2024年の秋は、ちょっとしたクロード・モネブームがやってきそうな気配です。
クロード・モネのロンドンのテムズ川を中心に描いたシリーズ21作品(国会議事堂・ウォータールー橋・チャリング・クロス橋)が、今月末からコートルド美術館で公開されます。「モネとロンドン―テムズ川の風景」(会期:2024年 9月27日〜 2025年1月19日)で、パリで1904年に公開されてから120年ぶりの地元ロンドンでの一挙公開となります。
日本でも、国立西洋美術館にて「モネ―睡蓮のとき」(2024年 10月5日〜 2025年2月11日)が開催され、「睡蓮」の国内外作品20点以上が出品される予定です。
ところで、クロード・モネはあまりにも有名なので、なかなか「モネが好き」と言いにくかったりしませんか。ニッチな画家の名を挙げた方が、クールだと感じる方もいらっしゃるようです。そうは言っても、モネってものすごい画家なのです。
そこで今回は、揺るぎない自信を持って「モネが好き」言っていただけるように、また著名な画家についての教養をさらに深めていただけるように、美術史上燦然と輝くクロード・モネの革新性について整理しておきたいと思います。
何と言っても印象派の祖
クロード・モネは、印象派の祖です。というのも、印象派の名は、モネの作品『印象・日の出』に由来しています。彼がこの作品を出品したのは、格式高いサロンから拒絶された芸術家らが作品を持ち寄った展覧会でしたが、後には第1回印象派展と呼ばれるようになり、その開催年である1874年は、印象派誕生の年とされています。
この第1回印象派展ですが、入場者数はサロンの1%にも満たずで、多くの評価もネガティブなものでした。伝統にとらわれたアカデミックな批評家たちの眼には、とらえどころのない「未完成作品」のごとく映ったようです。
しかしながら今振り返れば、この展覧会に出品していたのはなんと、オーギュスト・ルノワール、エドガー・ドガ、カミーユ・ピサロ、アルフレッド・シスレー、ポール・セザンヌら、才能にあふれる画家たちの面々です。つまり、この展覧会は、時代の先駆者たちが集合したイノベーティブな活動で、クロード・モネはその旗手だったと言えます。
太陽光への比類なき興味
そうした印象派の中でもクロード・モネが突き抜けた理由は、彼の壮大なゴール設定です。それは、太陽光が織りなす束の間の変化をキャンバスに閉じ込めることでした。千変万化する自然から、完璧な一瞬を描写しようというのですから巨大な野望です。美術史上、印象派の画家以外を含めて、彼ほど日光に執着した画家は他には存在しません。
モネによると、日光の影響は7分ごとに変化し、物体の色や大気も変わると述べています。刻々と変わるわずかな違いを知覚しながら、彼にとって日光の強さやアングル、そこから生まれる水の色や大気の状態が完璧に揃った一瞬をとらえようと試みたのです。そのために、戸外や建物のバルコニーで、複数のキャンバスを取り換えながら制作していました。1905年頃から白内障の症状が加速したのは、長時間にわたる屋外でのスケッチ(en plein painting)のためと言われています。
ちなみに、ロンドンのテムズ川シリーズでは、100点近く制作しています。また生涯で、500点におよぶ作品を切り裂いて捨てたと伝えられ、モネがいかに精度を追求する画家であったかがよくわかります。
色のイノベーション
モネの壮大なゴールは、パレットであらかじめ混ぜて、なめらかな色を塗る従来の方法では実現できませんでした。そこで求められたのが、より正確に一瞬の光や空気感を描写できる方法です。
その新しい方法とは、色を混ぜずに短い筆致でキャンバスに併存させる筆触分割という方法です。この方法ですと離れて眺めると、色が混ざり合って活き活きと光を発するように見えます。つまり、モネの光と色の表現にはピッタリだったわけです。次の作品で、光があたる水面を見ていただくとご納得いただけるでしょう。
筆触分割は、モネが独自に創始したというよりは、印象派画家のグループで熟成されていったものです。しかし、モネは理論と応用を重ねて、誰もたどりつけない技術の領域に達しています。
1889年、化学者ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールが色彩理論『同時色対比の法則』を出版して画家たちの関心を集めていたのですが、モネも手に取って試していたのは明らかです。この著書によって、原色と補色を並列させる、影の部分に黒やグレーを使わない効果が確信へと変わったようで、モネの色の技術はますます洗練されていきました。
モネは、事物の色だけでなく、シーンの感情やムードを表現するためにも色を巧みに利用していきます。たとえば、「調和」を表現するために同色、「ダイナミックさ」のために対比色を使っています。
晩年作品が最高傑作!?
クロード・モネの作品で最も高額なのは、どんな作品かご存じでしょうか。
以前、絵画の査定基準について書いたことがあるのですが、モネの高額トップ5作品で見ますと「積みわら」か、最晩年の「睡蓮」シリーズです。現時点で最高額だったのが、1890-1891年制作『積みわら』で1億1千7万ドル(当時日本円で約122億円)で、第2位が、1914-1917年制作『睡蓮』で8470万ドル(当時日本円で約93億円)です。
両シリーズともに晩年の作品ですが、このことが何を意味するかと言いますと、モネは確実に進化し続けた画家だったということです。「積みわら」シリーズでは、陳腐でシンプルな積みわらを題材に25作品描いています。モネの手にかかると、積みわらは異なる色相のハーモニーで世界で最も美しい光線を浴びた彫刻のように変化します。
最晩年の「睡蓮」シリーズの制作時には、白内障の逆境にもかかわらず、モネは新たな挑戦に挑んでいたことがわかります。作品のサイズが大きくなり、抽象的になり、絵画史の未来を予見しているかのようなスタイルへと変容と遂げています。
20世紀以降アートへの影響力
クロード・モネの後世への影響力は、語り尽くせないほど絶大です。例えば、モネの筆致は、フィンセント・ファン・ゴッホ他の後期印象派で新展開を見せますし、またモネのダイナミックな色使いは、アンリ・マチスなどのフォーヴィズムの画家でさらに強調されていきます。
しかしそれ以上に面白いのは、形にとらわれないモネの晩年の絵画が、抽象画に受け継がれていることです。モネは、眼の前の事物の形を自分の先入観に基づいて写し取るのではなく、自分自身の知覚に従って作画しました。この作画態度――何を描くかよりも、どう自分が表現するのか――は画家たちの芸術理念として伝わっています。抽象画のパイオニアであるロシア画家ワシリー・カンディンスキー(1866-1944)をはじめ、20世紀中頃の抽象表現主義の画家たちに広く影響をおよぼしました。
例えば、ロイ・リキテンシュタイン(1923-1997)は、あえてモネのモチーフそのものをベースにして、彼のトレードマークであるステンシルを使って手で描き、機械を使ったかのように模したベンデイドット(Benday dots 古い印刷テクニック)と明るい色彩を施しています。モチーフだけでなく、この「自由さ」の根拠は、モネに遡るわけです。
まとめ
さて、今秋ブームになりそうなクロード・モネについて、彼の革新性に絞っておさらいしてみましたが、いかがでしたでしょうか。
久々にモネの絵画をじっくりと観ていたら、『積みわら』の色使いと筆致の美しさに酔っていました!
モネのコレクターの中には、モネの作品の中でも最も高額なシリーズ『積みわら』をひとつずつ収集していくことをライフワークにされている方もいらっしゃいます。
そうなんです。モネの魅力って、見れば見るほど、知れば知るほど底なし沼なのです。