「ミケランジェロ最後の30年」

晩年の挑戦がすごかった!

2024年を飾る美術展のひとつ「ミケランジェロ最後の30年」が、大英博物館で遂に始まりました(会期:2024年5月2日ー7月28日)。

ミケランジェロ(1475-1564)と言えば、20, 30代で制作したサン・ピエトロ大聖堂『ピエタ』、シニョリーア広場『ダビデ像』、『システィーナ礼拝堂天井画』がまず思い浮ぶのではないでしょうか。

ところが実際には、引退を考えそうな59歳で、システィーナ礼拝堂主祭壇壁画『最後の審判』を委託され、71歳にはサン・ピエトロ大聖堂改築とドームデザインの建築家と任命されています。晩年にになってからより難度の高いプロジェクトにチャレンジしていたのです。

ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ、晩年の「ミケランジェロの肖像画」, 1548 – 1553年頃 Photo: © Telyers Museum, Haarlem

ミケランジェロのプライベートな一面

この美術展についてはすでに予告はしていたのですが、ミケランジェロのプライベートが垣間見られる素描作品をご紹介したくて再度取り上げることにしました。

ミケランジェロというと、完璧で不屈の精神を持っている印象が強いのですが、親友トンマーゾ・デイ・カヴァリエーリ(1512あるいは19年頃-87)に素描をプレゼントした際のエピソードが微笑ましく、とても興味深いのです。


  • 晩年の親友カヴァリエーリ

ミケランジェロは、1532年冬にトンマーゾ・デイ・カヴァリエーリ(1512あるいは19年頃-87)に出会います。そして、彼の死までずっと親友であり続け、その間に多数の書簡・詩・素描を送っています。カヴァリエーリは若き高官で、ミケランジェロの晩年の建築プロジェクト(カンピドーリョ広場など)にも関わっています。イケメンかつエレガントな物腰で、チャーミングな人物であったことが伝わっています。


ミケランジェロ・ブオナローティ?, 『トンマーゾ・デイ・カヴァリエーリの肖像』、Photo: Wikipedia

ミケランジェロにとって、カヴァリエーリは最も親密な友人であったことは確かで、さらに自身で「今世紀の光、全世界の模範」と評していることや、素描に選ばれた題材や書簡にこめられた深い愛を匂わせる表現などによってホモセクシュアルな関係が研究の的にもなってきました。

お互いに好意以上の感情があったのは事実でありながら、それ以上については憶測の域を出ず、むしろ稀代な芸術家として名声をとどろかせていたミケランジェロと、政府のサラブレッドのようなカヴァリエーリが、お互いの立場を尊重しながらアートを媒介とした交流を楽しんでいたと理解する方が自然に思われます。


  • カヴァリエーリへの素描のギフト

ミケランジェロはすでに芸術界の大スター、そんな彼があくまでもプライベートでカヴァリエーリへ素描のギフト『パエトンの墜落』(送った素描4作品のうちのひとつ)を送ります。


ミケランジェロ・ブオナローティ, 『パエトンの墜落』、1532-33、紙、チョーク、31.2 X 21.5cm Photo: British Museum

  • 『パエトンの墜落』とは?

ミケランジェロの『パエトンの墜落』は、古代ローマ詩人オウィディウス『変身物語』に基づいて描かれています。

太陽神アポロの息子パエトンは、父に頼み込んで父に代わって太陽の馬車を操縦したところ、コントロールを失ってしまいます。太陽が暴走して地上が凍りついたり、焼き尽くされてしまうことを恐れた主神ジュピターはやむなく、雷でパエトンを撃ち落としてしまいます。

パエトンの死を悲しんだ3人の姉妹ヘリアデスはポプラの木に、いとこのキュクノスは白鳥に変えられます。左下に横たわっているのが、川の神でエイダヌス川を表しています。

ちなみに、このパエトンの無鉄砲で身の程知らずのふるまいを、ミケランジェロのカヴァリエーリへの愛情の比喩と解釈する研究者もいます。


  • カヴァリエーリへのメッセージ

ミケランジェロから素描をプレゼントされただけで、贈られた側は心臓バクバクだと想像しますが、作品にはとても控えめなメッセージが添えられていたのが印象的です。『パエトンの墜落』の下部に確認できます。その趣旨は、

「もしも気にいってくれたならば、完成します。どちらにしても返してもらうことになりますが、気に入らなければ別バーションを描きましょう」

ミケランジェロが自分の作品に絶対的自信を持っていたわけではなく、カヴァリエーリの評価を尊重していたところが、何とも素敵でほのぼのとします。

そして、カヴァリエーリの答えですが、確実に資料として残されているのは1533年9月6日付のミケランジェロに宛てた手紙です。しかし、この手紙は、より完成した次のバージョン(英国王室コレクション蔵)を受け取った時の返事だとされています。


ミケランジェロ・ブオナローティ, 『パエトンの墜落』、1533、紙、チョーク、 41.3 x 23.4 cm Photo: 英国王室コレクション

両バージョンを比較していただくと明らかなように、英国王室バージョンはまるで魔法をかけたかのように完成度が一気に上がっています。

そしてカヴァリエーリの手紙は、次のようでした。

「3日ほど前に私のパエトンを受け取りました。非常に良い出来栄えで教皇と枢機卿イッポーリト・デ・メディチや、みんなに見せました」

このメッセージで「私の(パエトン)」と書いている点が面白いです。というのも、前バージョンについてカヴァリエーリが何らかのコメントや注文をしたように推測できるからです。

ところで前バージョンと考えられるのが、先の大英博物館バージョンの他に、次のアカデミア美術館バージョンもあります。


ミケランジェロ・ブオナローティ, 『パエトンの墜落』、1533年頃、紙、チョーク Photo: アカデミア美術館、ヴェネツィア

状態が良くないのはさておき、こちらにも大英博物館バージョンのメッセージと同じように、カヴァリエーリの意見を求めるメッセージが記されています。

残念ながら、これら3バージョンをめぐって、ミケランジェロとカヴァリエーリの間に具体的にどんなやり取りがあったかについては他の資料が残っているわけではありません。しかし、最終バージョンの出来栄えを見る限り、ふたりの間にはなんらかの建設的な意見交換があったように想像できます。

さらに注目すべきは、『パエトンの墜落』の構図と、システィーナ礼拝堂主祭壇壁画『最後の審判』の階層的に配置した縦構図は関連性が深いです。そう考えると、彼らの『パエトンの墜落』についてのやり取りが晩年の大傑作へ与えた影響も少なくなさそうです。

というわけで、「ミケランジェロ最後の30年」では必見の作品です❣