ダ・ヴィンチの人体解剖図は、医学史の 50〜100年も 先を行っていました。 その医学への貢献については、別ブログをご覧ください。
人体解剖図ほどに広くは知られていませんが、ダ・ヴィンチが、医学史の300年先じていた例があります。彼は、コンタクトレンズの発明へとつながる先進的なアイディアを持っていたのです。
コンタクトレンズという着想が本格的に発展し始めたのは、19世紀初頭のこと。そして 1888年に 、 ドイツ医師・サイエンティストであったアドルフ・オイデン・フィック(1829-1901)が 、 最初のコンタクトレンズを完成させています。
そのコンタクトレンズは、次の写真のような厚いグラス製で眼の全体を覆うものでした。痛そうだし、危険そうです。
ダ・ヴィンチが、コンタクトレンズの元祖的アイディアを記録に残したのは、なんと1508年のことです。なんという先見の明でしょうか。
ダ・ヴィンチは常に、アーティストとして「いかに正確に観察するか」に情熱を傾けていました。特に光が、どのように眼の角膜、瞳孔、水晶体、視神経を通過するのかについて興味を持ち、頻繁に描いています。
ところで上のスケッチは、何を意味するのでしょうか。
ひと言で言えば、ダ・ヴィンチは「視覚を良くするための人工の眼」を作成しようとしていました。
水を入れた球体のグラスで人が顔を覆うと、通常見えないはずの肩のあたりまで見ることが可能になります。なぜなら、水が入った透明な凸状の表面が、周辺視野からの光を屈折させることによって瞳孔に集中させることができるからです。
こうしたダヴィンチの「光の屈折を利用して視力をより向上させたい」という願望は、その後も長い間引き継がれたようです。
ダヴィンチの死後、1世紀余を経てからも、哲学者/サイエンティストであったルネ・デカルト(1596-1650)が熱心に研究していたことが分かります。
デカルトが示したのは、水を満たしたチューブの一方を眼に直接あて、もう一方を凸型ガラスにして、眼の光軸を長くしようとするものでした。
ダ・ヴィンチ、デカルトの案ともに実現性は乏しいことは明らかです。でも彼らの提案がなければ、世界1億5千万人以上が使用するコンタクトレンズは誕生しなかったでしょう。
果敢なる実験的サイエンティストの積み重ねが世界を変えていくのです。