858~1892)からは、暗さに加えて人体描写の不正確さやぎこちない動きを指摘されて自信を喪失します。 確かに当時の伝統的な絵画を基準にするとその通りなのですが、今見ると、これほど嘘のない農民の生の感情が詳細と画面全体から伝わってくる絵画は珍しく、やはり傑作と言わざるを得ません。 1887年 画風のターニングポイント フィンセント・ファン・ゴッホ、『自画像』、1887-88、44 cm X 37.5 cm、油彩、キャンバス、ゴッホ美術館、アムステルダム Photo:Wikipedia ファン・ゴッホは、生涯と通じて30点余りの自画像を描いています。その中でも、最も自信にあふれているように見受けられるのがパリで描かれたこの作品です。 目つきが鋭い一方で、表情はリラックスしています。他の自画像を見ていただけるとわかるのですが、彼の自画像は、神経質に緊張感があるものが多いです。 『ジャガイモを食べる人々』における色を酷評されたため、ファン・ゴッホは色彩理論を学習し始めていました。そして、パリで後期印象派に触れて試作してみたのがこの作品になります。後期印象派を参考にしたとは言え、彼の三次元的な筆致・色の組み合わせ・感情表現は独自のものです。 この自画像には、自分のスタイルを発見した手ごたえと将来への期待が込められているようです。帽子がオーラに見えるという人もいます。 1888年 創造のための聖域へ フィンセント・ファン・ゴッホ、『黄色い家』、1888、72×91cm、油彩、キャンバス、ゴッホ美術館、アムステルダム Photo:Wikipedia ファン・ゴッホがパリから南フランスのアルルに引っ越し、創造のために選んだ場所がこの黄色い家です。1888年5月~1889年5月まで居住しました。 手前右のグリーンのドアがある棟を借りました。1,2階部分にそれぞれ2部屋があり、アトリエとキッチン(1階)、自分の寝室とゲストルーム(2階)として利用していました。ゲストルームは、あのポール・ゴーギャンが1888年10月 23日~12月25日まで滞在しています。 パリの喧騒に疲れた心を癒し、インスピレーションを絵画にし、また他の芸術家と切磋琢磨するために、大きな期待に胸を膨らませていた場所は、彼にとって聖域と呼べるものだったでしょう。 結局1年ほどしか住みませんでしたが、『夜のカフェテラス』『夜のカフェ』『赤いブドウ畑』など傑作を次々と生み出しました。 1889年…