母の日が近づくと、頭に画像が浮ぶのが、アメリカ人画家ジェームス・マクニール・ホイッスラー(1834-1903)作『灰色と黒のアレンジメントNo.1』(1871年、オルセー美術館蔵)です。
通称『ホイッスラーの母』と呼ばれていますが、当時67才だった実母アナ・マクニール・ホイッスラーを描いた肖像画です。
母の凛としている姿であり、あたたかさもあり、スタイリッシュで、ダ・ヴィンチ作『モナ・リザ』に匹敵するマスターピースと感じる作品です。
母の日をお祝いして、詳しく見てまいりましょう。

Table of Contents
世界で最も親しまれている3作品のひとつ
ダ・ヴィンチ作『モナ・リザ』、ムンク作『叫び』と並び世界で最も親しまれている3作品のひとつと言えるでしょう。世界中でもはやアイコン的な絵画となっています。
ホイッスラーの評価を不動のものにした作品
ホイッスラーの母国アメリカでも「国外にあるアメリカ人画家の作品の中で最も重要」と考えられています。
1932年に初めて里帰りを果たし、ニューヨーク近代美術館で公開されたのを皮切りに、1933年のシカゴ万国博覧会では、約2500万人の訪問者の目玉となり、その後10都市をツアーしています。
翌年には母の日のための記念スタンプとして発行され、さらに1938年にはペンシルバニア州アシュランド市には、大恐慌時代の母への賞賛として絵画をベースにした約2.4メートルの銅像が制作されています。

母のアイコンとして人気が揺るがない作品
世界中で母のイメージそのものとして、映画・TV番組・CMなどでたびたび取り上げられています。
顔の部分や彼女の視線や膝の上にかかえるもの等を変えて、母の個性を出したパロディーとしてもたびたび登場しています。多くの人の心に母のアイコンとして定着するほどに強いインパクトを与え続けています。

ジェームス・マクニール・ホイッスラーについて

ホイッスラーは、アメリカマサチューセッツ州で生まれながら、1855年に絵画修行のためにパリへと旅立ってから主にロンドンで活動し、2度と母国へ戻ることはありませんでした。
ホイッスラーはこの作品に至るまでのあいだ、その名は広く知られてはいたものの、その才能を思う存分に発揮できる独自のスタイルを確立できていませんでした。
その10年余りの間に制作された肖像画や風景画には、ラファエロ前派、印象派、東洋文化や浮世絵の影響が見られますが、消化しきれていない特徴があらわれ、試行錯誤の様子が伺えます。
ただし、伝統にしばられない手法(白のカーテンに白のドレス、ありえない床の傾斜など)が、近い未来に何かやってくれそうだという予感はします。

なぜホイッスラーを一気に有名にしたのか?
構図が面白すぎる
『灰色と黒のアレンジメントNo.1』を、今一度ご覧ください。構図が面白すぎるのです。
母の姿と後ろの壁が、まるで一体となったようです。焦点は、中央に掛けられた黒い額(ホイッスラーのエッチング)ともとれてしまいます。
従来の遠近法は使わず、奥行き感は母の存在感と足を乗せた台座とカーペットがひかれた床でわずかに感じられるのみです。 そのために、灰色の平面(壁)の中に、黒い四角い形(カーテンと2つの額縁)と、人物の形が配置された抽象画のような新しさを感じずにはいられません。
黒いドレスの母は凜として前を見つめ、顔も体も完全に真横からとらえています。
肖像画としてかなり珍しい向きを選んだ逸話として、当初立ち姿で描き始めたものの高齢の母には難しかったため、座った姿になったという説明が残されています。しかし、ポーズにうるさかったホイットニーからして、真横という向きは最初からの狙いでしょう。
ホイッスラーの工夫
実は、この絵にはホイッスラー自身がデザインした鍍金の額縁が使われています。彼は、額縁を絵の一部として扱い、非常に重要視し徹底したこだわり抜いていたことで知られています。
母の左手をよく見ていただくと、薬指に光る金の結婚指輪と色がマッチし、母を控えめに飾っていることが分かります。この作品には、金色の額縁でなければならなかったわけです。
まとめ
それにしても、母という存在は、真横からとらえるのにぴったりではないでしょうか。
たくさんの困難を乗り越えてきたのアナ・マクニール・ホイッスラーの人生や1849年に夫を亡くした後、黒い服で一生通した彼女のストーリーを知らなかったとしても、毅然とした強い女性としてのオーラが伝わってきます。
ところで、美の追求のために妥協しなかったことで有名なホイッスラーが、この作品が完成した時に歓喜しながら叫んだ言葉があります。絵の出来に関する彼の満足度が凝縮されていると思います。
「オー!お母さん、極めましたよ。絵は美しいです」
皆さま、どうぞ良い母の日をお過ごしください!