異彩を放つ画家フランシス・ベーコン
20世紀の画家で、1億ドル以上(今ですと約150億円)で作品を取引された画家は現時点で8人います。
パブロ・ピカソ、ウィリアム・デ・クーニング、マーク・ロスコ、ジャスパー・ジョーンズ、ジャクソン・ポロック、アンディ―・ウオーホール、ロイ・リキテンシュタイン、バーネット・ニューマンそして、このブログのトピックであるフランシス・ベーコン(1909-1992)です。
それぞれの画家は一度見たら忘れられない個性的な画風の持ち主ですが、中でも格別な異彩を放っているのは何と言ってもフランシス・ベーコンでしょう。
最も眼にするチャンスが多いフランシス・ベーコンの作品は、次かもしれません。
ベーコンのほとんどの作品は、身体が歪曲された人物画で、彼自身は「事実の残酷さの描写に奮闘している」と述べています。
第一印象が突き放したような冷ややかで怖い絵が多いのですが、見続けているとその奥に底はかとない闇が感じられます。「怖いもの見たさ」で目を釘付けにする不思議な魅力を放っています。
さて、皆さんの印象はいかがでしょうか。
フランシス・ベーコン芸術の基盤
ベーコンは、アイルランド生まれの英国人です。十代から彼の同性愛が家族関係に亀裂を生み、ロンドン、ベルリン、パリへの逃避旅行が、皮肉にも彼の芸術性の基盤を形作っていきます。
例えば、ベルリンで彼が見たサイレント映画『戦艦ポチョムキン』(1925年)は生涯にわたって多大な影響を与えています。この作品は、ソビエト連邦のセルゲイ・エイゼンシュテイン監督で、1905年に勃発した戦艦ポチョムキンの乗組員による反乱を描いています。当時若干27歳だったエイゼンシュテインは、革命的なプロパガンダをトピックとして、モンタージュ理論(個々のカットを編集して組み立てること)を試み、映画史において革命的な作品として高い評価を得ています。
『戦艦ポチョムキン』に登場する顔面の眼鏡が割れて血を流し、叫んでいる女性看護師のカット(恐ろし過ぎる画像なのでここには掲載しないでおきます)に触発されて、後に習作を描いていますし、その他の作品にも影響力が顕著に見られます。
またパリでは、多くの美術展を訪れるうちに、画家への興味が芽生えていきます。特に、ニコラ・プッサン(1594-1665)作『罪なき人々の虐殺』は、「これまでに描かれた最高の人間の叫び」として彼の記憶に刻まれています。
画家になる意思を抱いたのは、18歳の夏にピカソのドローイング作品に出会った時と言われています。それ以降に、ドローイングと水彩画を独学で始めています。
ですが、その後すぐに画家の道を歩んだわけではなく、インテリア、家具デザイナーとして友人や少数の顧客相手に活動していたようです。
フランシス・ベーコンの代表作
■1930年代
フランシス・ベーコンが画家として認知されるきっかけとなったのが、『磔刑』(1933年)です。ピカソの『三人のダンサー』(1925) に発想を得ています。『戦艦ポチョムキン』のモノクロ画面と人間の内なる叫びを彷彿とさせます。「磔刑」は、ベーコンの一生涯にわたって繰り返される重要なテーマとなります。
しかし、シュールレアリズムの全盛期にあり、その枠組みにおさまらないベーコンの評価は思わしくなく、名声を獲得するには1940年代まで待たなければなりませんでした。
■1940年代
ベーコンの輝かしい画家のキャリアの始まりは、『磔刑の基部にいる人物3習作』(1944年)からです。ごく単純なオレンジ色の背景に、磔刑の3種類の基部が描かれ、その上に苦痛にうめき、体をよじらせるグレーの生き物を描いています。
これらは、ギリシャ悲劇『オレステイア』(アイスキュロス作)に登場する復讐の女神たちであるエウメニデス(別名:エリニュス)を描写しています。
「美術界が受けた衝撃がどのようなものだったか」は、簡単にご想像いただけるでしょう。スタイルうんぬんを語る前に、言葉を失うばかりのユニークさと、そこに込められた強烈な感情に驚嘆するしかなかったのです。
美術評論家ジョン・ラッセルに、「イギリスには、この3習作以前にも、以後にも絵画が存在したが、誰もこの2つを混同することはない」と言わせるほど、イギリス絵画史の金字塔的作品だったのです。
1940年代の大作をもうひとつ挙げておかなければなりません。ベーコンが、最も無意識に描いた作品と説明しています。著作権の関係で、鮮やかな画像ではないのですが、円形の祭壇の中に黒服で黒い傘をさした恰幅のいい男性、その背後には牛の死骸がぶら下がり、回りも肉片に囲まれています。
悪夢を描いたような絵ですが、制作年が終戦まもないことを考えると、現実さながらに恐ろしい作品です。男性は、戦前のイギリス首相で、傘を持っていたことで知られるネビル・チェンバレン説がありますが、ベーコンは否定しています。いずれにしても、政府役人のイメージで、牛の死骸の形が磔刑を思い起こさせます。
■1950年代
この時期は、肖像画制作に集中した時期です。ディエゴ・ベラスケス作『インノケンティウス10世の肖像』のバリエーション(「叫ぶ教皇シリーズ」)と、身近な人々の肖像画を描き始めています。「叫ぶ教皇シリーズ」は、1970年代まで描き続けたベーコンのアイコンとなります。
■1960年代-
後期の傑作のひとつが、『ルシアン・フロイドの3習作』となります。ベーコンの親友で、精神分析医ジグムンド・フロイドの孫となる画家ルシアン・フロイドを3連作で描写しました。
3連作は、ベーコンが好んだフォーマットで、1944年に『磔刑の基部にいる人物3習作』で最初の3連作を描いてから、1982年までに合計28作品を制作しています。
大画面のシンプルで鮮やかな背景に、フロイドの視線・ポーズ・配置そして幾何学的線描がマルチな焦点を作って観る者を引き付ける作品です。ここにはいつもの強烈な感情はなく、ベーコンは友人であり、ライバルであったフロイドを題材として、次のレベルへの絵画的実験をしているように見受けられます。
2013年11月、クリスティーズ、ニューヨークのオークションで当時としてオークション史上最高額1億4240万5000ドル(約142億円)で競り落とされています。
最愛の恋人の肖像画の値段はどうなる?
ところで今春アートオークションで注目を集めているのが、5月にサザビーズ、ニューヨークに登場する『屈みこむジョージ・ダイア―』(1966)です。ジョージ・ダイアーの全身を描いた10作品の内の1点となります。
ジョージ・ダイアーは、1963年に運命的に出会った54歳のベーコンの29歳の恋人です。犯罪歴があり、ドラッグとアルコール過剰摂取で1971年に亡くなってしまいますが、約40作品に登場していることから、ベーコンの彼に対する抑えきれない感情が伺えます。
シンプルなモチーフを完璧に配した構成力にお気づきいただけるでしょう。これだけの大画面にもかかわらず、不自然さや無駄がなくずっと見ていられます。
落札予想価格は、3000-5000万ドル(約45-75億円)です。最近少々不況気味のアートオークションですが、結果はいかに?楽しみです!