ブログで書くには複雑なので後回しにしてきたトピックについて、意を決して書くことにしました。
それは、もうひとつのモナ・リザと言われ、ルーヴル美術館蔵『モナ・リザ』よりも早い時期に描かれたと考えられている『アイルワースのモナ・リザ』です。
ご存じの方も多いと思いますが、『モナ・リザ』には数多くのコピーが存在しております。その中のほとんどにレオナルド・ダ・ヴィンチは関わっていないことで決着がついています。
その一方、『アイルワースのモナ・リザ』は真筆であることを支持している研究者、著名コレクターが存在していてその真贋は混迷状態です。
今回は、その『アイルワースのモナ・リザ』についてわかりやすくまとめて共有してまいります!
なお、ルーヴル美術館蔵『モナ・リザ』の基本情報は別エントリーをご高覧ください。
Table of Contents
まずは観察してみてください


ビジュアルから考察する
まずは、ビジュアルから比較してみましょう。
アイルワースの方は、より若い女性が描かれ、円柱が柱礎だけでなく柱部分も含まれています。また、背景は、下3分の1は岩肌と林ですが、上3分の2が褐色で残されている点から未完成に見えます。
若い女性であることが、この作品が真筆と考えれる大きな理由とされています。なぜなら、ダ・ヴィンチが『モナ・リザ』を描いていたのが1503年であることは、フィレンツェの役人だったアゴスティーノ・ヴェスプッチ(1454-1512)が記しているからです。その時、リザ・デル・ジョコンドは24歳ですから説得力があるわけです。
女性は、顎のラインがシャープで、額、目の横幅がやや広いです。また、頭だけが前のめりになっています。
全体的に暗い色調を好みながら、ゴールドの光が差すような陰影の強いコントラストをつけています。
手も比較してみましょう。画家のスタイルや技量が出やすい部分です。下のアイルワースは美しいのですが、ニュアンスがなさすぎて不自然な印象を持ってしまいます。いかがでしょうか。

付け加えまして、アイルワースの方は、キャンバスに描かれています。これは、ダ・ヴィンチが木製パネル、特にポプラ材を好んだことに矛盾しています。
来歴から考察する
ルーヴル美術館蔵『モナ・リザ』の非の打ちどころのない来歴と比べますと、アイルワースの方はかなり謎に包まれています。
最初の信頼性ある記録は、なんと1913年まで下ります。英国のキュレーターであり、コレクターだったヒュー・ブレイカーが、イギリスサマーセット(ロンドンから南西250km)の邸宅で絵画を再発見しています。
その後は、次の通りです(曖昧なものは削除しています):
- 1914-1918 第一次世界大戦の戦禍を逃れて、ボストン美術館で保管される
- 1936年 ヒュー・ブレイカーの死に伴い、姉ジェーン・ブレイカーが相続する
- 1940年代後半 ジェーン・ブレイカーの死に伴い、ロンドンで売却される
- 1962年 アメリカ人美術商ヘンリー・F・ピューリッツァーが購入
- 1964年 25%をポルトガルの磁器商リーランド・ギルバートに譲渡
- 1975年 スイス銀行の金庫室に保管
- 1979年 ピューリッツァーの死に伴い、パートナーのエリザベス・メイヤーが75%を相続
- 2008年 エリザベス・メイヤーの死後、匿名の国際コンソーシアムに譲渡
- 2012年 調査やプロモーション活動を担うモナリザ財団が設立、現在に至る
史料から考察する
真贋のカギを握る史料を時系列で見てみましょう。4つの文書とひとつの画像があります:
1.アゴスティーノ・ヴェスプッチ(1454-1512)のメモから、ダ・ヴィンチが『モナ・リザ』を描いていたのは1503年であり、リザ・デル・ジョコンドが24歳であったことがわかります。
2.1517年にアラゴン枢機卿の秘書アントニオ・ダ・ベイアティスが、ダ・ヴィンチを訪れた際に彼自身が、ジュリアーノ・デ・メディチ(1479-1516) の依頼で、フィレンツェのある女性を描いていると伝えたことを記録しています。
3.美術評論家、画家、建築家であるジョルジョ・ヴァザーリ(1511-74)は、『画家・彫刻家・建築家列伝』の中で、リザ・デル・ジョコンドを描き、未完成だったことを記しています。
4.画家、美術評論家ジャン・パオロ・ロマッツォ (1538-92)は、1584年出版の『絵画に関する論文』の中で、『モナ・リザ』と『ジョコンダ夫人』の2作品が存在したことを書いています。
最後に画像ですが、ルネッサンス三大芸術家のひとりであるラファエロ・サンティ(1483-1520)が、1504年に次のドローイングを描いています。この作品は、ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』を記憶しておくためのものであったと指摘されています。

確かにドローイングは、『アイルワースのモナ・リザ』の顔に似ています。しかし、1505年か1506年に描いたラファエロの『一角獣を抱く貴婦人』とも似ているのです。
ラファエロが、ドローイングも、『一角獣を抱く貴婦人』も、人の作品『アイルワースのモナ・リザ』の顔を寄せて描くなどいうことはクリエーターとして到底考えられないでしょう。

科学調査から考察する
最後に科学調査の結果も見ておきましょう。まずは査読付き論文、次にモナリザ財団の出版物です:
1.1989年にカルフォルニア大学サンディエゴ校物理学教授ジョン・アスムスが、統計学的、幾何学的特徴を比較し、『アイルワースのモナ・リザ』はダ・ヴィンチの真筆であることを結論づけています。
2.2016年、上記ジョン・アスムスとが、輝度ヒストグラム統計によって、アーティストに固有の筆跡を評価する実験をおこない、2つの作品が同型であることを証拠として改めて『アイルワースのモナ・リザ』が、『モナ・リザ』よりも早い時期のバージョンであることを強調しています。

“Seeing double: Leonardo’s Mona Lisa twin,” Optical and Quantum Electronics 48(12) より
所有者が運営するモナリザ財団は、さまざまな独自の調査をおこない出版しています(2012年、2020年)。

上記は、なんと2019ページのカタログです。主要な発見だけまとめますと次の通りです:
1.紫外線、赤外線発光、赤外線、擬似カラー赤外線、赤外線反射法、X線撮影法、炭素年代測定法、ガンマ線分光法による鉛白測定はすべて、『アイルワースのモナ・リザ』が16世紀初期に描かれた可能性を示しています。
2.ダ・ヴィンチと同じ左利きの画家が描いた筆跡が数か所にわたって確認できる。
3.レイヤー増幅法により、下絵が写したものではなく、独創的な創造プロセスによることがわかる。
4.使用されたキャンバスは、1410-1455年に作られた手作業による麻製で、ダ・ヴィンチが1470年頃に『衣紋の習作』使ったものと似た特徴を持っているとしています。

まとめ
さて、『アイルワースのモナ・リザ』の真贋について、これまでの流れを共有してまいりました。
ありとあらゆる科学調査がすでにおこなわれているので、ここからは、よほど強力な来歴が発見されて、さらに2作品を並べてダ・ヴィンチのエキスパートたちが鑑定するしか動きがないように思えます。
『アイルワースのモナ・リザ』を実際に見たことがない上での私見ですが、絵の具がべったりしている印象と、2枚描くにしてもダ・ヴィンチがここまで似せるのは違和感を感じます。
皆さんはどう思われますでしょうか。モナ・リザのミステリーを楽しんでください!