左脳、右脳タイプという神話

脳科学分野は、21世紀に入ってからものすごいスピードで驚異的に発展しています。ちょっと前の発見が、アッという間に塗り替わっていたことも珍しいことではありません。 ところで、左脳は「ロジック」を、右脳は「クリエイティビティ」をコントロールしていると信じている方はいらっしゃいませんか。まだまだネット情報を含めて、さまざまな場所で浸透しています。 しかし、実はもう神話になっています。科学的根拠がないので、アップデートする必要があります。 その理由を共有いたしましょう。 なぜ神話は生まれたのか? 左右に分かれている脳 その神話の起こりは、私たちの脳が、そもそも左と右に分かれていることです。 脳の外見だけではなく、機能的にも左右に分担されています。左脳は、右の手足を、右脳は左の手足の動きをそれぞれコントロールしています。 また、眼に関して言えば、左目と右目それぞれが、左と右側の視野を見る機能が備わっています。左側の視野の情報は右脳に、右側の情報は左脳に伝達されます。そして、左と右視野が合体して、全視野の情報として認知されるわけです。 こうした事実から、「左脳と右脳は別の機能を持っている」という認識が生まれ、神話を作り出す土台となったのです。 ブローカ Broca とウェルニッケ Wernicke の研究 その認識に拍車をかけたのが、19世紀のふたりの医師・解剖学者ピエール・ポール・ブローカとカール・ウェルニッケによる偉大な功績です。 いったいどういうことでしょうか? 彼らは、脳の左側前頭葉のある部位を損傷すると、言語機能に障害(失語症)が発症することを発見したのです。つまり、彼らは、脳の局在機能を初めて認識したわけです。 この発見後、彼らは、障害部位と失語症の関連性を分析しました。 そして、ブローカは、左下前頭回付近(彼の名にちなみ、ブローカ野)が発話のための能力を、ウェルニッケは、左上側頭回後部付近(彼の名にちなみ、ウェルニッケ野)がスピーチを理解する能力を司っていると解明しました。 小説『ジキル博士とハイド氏』 こうした「言語は左脳でコントロールされている」という発見は、巷で歪曲され始めます。 その引き金となったのが、1886年に出版されたスコットランドの小説家ロバート・ルイス・スティーヴンソン作『ジキル博士とハイド氏』です。 二重人格(あるいは同一性解離障害)の小説ですが、その二面性の根拠は、ロジカルな左脳から生まれるジキル博士の性質と、感情的な右脳に由来するハイド氏の性質として理解されるようになります。 ロジャー・スペリーRoger W. Sperryの研究 小説の世界だけでなく、専門領域でも、脳を左と右に分けた役割に関心が向き、そうした研究が20世紀を通じて非常に盛んになりました。 左脳や右脳に障害を負った人や、何らかの原因(てんかんなど)で、左脳と右脳をつなげる脳梁が切断されてしまった人を被験者にしたもの――いわゆる「分離脳」の研究です。 そして、この分離脳の研究で最も有名となり、ノーベル医学・生理学賞を受賞したのが、米国神経心理学者ロジャー・スペリーでした。 彼は、猫・サル・人間の分離脳の研究を重ねて、左脳は、発話とスピーチ理解ができる一方、右脳は、言葉を認識するものの、発話はできないことを発見しています。 ところが、この結論は、彼の意図とはまったく関係なく、例の左脳と右脳タイプの話へと歪曲、拡大解釈されてしまいます。 脳の左側と右側は、完全に独立した機能を担い、どちらが優位しているかによって性質や認知スタイルが異なる、つまり左脳タイプ、右脳タイプに分けられるという解釈です。 左脳タイプ――論理的、分析的、言葉で考える、数的処理が得意など 右脳タイプ――感情豊か、創造的、直感的、空間的認知能力が高いなど 2013年に遂に神話化した 21世紀に入ると、fMRIによって脳科学研究は大きく飛躍しました。そして遂に、左脳と右脳タイプの話が神話となる時が訪れます。 というのは、2013年、ユタ大学で1000人以上を対象とした大規模な実験が行われたからです。性格や認知スタイルによって、左脳タイプと右脳タイプに区別できるかどうかを調査したのです。 さて、結果はどうだったのでしょうか。 確かに、タスクによって、片側の脳がより活発に機能することは認められました。特に言語を話す時は左脳、集中する時は右脳といった具合です。しかし、そこには全く個人差は見られませんでした。 被験者がエンジニアであっても、ミュージシャンであっても等しく、脳全体を使用していたのです。 まとめ 科学的根拠のない左脳、右脳タイプの神話が、まことしやかに蔓延している理由を書いてみました。 自分や他人の性質を、左脳タイプ、右脳タイプで診断するのは確かに面白いですよね。 ただし、そうした分類に科学的根拠はないということです。血液型による性格診断とか、適性判断と似ています。 要するに、左脳、右脳を意識して開発すること自体には意味がなく、脳全体を活性化させるトレーニングが有意義ということになります。